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自販機前で一緒に缶コーヒーを飲もうじゃないか。投げ銭マインドが芽生えた。

東日本大震災の時に、心の底から募金をしたし、募金をして申し訳ないと思いました。「これだけで申し訳ない」その次に起こる心の声は「必ずまたします」

それ以降はマイルールとして、目の前に必要と思われる募金案件が来たら迷わず募金する。迷ったら募金する。逆に言うと、迷わなければ募金しない。

そしてその募金金額も迷わない。直感。ほとんどが小額。続けて散りつもになればいいんです。

そしてほとんどが自分のためなんです。救われたいんです。

たまたま僕のところに被害がなく、たまたまそちらに災害があり、たまたま僕は無傷で、たまたまそちらでは大変なことに。

別に僕は何の努力もしていない。努力していないのに、そちらの災難で僕は勉強させてもらっている。すいません。この「すいません」分、救われたいんです。


今、現実に起こっている未曾有の感染騒ぎは経済を止めてしまい、おそらく、経験したことのない不況がやってくると思う。

でも、病院勤務の僕は即座に影響を受けにくいと思う。

津波で言ったら、少し高台にいるようなものなのかもしれない。偉そうに聞こえたら申し訳ないが、ここ数日病院の先輩に聞いて回った。

「バブル崩壊した時、給料減りましたか?100年に一度の不況と言われたリーマンショックの時は?」

答えはノーだった。

好景気の時は指をくわえて寂しくみてるかもしれないけど、不況の時は特に何の努力もしてないのに、そんなに影響がない。(今回はわからないけど)たまたま津波の時に高台にいただけなのだ、運以外の何ものでもない。


自粛要請でどこも出かけない、出かける予定もキャンセル、万単位でお金が浮いた、こんなのでいいのか。考えるようになったんです。

本来あったはずの出かけたときのコミュニケーションがなくなり、消費されるはずのお金が残る。

ここでいうコミュニケーションは心を動かされたコミュニケーション

よって、

「心を動かされたらサポート(投げ銭)しよう」

そう思ったんです。

自販機でコーヒー飲もう、

スタバ行こう、

ラーメン食べに行こう、

夕飯食べよう

こんな感じで。

noteのシステムに気づかされた面もあります。

無理やりこじつけてみました。本来自分が対価を払い得た感動体験と。

自販機でコーヒー飲もう=後輩と休憩に缶コーヒー楽しく談笑=良い動画やネタ教えてくれた人に缶コーヒー

スタバ行こう=スタバで友人からレクチャー受ける、お礼にカフェおごる=すごく勉強になった、今すぐ使えること教えてくれた人にカフェおごる感じ

ラーメン食べに行こう=自分へのご褒美=めっちゃ頑張っている同志を応援(アメリカで試合する奴の昼飯代とか)

夕飯食べよう=嫁や家族へのご褒美=本来僕も行ってるはずの行きたい所に、リスクを冒していってくれる人に支援

この国難に

そんな投げ銭マインドが芽生えてきました。

申し訳程度ですけど、

本来僕がそこに行って得るものを代わりにやって見せてくれて、心を揺さぶってくれるのだから受け取ってほしい。

ではまた


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