見出し画像

虐待の冤罪に向き合う

虐待を防ぎたいのであれば、虐待の冤罪にもしっかりと向き合わなくてはならない。
その線引きができるのもまた、虐待経験者にしか出来ないのではなかろうか。

私の子供の頃には聞いた事がなかった、「AC」「毒親」「虐待サバイバー」「親ガチャ」などの言葉がかなり浸透している。
浸透するのは良い事だと思うのだが、その為か本当に虐待?と思うような事までも、虐待と騒がれている事があるような気がする。

「本人が虐待と言えば虐待である」
といった風潮は決して良くないと思っている。
本人が虐待と言っても違うケースは多々あると断言する。
何故なら未熟な未成年であり未成年とは分別のつかないものだからだ。

これと同じような風潮が前にもあり、そして失敗しているのではないだろうか。
それは教師だと思う。
過剰に教師を吊し上げたあげく、「ゆとり世代」だの「さとり世代」だの全てを子供に押し付けたように見えた。
あの頃も、生徒が体罰といえば体罰という風潮があった。
体罰と教育の線引き作業をしないものだから、全てが良くない方に転ぶのである。
難しいし、面倒くさい、そんな事は当たり前ではないか。

ゆとり、さとりと呼ばれる世代とはかなり豊富に仕事をしてきたので、彼らと自分達との違いは一言で片付くと考えてきた。
「周りに怖い人がいなかった」
これにつきる。
昔は親はもちろん、先輩、近所のおっさん、おばちゃん、野良犬まで怖かった。
怖い人、怒られる人がいなければ誰でもゆとりを持つと思う。
ちなみにこれは決してどっちかが良く、どっちかが悪いといった話ではない。

ただ、教師に関しては精神的に追い詰められる教師が続出し、先生いじめもブーム化のようになった事から明らかに失敗だろう。

話は戻るが、「あなたのそれが虐待なのであれば、はっきり言って昔の日本人全員アダルトチルドレンだな」と思う事も結構ある。
はっきりと「違う」と言える人がいない、または言えない世の中になっているのは、線引きが行われていない事と、虐待自体があまりにもマイナー案件な位置付けだからだ。

これを解決するには、
1.日本国民全員にきっちり勉強させる
2.線引きを行う

やる事はこれだけだ。
めちゃくちゃ面倒くさいけどね。

ちなみにだが、親と子の絆は絶対だと思うが(良い悪い両方の意味で)親と子は合う合わないがあるので、嫌いな事も普通にある。
親が子を嫌う、子が親を嫌う、嫌うまではいかなくともあまり好きではない事も含め自然なこと。
あり得ないことではない、あり得ることだ。

誰が言い出したのかわからないが(恐らく宗教からだと思うが)親は無条件でエライとか、親と子の愛は絶対だとか、理想の家庭を全ての家庭に押し付けようとしたから上手くいかないのである。

その事をはっきりと言う大人が少なすぎる。
また、そんな事を言うとあの人はおかしいとなるような世の中だ。

しっかりと日本国民全員が綺麗事なしで虐待の事を学ばなければならないのだ。
学ばなければ何も変わるはずがない、簡単な話だ。

虐待の冤罪はあってはならない事。
子をしっかりとした愛情で育てていても、本人に伝わらない事の方が多い事もまた事実。
引き裂かれる事は絶対にあってはならない。

虐待の冤罪の線引きは、必ず虐待経験者を初めとしてそれに長けた専門家が多数関わらないと判断できない。
その虐待経験者も誰でもいいと言うわけではない。
政府が虐待経験者の基準をきちんと設け、選出し、国選のアドバイザーとして公務員の席を設けるべきだ。

きっちりと活動の保証をしないから、インチキまがいの虐待防止活動家並びにカウンセラーがはびこるのだ。
元々拠り所や繋がり、味方を探しているACが簡単に騙される事を知っているのでる。
クズ中のクズなので騙されないように。
子供の時でも大人になってからも、結局の所、自分の身は自分で守るしかないのだ。
なによりも国が虐待案件を重要視し、一刻も早く改善し、予算を割かなければならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?