反・斎藤幸平論――マルクス三昧(3)

 〔一〕ハル君への手紙 Ⅰ
 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 上
 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 中
 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 下
 〔三〕ハル君への手紙 Ⅱ

 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 中

(6)「抽象的人間労働」という概念は歴史貫通的か?
斎藤において、それなりの大きな比重を占めていて、しかし奇妙な「読解」がある。それは「抽象的労働は素材的であり、したがって歴史貫通的」というマルクスの読み方である。
「だが、ここで問題含みなのは抽象的労働が素材的であるというマルクスの主張である。商品生産社会において価値を形成する抽象的人間的労働は、あらゆる具体的な属性を捨象したために、目には見えず、触れることもできない。さらに、「価値」そのものは純粋に社会的な属性だと言われている。にもかかわらず、マルクスはその「実体」である抽象的労働は素材的だというのである。「すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間的労働力の支出であり、同等な人間的労働または抽象的人間的労働というこの属性において、それは商品価値を形成する」(MEGA II/6: 79)〔MEW23巻S.61〕。さらには次のようにも言われている。「有用的労働または生産的活動が互いにどんなに異なっていても、それらが人間の有機体の諸機能であること、そして、そのような機能は、その内容やその形態がどうであろうと、どれも、本質的には人間の脳髄、神経、筋肉、感覚器官などの支出であるということは、一つの生理学的真理である」(ebd.: 102)。「生理学的真理」はもちろん労働力のあらゆる支出について当てはまるのであり、その限りで、抽象的人間的労働は具体的有用労働と同じように、素材的で、歴史貫通的だとされるのである。」(117-118頁)
このマルクスの引用個所を、現行『全集版』で示せば、
「すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間の労働力の支出であって、この同等な人間労働または抽象的人間労働という属性においてそれは商品価値を形成するのである。すべての労働は、他面では、特殊な、目的を規定された形態での人間の労働力の支出であって、この具体的有用労働という属性においてそれは使用価値を生産するのである。」(MEW23巻S.61)
「第一に、いろいろな有用労働または生産活動がどんなに違っていようとも、それらが人間有機体の諸機能だということ、また、このような機能は、その内容や形態がどうであろうと、どれも本質的には人間の脳や神経や筋肉や感覚器官などの支出だということは、生理学上の真理だからである。第二に、価値量の規定の根底にあるもの、すなわち前述の支出の継続時間、または労働の量について言えば、この量は感覚的にも労働の質とは区別されうるものである。」(MEW23巻S.85)
となっている。
マルクスは、労働は「すべての社会的形態から独立した一条件」としているが(したがって、「歴史貫通的」と言っていいが)、しかし、具体的有用労働と抽象的人間労働という二重性の意識は、具体的で個別的なもの(使用価値、具体的有用労働、Stoff、……)とその否定(価値、抽象的人間労働、Form、……)は、歴史性を帯びているのだ。
マルクスは、抽象的人間労働を「素材的」とは、決して言っていないし、言うはずがない概念なのだ。
前の文章は、「商品に表わされる労働の二重性」の結びに示され、後者は、「商品の呪物的性格とその秘密」の始めに要約して繰り返された規定である。
このどちらでも、マルクスは「素材的」とは規定していない。斎藤は、おそらく生理的支出ならば「歴史貫通的」であり、従って「素材的」とでも考えたのだろう。しかし、労働が生理的支出であるという観念は、決して「歴史貫通的」ではなく、歴史的なものであることは、この「商品に表わされる労働の二重性」の節でのアリストテレスの限界の指摘の中で明瞭である。
「つまり、アリストテレスは、彼のそれからさきの分析がどこで挫折したかを、すなわち、それは価値概念がなかったからだということを、自分でわれわれに語っているのである。この同等なもの、すなわち、寝台の価値表現のなかで家が寝台のために表わしている共通な実体は、なんであるか? そのようなものは「ほんとうは存在しえないのだ」とアリストテレスは言う。なぜか? 家が寝台にたいして或る同等なものを表わしているのは、この両方のもの、寝台と家とのうちにある現実に同等なものを、家が表わしているかぎりでのことである。そしてこの同等なものは――人間労働なのである。
 しかし、商品価値の形態では、すべての労働が同等な人間労働として、したがって同等と認められるものとして表現されているということを、アリストテレスは価値形態そのものから読みとることができなかったのであって、それは、ギリシアの社会が奴隷労働を基礎とし、したがって人間やその労働力の不等性を自然的基礎としていたからである。価値表現の秘密、すなわち人間労働一般であるがゆえの、またそのかぎりでの、すべての労働の同等性および同等な妥当性は、人間の同等性の概念がすでに民衆の先入見としての強固さをもつようになったときに、はじめてその謎を解かれることができるのである。しかし、そのようなことは、商品形態が労働生産物の一般的な形態であり、したがってまた商品所有者としての人間の相互の関係が支配的な社会的関係であるような社会において、はじめて可能なのである。アリストテレスの天才は、まさに、彼が諸商品の価値表現のうちに一つの同等性関係を発見しているということのうちに、光り輝いている。ただ、彼の生きていた社会の歴史的な限界が、ではこの同等性関係は「ほんとうは」なんであるのか、を彼が見つけだすことを妨げているだけである。」(MEW23巻S.73-74)
すなわち、労働の同等性、通約可能性を認めるためには、人間の同等性が社会的に認められていることが必要であるということである。
別の個所では、
「自然なものをなんらかの形態で取得するための合目的的活動としては、労働は人間存在の自然条件であり、人間と自然とのあいだの物質代謝の、すべての社会的形態から独立した一条件である。これに反して、交換価値を生みだす労働は、労働の独特な社会的一形態である。……裁縫労働が上着の交換価値を生産するのは、裁縫労働としてではなくて、抽象的一般的労働としてであり、そしてこの抽象的一般的労働は、裁縫師が縫いあげたのではない一つの社会的関連に属する。」(『経済学批判』⑬巻S.24)
と、「交換価値を生みだす労働は、労働の独特な社会的一形態である。」「抽象的一般的労働は……一つの社会的関連に属する」と明確に記している。

この誤読はどういう問題を含んでいるのか?
「私的労働における具体的な側面がすべて捨象されて、生理学的意味での人間的労働の支出が対象化されるという事態の背景には、商品生産社会において、私的労働のもとで社会的総労働の適切な配分が行われなくてはならないという社会状況があるのである。」(122頁)
これは、マルクス・エンゲルスが生きた時代の資本主義、無政府的生産のもとで、生産力の周期的破壊として現象していたという時代をまったく無視した把握である。
「価値には素材的要素はまったくない。それに対して、抽象的労働そのものは、人間の活動の一側面を表しており、歴史貫通的で、素材的なものである。社会的総労働が有限である限りで、社会の再生産にとってその適切な分配は大きな意味を持ち続ける。」(124頁)
やはり、「社会的総労働」の強調は「社会主義的計画経済」が念頭にあるのであろうか? しかし、社会的総労働時間は、抽象的人間労働という概念と不可分なのではない。
「必要労働」という概念が協同社会では「内容も形式も変化する」のと同じように「社会的総労働時間」の概念も変化するのである。資本主義社会における諸規定をさしあたっては引き継ぐとしても、社会の発展と共に内容を変化させていくのである。
ここでは、未来社会のイメージについて踏み込むのは避けるが、しかし、マルクスのイメージを対置して少なくとも、マルクスの未来社会において、「抽象的労働」概念はなくなるとされていることだけは示しておこう。
「生産手段の共有を土台とする協同組合的社会の内部では、生産者はその生産物を交換しない。同様にここでは、生産物に支出された労働がこの生産物の価値として、すなわちその生産物にそなわった物的特性として現われることもない。なぜなら、いまでは資本主義社会とは違って、個々の労働は、もはや間接にではなく直接に総労働の構成部分として存在しているからである。」(『ゴータ綱領批判』MEW19巻S.19-20)
「その共産主義社会が生まれでてきた母胎たる旧社会の母斑をまだおびている。したがって、個々の生産者は、彼が社会にあたえたのと正確に同じだけのものを――控除をしたうえで――返してもらう。」(MEW19巻S.20)
「ここでは明らかに、商品交換が等価物の交換であるかぎりでこの交換を規制するのと同じ原則が支配している。内容(Inhalt)も形式(Form)も変化している。」(同上)
すなわち、旧社会の母斑をまだ帯びている社会段階でのみ「等価交換」の原則の支配を認めているのであって、「歴史貫通的」としている訳ではない。
では、どう変化するのか? 内容的な変化については、「だれも自分の労働のほかにはなにもあたえることができない」「個人的消費手段のほかにはなにも個人の所有に移りえない」として、端的には「不変資本」部分の移転がないことが示されているが、形式的には「一つのかたち(Form)の労働が別のかたちの等しい量の労働と交換される」とされている表現から読み取るしかない※。端的には市場を媒介しない交換であり、抽象的人間労働という「抽象」を必要としないということ、抽象的人間労働という「抽象」は市場を前提にしているということではないか。
※ 現代の資本主義社会にあっても親会社が子会社から製品を「買い上げる」場合に、価格は市場によって決まるのではない。製造にかかる標準労働時間を元に適切な――適正なではなく――修正を施して決定されている。

(7) 素材的制約と宇野弘蔵の「労働力の商品化の無理」論
宇野弘蔵は、斎藤の言う素材的制約を、どう取り扱ったのだろうか。
「宇野弘藏『経済原論』(1964)も科学的叙述に際して、そのような次元(『資本論』の「労働日」章などにみられるような叙述)を歴史的な考察として「原論」から排除してしまっているが、マルクスにとっては、素材的次元は理論的考察から切り離せるものではない。」(145頁)
宇野弘藏の方法は、斎藤が言う「素材的次元」を「原理論」から排除したのではなく、「労働力の商品化の無理」に収約するのである。資本主義的に生産されえない労働力商品を確保するための方法として、原理論としての産業循環論が説かれているのである。その産業循環における恐慌の引き金とされる労賃の高騰は、現状分析としての恐慌分析では、生産拡大の制約が強い農産物、鉱業製品などのいわゆる一次産品のように自然条件に依存する度合いが大きい商品の高騰によって相殺され、実質賃金は必ずしも高騰しないとされるのである。
こうした宇野方法論は、素材的側面の原理論からの排除ではなくて、素材的側面の独特の処理方法だということである。
「宇野の議論は海外で俗流化し」ているのだとすれば、宇野が強調する「労働力の商品化の無理」が理解されていないか、あるいはロシア革命以降の時代を過渡期として現状分析の対象設定をしながら、ソ連圏の崩壊という段階以降をどう設定するかという混迷のなかで、宇野派的現状分析の無力を示しているのかもしれない。

(8) フラースの評価
――種と環境の相互作用
最初にふれたように、斎藤の核心はフラースの評価にある。
斎藤も述べているように、マルクスがフラースに触れたのは、一八六八年一月三日付のエンゲルス宛の手紙である。
そして、それを引用したうえで、
「この手紙は重要である。ここでのマルクスの要望は、当時の関心が何であったかを教えてくれるからだ。その質問からも明らかなように、マルクスは単に最新の農芸化学についての情報を得ようとしていただけでなく、リービッヒの「鉱物説」や「土地疲弊論」に対する「反論」について知ろうとしているのである。そうしたなかでフラースの「沖積理論(Alluvionstheorie)」なるものへの関心が出てきているのがわかる。」(210-212頁)
としている。その上で、フラースへの唯一の評価が残されている一八六八年三月二五日のエンゲルスへの手紙を斎藤が引用している通りに(省略箇所もそのまま)引用しよう。
「フラースの『時間における気候と植物界、両者の歴史』(一八四七年)は非常に面白い。というのは、歴史的な時間のなかで気候も植物も変化するということの論証としてだ。彼は、ダーウィン以前にダーウィン主義者であり、歴史的な時間のなかで種そのものを発生させている。だが、同時に農学者でもある。彼は次のようなことを主張している。すなわち、耕作が進むにつれて――その程度に応じて――農民によってあんなに愛好される「湿潤さ」が失われていって(したがってまた植物も南から北に移って)、最後にステップの形成が現れる、ということである。耕作の最初の作用は有益だが、結局は森林伐採などによって荒廃させる、うんぬん、というわけだ。この男は、化学者や農学者などであるとともに、博学な言語学者でもある(彼はいくつかのギリシャ語の本を書いている)。彼の結論は、耕作は――もしそれが自然発生的に前進していって意識的に支配されないならば(この意識的な支配にはもちろん彼はブルジョアとして思い至らないのだが)――荒廃を後に残す、ということだ。ペルシアやメソポタミアなど、そしてギリシャのように。したがってまたやはり無意識的な社会主義的傾向だ!〔……〕彼の農業の歴史も重要だ。〔……〕農業について新しいものを、そして最新のものを、精密に調べる必要がある。自然学派は化学学派に対立している。(MEW 32:52 f.)」(223-224頁)
このフラース評価から、斎藤は、
「無意識的な社会主義的傾向」と並んで(これについては後述)、「まず興味深いのは、マルクスがフラースの「農業の歴史」についての考察を「重要」だとみなしている点である。……ここで注意すべきなのは、最後の一文が示すように、フラース(「自然学派」)がリービッヒの鉱物説(「化学学派」)を批判していることについて、マルクスがはっきりと気が付いている点である。」
というフラース評価の後半部を抜き出す。それは、先の初発のフラースの問題意識に呼応してはいる。しかし、この手紙で示されるているのは、まず「歴史的な時間のなかで気候も植物も変化するということの論証」、「ダーウィン以前にダーウィン主義者であり、歴史的な時間のなかで種そのものを発生させている。」という予想外の発見ゆえの高評価であるように思える。ここでダーウィン主義は否定的な意味では使われていない。
ダーウィンの『種の起源』に対して、「目的論はこれまである一面にたいしてはまだうちこわされていなかったが、これがいまなしとげられた。そのために、自然における史的発展を立証するという、これまでにないほど壮大な試みが行なわれたのだ」(エンゲルスからマルクスへ 一八五九年一二月一一日または一二日、MEW29巻S.524)、「これは歴史的な階級闘争の、自然科学的な基礎としても僕の気にいっている。……ここではじめて、自然科学のなかからの「目的論」が、致命的な打撃をうけただけでなく、その合理的な意義も経験的に分析されたのだ。」(マルクスからラサールへ 一八六一年一月二八日、MEW30巻S.578)という肯定的評価の延長上にあるものだろう。
さらには、「気候と植物の歴史的変化」という、ダーウィンを越えて、種の発生、種の変化の必然性を、種と環境の相互作用のなかで明らかにするという視点に着目したのではないか。

フラースからは離れるが、この二年ほど前に、マルクスとエンゲルスが『P・トレモ著、人類およびその他の生物の起源と変形。パリ、一八六五年』について、手紙でやり取りしている。最初にトレモに触れたのは、マルクスの一八六六年八月七日の手紙である。
「ある非常に重要な著作を(といっても僕の所有物ではないので返送するという条件でだが)、僕が必要なノートを作りしだい、君に送るが、それは『P・トレモ著、人類およびその他の生物の起源と変形。パリ、一八六五年』だ。これは、僕にはいろいろと欠陥が目についたが、ダーウィンを凌ぐ非常に重要な進歩だ。二つの主要命題はこうだ。交配は、普通考えられているように種の差異をつくりだすのではなく、逆に種の典型的な単一性をつくりだす。これに反して、地質構成は分化させる(単独にではないが主要な基礎として)。ダーウィンにあっては純粋に偶然的だった進歩が、この著作では、地球の諸発展期を基礎として必然的であり、ダーウィンでは説明できない退化がこの著作では簡単明瞭だ。種の型の発展の緩慢なのに比べて、たんなる過渡的諸形態の非常に急速な消滅も同様であって、そのために、ダーウィンを混乱させている古生物学の空隙はこの著作では必然的なのだ。同様に、必然的な法則として、ひとたび構成された種の固定性(個体などの変異は別として)は発展する。ダーウィンにおける雑種化の難点は、この著作では逆に体系の支柱になっている。なぜなら、他の種との交配が、多産的になるとか可能であるなどということがなくなるやいなや、ひとつの種が実際にはじめて構成される、ということが証明されるからである。
 歴史上および政治上の応用においてダーウィンよりはるかに重要で内容が豊富だ。」(MEW31巻S.248)
「いろいろと欠陥が目についたが」という保留はあったにしても、「ダーウィンを凌ぐ非常に重要な進歩だ。」と絶賛に近い評価を与えている。

これに対して、エンゲルスはこの本を自ら購入して一読した後に一八六六年一〇月二日の手紙で酷評する。
「モアランとトレモについては近日中にもっとくわしく書こう。後者はまだ全部読んだわけではないが、しかし、彼は地質学も理解していないし、ごく普通の文献‐史料批判の能力もないことからだけでも、彼の全理論はとるに足りない、という確信に達した。……この本はまったくなんの値打ちもないもので、あらゆる事実とまったく矛盾する純然たる作り事であって、それが挙げているどの論拠のためにも、それ自体これからまた論拠を与えなければならないようなものだ。」(MEW31巻S.256)

これにたいして、マルクスは早速一〇月三日付けの手紙で、エンゲルスの判断は、
「ほとんど逐語的に、「種の変異」の学説に反対するキュヴィエの『地球変遷論』のなかでも再発見することができる。」もので、「このことは、偉大な地質学者であって自然研究者としては例外的に文献‐史料批判家でもあったキュヴィエがまちがっていて、新しい着想を主張した人々が正しい、ということを妨げはしなかった。土壌の影響にかんするトレモの根本思想は(彼はこの影響の自然的歴史的変化を評価していないにもかかわらず、そしてこの歴史的変化のなかに僕自身は農業などによる地表の化学的変化をも、さらには石炭層のような物質がいろいろな生産様式のもとでもっているいろいろな影響をも算入するのだが)、僕の見解では、科学においてはっきり市民権を獲得するだけのためにも主張される必要のある思想であって、これはトレモの記述とはまったく関係のないものだ。」(MEW31巻S.257)
と、反論する。

エンゲルスは、前便で予告した、より詳しいトレモ評価を一〇月五日の手紙で書く。
「トレモについて。僕が君に手紙を書いたとき、僕はもちろんやっとこの本の第三部、しかも最悪の部分(初めの)を読み終えたところだった。第二の三分の一、諸学派の批判は、ずっとましだが、第三の三分の一、結論は、ふたたび非常に悪い。この人物のもつ功績は、人種の形成にたいしての、また首尾一貫して種の形成にたいしての、「土壌」の影響を、従来なされてきた以上に強調したということと、そして第二に、交配の作用について、彼の先行者たちよりも正しい(僕の見解ではやはり非常に一面的でもあるが)諸見解を展開したということだ。ダーウィンも、ひとつの面から見れば、交配の変改的な影響にかんする彼の見解では正しいし、これはトレモもとにかく暗黙のうちに承認している。というのは、彼もそれが彼にとって便利な場合には、交配を、たとえ結局は平均化する手段としてではあってる、改変の手段としても取り扱っているからだ。同様に、ダーウィンやその他の人々も土壌の影響をけっして見誤ってはいなかった。そして、彼らがその影響を特別に強調しなかった場合には、それは、彼らがこの土壌がどのように作用するかについてなにも知らなかったからなのだ――といっても、より肥沃であれば有利に作用し、より肥沃でなければ不利に作用するということは別としてのことだが。そしてトレモもそれ以上のことはたいして知っているわけではない。……
 土地の地質学的構造が、その上でおよそなにかが成育する「土壌」と非常に関係がある、ということはもう古い話で、それは、この植物に適した土地はその上で棲息している動植物の種属に影響を及ぼす、ということと同様に古い。この影響が従来まったくといってよいほど研究されていなかった、ということもそのとおりだ。しかし、そこからトレモの理論までには非常な飛躍がある。いずれにせよ、従来なおざりにされてきたこの面を強調したということは、ひとつの功績だ。そして、前述したように、土壌が地質学的により古いかより新しいかに比例してのそれの発展促進的影響についての仮説は、ある限界のなかでは正しいかもしれない(あるいはまた正しくないかもしれない)が、しかし、彼が引き出しているそれから先のすべての結論を、僕はまったく正しくないか、または救いようもなく一面的に誇張されている、と思う。」(MEW31巻S.259-260)
エンゲルスのトレモ再論の具体的で細かな箇所は、今日では重要とは思えないので、省略したが、「もっぱら地質学に基礎づけられた種変化学説」を評価することではマルクスに同意しつつても、偽造された「地質学」に基づいていたら「それはもうまったく別ものなのだ。」と、トレモへの厳しい評価は譲らない。

マルクスのトレモ評価は八月七日の手紙の「ダーウィンにあっては純粋に偶然的だった進歩が、この著作では、地球の諸発展期を基礎として必然的であり」、また一〇月三日の手紙にあるように、トレモが「種の変化における土壌の影響」に注目したという一点である。そして、トレモの限界を超えて、土壌の影響の自然的歴史的変化、そしてこの歴史的変化のなかには、「農業などによる地表の化学的変化をも、さらには石炭層のような物質がいろいろな生産様式のもとでもっているいろいろな影響をも算入する」というのがマルクスの視点だというのが浮かび上がる(ここで石炭層にまで目配りしているマルクスの目配りの多面性=総合性!)。
しかしそれにしても、マルクスの「科学においてはっきり市民権を獲得するだけのためにも主張される必要のある思想」への前のめりの評価は、種の発生・発展・消滅の必然性、種と環境の相互作用への強烈な問題意識であろう。その前のめりに、エンゲルスは実証科学の研究から歯止めをかけようとしている。

マルクスのフラースに対する「ダーウィン以前にダーウィン主義者であり、歴史的な時間のなかで種そのものを発生させている。だが、同時に農学者でもある。」という感想は、この「ダーウィンを凌ぐ」としたトレモの評価を巡るエンゲルスとのやり取りを忘れていたはずがないのだ。

(9) フラースとマウラー
――無意識的な社会主義
斎藤は、マウラーへの関心について、
「マルクスは『農業危機とその治癒手段』のこの一節を読んで、マウラーにも興味を持ち、一八六八年以降、前資本主義社会の人間と自然の物質代謝のあり方への関心を強めていった。」(316頁)
と、フラースに導かれたものと描く。しかし、これはマウラーとフラースに触れたマルクスのエンゲルス宛の二通の手紙を素直に読めば、無理があることが容易に分かる。

まずは、一八六八年三月一四日の手紙である。
体調の報告の後に、すぐ
「博物館では――ついでに――なかんずく老マウラー(古いバイエルンの枢密顧問官で、すでにギリシアの摂政たちのひとりとしての役割を演じ、ロシア人を最初に、アーカートよりもずっとまえに告発した)の最近の著書を読んで、ドイツのマルクや村落などの制度について勉強した。彼は、土地の私的所有が後代に至ってはじめて発生した、ということなどをくわしく論証している。ドイツ人は各自別々に定着し、のちになってはじめて村落やガウなどを形成した、というばかげたウェストファーレン的なユンカー見解(メーザーなど)が完全に反駁されている。ちょうどいま興味があるのは、一定の期間(ドイツでは当初は毎年)における土地の再分配というロシア的な風習がドイツでは所によっては一八世紀に至るまで、また一九世紀にさえ至るまでも、保存されていた、ということだ。アジア的またはインド的な所有形態がヨーロッパのどこでも端緒をなしている、という僕の主張した見解が、ここでは(マウラーはこの見解についてはなにも知らなかったのに)新たな証拠を与えられている。だが、ロシア人にとっては、この点においてさえも、創意の要求権の最後の痕跡も消え失せている。彼らに残っているのは、彼らの隣人がずっと以前に脱ぎ捨てた諸形態のなかに今日もなおはまりこんでいる、ということだ。老マウラーの諸書(一八五四年および一八五六年その他の)は、真にドイツ人的な学識をもって書かれているが、同時により親しみやすく読みやすい仕方で書かれている。このような仕方は、北ドイツ人に比べて南ドイツ人を(マウラーはハイデルベルク出身だが、このことはファルメライアーやフラースなどのようなバイエルン人やティロル人にはもっとよくあてはまる)特徴づけている。老グリム(『古代法』など)もあちこちで手ひどくやりこめられている。すなわち、ことばにおいてではなく事実において、だ。そのほかにも農業にかんするフラースなどの本を見た。
 ……
 マウラーの本を読んでわかったことは、「ゲルマン的」所有などの歴史や発展についての見解における転換はデンマーク人から発しており、一般に彼らはあらゆる隅々に向かって考古学に手をつけているらしい、ということだ。だが、彼らはこうして原動力を与えてはいるものの、絶えずあちこちで行き悩んでいる。なんといっても、正しい批判的な本能や、なによりもまず尺度が欠けているのだ。僕にとって最も奇異に感ぜられるのは、マウラーが、しばしばアフリカやメキシコなどを例として指摘しているのに、ケルト人については全然なにも知っておらず、したがってまたフランスにおける共同所有の発展をもまったくゲルマン人の征服者たちのせいにしている、ということだ。「あたかも」、とブルーノ君なら言うところだが、「あたかも」われわれがまだ一一世紀のまったく共産主義的なケルト人(ウェールズ)の法律書をもってはいなかったかのように、また「あたかも」まさにフランス人たちが近年あちこちでケルト的形態の原始共同体を発掘したこともなかったかのように! あたかも――だが、事実はまったく簡単なのだ。老マウラーは、ドイツと古代ローマの事情のほかには、ただオリエントの(ギリシア=トルコの!)事情を研究しただけだ、ということなのだ。」(MEW32巻S.42-44)
マウラーについて、「僕の主張した見解が、ここでは、……新たな証拠を与えらえている」として、延々と紹介しているのに、フラースについては、一言「そのほかにも農業にかんするフラースなどの本を見た」だけである。

そして、先に紹介した三月二五日の手紙も前半部は、マウラーについてだ。近況報告の後にすぐに
「マウラーについて。彼のいろいろな著書は非常に重要だ。たんに原始時代だけではなく、自由な帝国都市や特権を有する領主や公権力や自由農民対農奴の闘争のその後の全発展が、まったく新しい姿を与えられているのだ。
 人類史においても事情は古生物学におけるのと同じようなものだ。鼻先にある事物でも、原理上、一種の判断力の欠如によって、最もすぐれた頭脳にさえ見えないのだ。その後、時代が変わってから、人々は、まえには見えなかったものが至るところでまだその痕跡を示している、ということを不思議だと思う。フランス革命やそれに結びついていた啓蒙主義にたいする最初の反動は、もちろん、いっさいのものを中世的にロマンティックに見る、ということだった。そして、グリムのような人々でさえこれを免れてはいないのだ。第二の反動――そしてそれは社会主義的な傾向に対応している、といっても、かの学者たちは自分たちがこの傾向と関連があるとは夢にも思ってはいないのだが――、この反動は、中世を越えて遠く各民族の原始時代を見つめる、ということだ。それからそこで彼らは、最古のもののなかに最新のものを見いだして、しかもプルドンもそのまえでは見ぶるいするであろうほどの平等主義をさえも見いだして、驚いているのだ。
 どんなにひどくわれわれはみなこのような判断力の欠如にとらわれていることだろうか。ほかでもない僕の地方で、フーンスリュックで、古代ドイツの制度が近年に至るまで存続してきたのだ。いま思い出すと、おやじは弁護士としてそれを語ってくれたことがあった! また別な証拠もある。地質学者たちは、キュヴィエのような最良の学者でさえも、いくつかの事実をまったく逆倒して解釈しているのだが、それと同じように、グリムのような有力な言語学者たちがきわめて簡単なラテン語の文章をさえまちがって翻訳しているのは、メーザー(と言えば思い出すが、彼は、ドイツ人のあいだには「自由」はけっして存在しなかったが「所有の風は吹いている」、ということで有頂天になっているのだ)などによって支配されているからだ。たとえば、タキトクスの有名な箇所 "arva per annos mutant, et superest ager"というのは、彼らは耕地(arva)を取り替えるが(くじによって、だからのちにはすべての部族法にsortes〔抽選地〕となってもいるのだ)、共同地(ager publicusとしてarvaに対立するager)はそのまま残る、ということなのだが、これをグリムなどは、彼らは毎年新しい畑を耕すが、それでもなお(未耕の)土地が残っている、と訳しているのだ!
 同様に、"Colunt discreti ac diverst"〔彼らは個々別別に耕作する〕という箇所も、ドイツ人はヴュストファーレンのユンカーよりも古くから別々の農場を経営していた、ということを証明している、というわけだ。ところが、同じ箇所で続けて次のように言っているのだ。"Vicos locant non in nostrum morem cannexis et cohaerentibus aedificiis : suum quisque locum spatio circumdat" 〔彼らはわれわれのようなやり方で互いに接続する建物をもって村落を設計してはいない。各自が自分の土地を耕作されていない空地で囲んでいる。〕そして、このようなここに描かれている形態のゲルマンの原始村落は今なおデンマークではあちこちに存在している。もちろん、スカンディナヴィアは、ドイツの法学や経済学にとっても、ドイツの神話学にとってと同様に、重要にならなければならなかったのだ。そして、そこから出発して、われわれははじめて、ふたたびわれわれの過去の謎を解くことができたのだ。なお、じつさいグリムたち自身も、カエサルでは、「集団的に定着した種族や氏族に」"gentivus cognationibusque, qui uno coiereant."〕という文句によって、ドイツ人はつねに種族社会として定着したのであって個々人として定着したのではない、ということを見いだしているのだ。
 だが、老ヘーゲルは、もし彼があの世で次のようなことを聞いたら、いったいなんと言うだろうか? というのは、ドイツ語や北欧語の das Allgemeine〔一般〕が意味しているものは共同地にほかならず、das Sundre, Besondre〔特殊〕が意味しているものは共同地から分離した個別所有地にほかならない、ということだ。そうならば、いまいましくても、論理学の諸範疇は「われわれの交易」から生じている、ということになるわけだ。」(MEW32巻S.51-52)
そして、この後に、先に(斎藤に従って)引用した、「フラースの――は非常におもしろい。……」という文章が続くのであって、どうみても、フラースに導かれてマウラーヘという解釈は無理がある。

さらに第二に斎藤が注目している「したがってまたやはり無意識的な社会主義的傾向だ」というフラースへの規定について。
「フラースの理論が「無意識的な社会主義的傾向」を有していると言われているのは、なによりも注目に値する。なぜなら、フラースの著作とマルクスの抜粋ノートや自家用本への欄外書込みを読み較べることで、マルクスがどのような「意識的な」社会主義的傾向をもっていたかについての手がかりが得られるからである。」(224頁)
と、自らの社会主義論の基礎にでもしようとしている。

これは、手紙全文を読めばすぐに分かることであって、大仰に言うことではない。この手紙の前半部でマウラーについて述べていることを受けて「したがってまた」と受けているのである。
「フランス革命やそれに結びついていた啓蒙主義にたいする最初の反動は、もちろん、いっさいのものを中世的にロマンティックに見る、ということだった。……第二の反動――そしてそれは社会主義的な傾向に対応している、……この反動は、中世を越えて遠く各民族の原始時代を見つめる、ということだ。」
つまり、フラースのなかにある「中世を越えて遠く各民族の原始時代を見つめ」、「そこで彼らは、最古のもののなかに最新のものを見いだして」いるという傾向のことを指しているにすぎないのである。

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