反・斎藤幸平論――マルクス三昧(4)

 〔一〕ハル君への手紙 Ⅰ
 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 上
 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 中
 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 下
 〔三〕ハル君への手紙 Ⅱ

 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 下

(10) エンゲルスの隠蔽!?
「これまで西欧マルクス主義によって無視されてきたマルクスの自然科学への取り組みを『資本論』との関連で検討することによって、エンゲルスとの差異を考察していく。……自然科学研究における両者の共通性や協働を一定程度前提としながらも、彼らが検討していないMEGAの新資料を『資本論』との関連で分析し、晩期マルクスのエコロジーの射程を明らかにしていきたい。」(293頁)
と、自らの領域をマルクスの「抜粋ノート」研究に独自性を絞る斎藤は、必然的に晩期エンゲルスの否定的評価に向かうしかない。なぜなら晩期エンゲルスがマルクスの正統な継承者なら、「抜粋ノート」は新史料の紹介ではあっても、新・思想の発見ではないことになるからである。

斎藤は言う。
「ところが、エンゲルスは『反デューリング論』第二版「序文」のなかで、読者にある重大な隠し事をしている。」(295頁)
「同時期にマルクスが自然科学を熱心に研究していたことを個人的なやりとりや遺稿の整理作業から知っていたにもかかわらず、エンゲルスはこの事実に言及していない。……エンゲルスは「序文」においてマルクスの自然科学抜粋の存在に触れようとすらしなかった。この不自然な沈黙は抑圧の徴候として解釈できるのではないだろうか。つまり、マルクスの自然科学研究が自らの自然科学研究とは違う性質のものであるということを、エンゲルス本人が認めていたというように。」(296頁)
この指摘は妥当であろうか?
斎藤は、エンゲルスによる『資本論』「第二巻序文」を見落としているのだろうか? それとも(斎藤流に悪意に満ちていえば)意図的に無視しているのだろうか?
そこでは、
「一八七〇年からは再び一つの休止期になったが、それはおもに病状のせいだった。例によってマルクスはこの時期をいろいろな研究で満たした。農学、アメリカの、ことにまたロシアの農村事情、貨幣市場や銀行、最後にいろいろな自然科学、すなわち地質学や生理学、またことに独立の数学的研究、これらのものがこの時期の多数の抜き書き帳の内容をなしている。」(MEW24巻S.11)
と、書いている。この「多数の抜き書き帳」の存在を報告している『資本論第2巻』「序文」の日付は、一八八五年五月であり、斎藤が言及している『反デューリング論』の第2版序文の日付は同年九月ときわめて近接しているものである。どこにマルクスの自然科学研究の意図的な隠ぺいがあるというのだろう。

(11) エンゲルスの誤読、あるいは牽強付会
斎藤は、エンゲルスの『反デューリング論』(『空想から科学へ』)から下記を引用する。
「これまでは、人間自身の社会的行為の諸法則が、人間を支配する外的な自然法則として人間に対立してきたが、これからは、人間が十分な専門知識をもってこれらの法則を応用し、したがって支配するようになる。これまでは、人間自身の社会的結合が、自然と歴史とによって押し付けられたものとして人間に対立してきたが、いまやそれは、人間自身の自由な行為となる。これまで歴史を支配してきた客観的な、外的な諸力は、人間自身の統制に服する。このときからはじめて、人間は、十分に意識して自分の歴史を自分で作るようになる。このときからはじめて、人間が作用させる社会的諸原因は、だいたいにおいて人間が望んだとおりの結果をもたらすようになり、また時とともにますますそうなっていく。これは、必然の国から自由の国への人類の飛躍である。」(MEGA I/27: 446)(MEW19巻S.226/MEW20巻S.264)
そして、
「ここではっきりと述べられているように、エンゲルスによれば、人間の意識と行為から独立した物象の支配を廃棄することだけでなく、自然において作用する諸力の法則性を認識することによって、自然を人間の意識的な制御のもとにおくことが、「自由の国」への跳躍なのである。」(301-302頁)
と評する。
しかし、この引用は失敗であろう。この引用のどこでもエンゲルスは「自然において作用する諸力の法則性」についても「自然を人間の意識的な制御のもとにおくこと」についても述べていない。「人間を支配する外的な自然法則として」というのは「人間自身の社会的行為の諸法則」があたかも自然法則であるかのように働いているというマルクスも『資本論』でしばしば使っていた比喩であって、なんらかの自然法則のことに言及しているわけではない。したがって、「応用し、したがって支配するようになる」という「この法則」とは「人間自身の社会的行為の諸法則」のことである。
この社会的(経済的)法則の応用(利用)論には、宇野弘蔵的批判の余地はある。しかし、この引用部の直前を見てみよう。
「いままで人間を支配してきた、人間をとりまく生活諸条件の全範囲が、いまや人間の支配と統制に服する。人間は、自分自身の社会的結合の主人となるからこそ、またそうなることによって、いまやはじめて自然の意識的な、ほんとうの主人となる。」
すなわち、いきなり宙に浮いたように、法則の認識が出てきているのではなくて、「自分自身の社会的結合の主人となる」ことが媒介されているのであって、この展開は『資本論第三部』の展開に重なる。
たとえば、『資本論第三部』でも、
「自由はこの領域のなかではただ次のことにありうるだけである。すなわち、社会化された人間、結合された生産者たちが、……自分たちと自然との物質代謝……を合理的に規制し自分たちの共同的統制のもとに置くということ、つまり、力の最小の消費によって、自分たちの人間性に最もふさわしく最も適合した条件のもとでこの物質代謝を行なうということである。しかし、これはやはりまだ必然性の国である。」(「第48章三位一体的定式」MEW23巻S.828)
いわば、過渡期としての核心を、〈自らの共同による自らの労働の支配〉すなわち〈自由な協同労働〉としていて、その生産者たちが、「自分たちと自然との物質代謝を合理的に規制し自分たちの共同的統制のもとに置く」としているのである。
「自由な国」は、その発展の先、「国家の眠りこみないし死滅」の先にあるとされているのである。

斎藤も、同じ個所を(少し長く)引用している。
「じっさい、自由の国は、必要や外的な合目的性に迫られて労働することがなくなるところで、はじめて始まるのである。つまり、それは、当然のこととして、本来の物質的生産の領域のかなたにあるのである。〔……〕自由はこの領域のなかではただ次のことにありうるだけである。すなわち、社会化した人間、アソシエイトした生産者たちが、盲目的な力としての自分たちと自然との物質代謝によって制御されることをやめて、この物質代謝を合理的に規制し、自分たちの共同的制御のもとに置くということ、つまり、力の最小の消費によって、自分たちの人間本性に最もふさわしく最も適合した条件のもとでこの物質代謝を行なうということである。しかし、これはやはりまだ必然性の国である。この国のかなたで、自己目的として認められる人間の力の発展が、真の自由の国が始まるのであるが、しかし、それはただその土台としてのあの必然性の国のうえにのみ花を開くことができるのである。労働日の短縮が土台である。 (MEGA II/4.2: 838) 」(310-311頁)
そして、この箇所に注を付けて、
「[3] この引用からマルクスとエンゲルスの将来社会像の同一性を唱える議論としてはスタンリーの著作(Stanley 2002:23)があるが、その説明は説得力を欠く。」(311頁)
としているが、スタンリーの説明がどのようなものであるかは知らないが、先のエンゲルスの引用で、肝腎な前段の「自分自身の社会的結合の主人となる」を欠落させている斎藤の説明に説得力があるのであろうか! またこの「第48章三位一体的定式」の箇所については、地代論の「亀裂」の箇所とは違って、エンゲルスの編集批判はされていない。ということは、マルクスの見解をそのままエンゲルスが受け入れているということではないのか?

先述のエンゲルスの誤読にもとづいて、「エンゲルスの力点は、自然科学によって自然そのものに存在する諸法則を百科事典的に認識することであり、それによって「自由の国」を設立することにあった。」(320頁)と決めつけ、その上で、エンゲルスの「自然の復讐」のシェーマ批判が展開されていく。その中身が上に述べたような曲解、誤解の上に成り立っているのでは意味をなさないし、それと対照させてマルクスの物質代謝論を浮かび上がらせようとする限りで、ほとんど説得力を見出すことはできない。幻想の「脱成長のマルクス」を作り出すためのむなしい作業にしか見えない。
「マルクスによれば、エコロジー問題は、根源的な生産条件である自然からの人間の「分離」(「自然からの疎外」)から説明されなくてはならず、……」とは、マルクスのどこでの主張を指しているのだろう。この把握のどこが「動的」なのだろう。たんに自分の中にあらかじめある結論、「コモン」の共同占有に結び付けていくための断定にすぎない。

リービッヒが「生命体の歴史的発生の可能性を否定」するのをエンゲルスが批判するのはきわめて当然だし、だからといって、それが、「エンゲルスの「物質代謝」が扱う問題は自然の中で人間の関わり合いとは関係なしに生じる生命の起源・進化のプロセスに限定される。」(305頁)というわけではない。
エンゲルスもマルクスと同様に「物質代謝」を多義的に使っている。一つは、先の「三位一体的定式」の叙述を見ればいい。それは、マルクスの叙述を右から左に移しただけとでもいうのだろうか。
あるいは、先に『ド・イデ』の引用で示した二つの物質代謝の原基的叙述。さらに「サルが人間になるにあたっての労働の役割(自然の弁証法)を示そう。
直接的には(形式的には)、「肉食は、身体が自己の物質代謝のために必要とする最も基本的な物質をほとんどすぐにでも使えるような状態でふくんでいた。」(MEW20巻S.449)という使用例がある。内容的には、人間と土地の(自然的)物質代謝と社会的物質代謝の連関とは、結局、自然的関係と社会的関係の相互連関のことであり、そもそも、この「サルが…」の全体が〈労働と社会〉の相互規定を述べているのであるが、例えば、
「生産に向けられたわれわれの行為の遠い将来の自然的な作用でさえ、これを考慮することを多少なりともまなびとるまでに何千年の労働を必要としたとすれば、それらの行動から生ずる遠い結果の社会的な作用については、困難はそれ以上にずっと大きかった。」(MEW20巻S.453)
という一文から何を汲み取るかであろう。

エンゲルスが、必然性の洞察としての自由において、自然法則について述べている箇所がないわけではない。例えば、『反デューリング論』の次の箇所である。
「ヘーゲルは、自由と必然性の関係をはじめて正しく述べた人である。彼にとっては、自由とは必然性の洞察である。「必然性が盲目なのは、それが理解されないかぎりにおいてのみである。」自由は、夢想のうちで自然法則から独立する点にあるのではなく、これらの法則を認識する【begriffen】こと、そしてそれによって、これらの法則を特定の目的のために計画的に作用させる可能性を得ることにある。これは、外的自然の法則にも、また人間そのものの肉体的および精神的存在を規制する法則にも、そのどちらにもあてはまることである。………だから、自由とは、自然的必然性の認識にもとづいて、われわれ自身ならびに外的自然を支配することである。したがって、自由は、必然的に歴史的発展の産物である。」
そして、続けて、
「動物界から分離したばかりの最初の人間は、すべての本質的な点で動物そのものと同じように不自由であった。しかし、あらゆる文化上の進歩は、どれも自由への歩みであった。人類史の門口には、力学的運動が熱に転化することの発見、すなわち摩擦火の創出があり、これまでの発展の終点には、熱が力学的運動に転化することの発見、すなわち蒸気機関がある。――そして、蒸気機関は社会的な領域で巨大な解放的変革――それはまだ半分も完成されていない――をなしとげつつあるとはいえ、世界解放のうえでの効果からいえば、蒸気機関よりも摩擦火のほうがいっそうまさっていることは、疑いない。なぜなら、摩擦火は、人間にはじめて一つの自然力にたいする支配力をあたえ、それによって人間を終局的に動物界から分離させたからである。蒸気機関についていえば、もはや階級の区別もなければ、個人の生活手段を手に入れるための心づかいもなく、はじめて其の人間的自由について、認識された自然法則と調和する生活について語ることのできるような社会状態は、蒸気機関に依存する巨大な生産力の助けによってのみ可能となるのであって、蒸気機関は、それらすべての生産力の代表者として、われわれにとってきわめて重要なものではあるが、摩擦火ほどの巨大な飛躍を人類の発展上にもたらすことはけっしてないであろう。しかし、これまでの歴史全体を、力学的運動が熱に転化することの実地の発見から、熱が力学的運動に転化することの実地の発見までの期間の歴史として言いあらわすことができるという、簡単な事実からみても、人類史全体がまだどんなに若いか、そして、われわれの今日の見解をなんらか絶対的な妥当性をもつもののように考えることがどんなに笑うべきことであるかがわかる。」(MEW20巻S.106-107)
さらに、電気エネルギーへの相互転化の時代が続く。一八八二年一一月にマルクスとエンゲルスは、「ドプレの実験」についての関心を示している。
まずマルクスが、「ミュンヘンの電気博覧会でのドプレの実験について君はどう思うか?」(一一月八日)とエンゲルスに尋ね、エンゲルスは「ミュンヘンでおこなわれたドプレの実験についての詳報を僕は非常に待ちこがれている。」(一一月一一日)と応じている(MEW35巻S.104、S.108)。その内容は翌八三年のベルンシュタインへの手紙に示されている。
「しかし、じっさい、これ〔電気工学革命〕は非常に革命的なのです。蒸気機関はわれわれに熱を機械的な運動に変えることを教えてくれました。ところが、電気の利用においてはわれわれにとって、エネルギーのあらゆる形態を、すなわち熱や機械的な運動や電気や磁気や光を、一方から他方に変え、またもとにもどし、こうしてそれらを産業的に利用する、という道が開かれるのです。円環は完結されているのです。そして、ドプレの最新の発見、すなわち、非常に高圧の電流を比較的わずかな力の損失をもって簡単な電線によって従来は夢想もされなかった遠方に伝導して終点で使用することができるという発見は――事態ほまだ萌芽状態であるとはいえ――、産業を決定的にほとんどいっさいの局地的な制限から解放し、きわめて遠隔の地にある水力をも利用することを可能にするのであって、それは、たとえ最初は都市にとって有利になるであろうとはいえ、結局は、都市と田舎との対立を廃止するための最も強力な槓桿となるにちがいないのです。しかし、それとともに生産力もまた、ますます高められる速度をもってブルジョアジーの管理ではどうにもしようがなくなるほどの規模にまで増大する、ということは明らかです。あの偏狭なフィールエックは、そのなかに、ただ彼の愛好する国有化のためのひとつの新しい論拠を見るだけなのです。ブルジョアジーにはできないことを、ビスマルクはやってのける、というわけなのです。」(MEW35巻S.444-445)
また、レーニンが「共産主義とは、ソビエト権力プラス全土の電化である」と言ったということもよく知られている。それは「生産力主義」と受け止められてしまう傾向は否めないにしても、技術と社会の相互規定の問題なのだ。

マルクスとエンゲルスの予想をはるかに超えた資本主義社会の延命は、巨大独占と国家の介入の時代を迎えた。そして、総力戦の時代抜きにはあり得なかった原爆=核開発を経た現代は、とりわけ、この歴史的反省・反照が問われていると言わなければならない。

生産力主義のマルクス主義が第二インター、第三インターが作り出した虚像にすぎなかったように、晩期マルクスに「脱成長コミュニズム」を発掘しようとするのも「成長の限界」の時代風潮にみあったものかもしれない。しかしその代償が、晩期マルクスと晩期エンゲルスの間に「亀裂」を探し回る解釈に終始するならば、現代につながる要素をも多く秘めている晩年の二人の格闘を掴みだし、継承していく道を塞いでしまうだけである。

(12) エンゲルスの問題意識、ヘーゲル自然哲学批判
エンゲルスが、最新の自然科学の進展への関心を自然哲学に結び付けて表明したのは、一八五八年七月一四日付けのマルクス宛の手紙が初めてではないだろうか? 「この三〇年間に、自然科学のなかで行なわれた進歩について、人はなんの概念ももっていない」、と。
「ところで。約束のヘーゲルの『自然哲学』を送ってくれるだろうね。僕はいま、生理学をすこしやっており、それと比較解剖学とを結びつけることになるだろう。ここにはきわめて思弁的な事実があり、しかもそれは、新しく発見されたばかりなのだ。僕は老ヘーゲルが、それについてなにかいっていないか、とても知りたくてしかたがない。彼がこんにち『自然哲学』を書くとしたら、いろいろの事実があらゆる方角から彼をめがけてとんできたにちがいないということはたしかだ。それにしても、この三〇年間に、自然科学のなかで行なわれた進歩について、人はなんの概念ももっていない。生理学にとって決定的だったのは、第一には有機化学の巨大な発展であり、第二には、この二〇年らいはじめて正しく利用されるようになった顕微鏡だ。後者は、化学よりももっと重要な結果にみちびいた。」(MEW29巻S.337-338)
以下、エンゲルスの「自然の弁証法」に連なる興味深い叙述が続くが、テーマから外れていくので省略する。

それから一五年を経て、エンゲルスは一八七三年五月三〇日のマルクス宛の手紙で「自然の弁証法」の着想を伝えた上で、
「君はそちらで自然諸科学の中心に坐しているのだから、それがどうなっているのか、をいちばんよく判断することができるだろう。……もし君たちが、ここになにか真実がある、ということを信ずるならば、それについては語らないで、だれかくだらないイギリス人が僕からこの事実を盗み取ることのないようにしてくれたまえ。加工するにはまだたくさんの時間を必要とするだろう。」(MEW33巻S.80-81)
と結んでいる。

それに対してマルクスが、同年五月三一日の返信で、
「たったいま君の手紙を受け取ったが、それは僕を大いにふんばつさせた。だが、僕はそれについては、その間題について熟考すると同時に「権威たち」の意見を聞く時間をもつまでは、あえて判断を下さないことにしよう。」と書き、末尾で、「 ちょうどショルレンマーがきた。……/ショルレンマーは、君の手紙に目を通してから、根本的にはまったく君と同意見だと言っているが、しかし、より詳しいことは留保してもいる。」(MEW33巻S.82-84)と伝えている。
他にも、自然科学の歴史的=弁証法的考察の書簡を挙げることができるが、いずれにしても、それぞれが勝手に理論作業を進めているのではなくてお互い――のみならずショモレンマーやムアなどの友人たちもまきこんで――の問題意識の共有とそれぞれの熟考が伝わってくるであろう。

さらに、マルクスがエンゲルスの自然哲学批判の作業を仕上げようとしていることを承知しているのは、一八七五年九月八日エンゲルスへの手紙で知ることができる。
「君に注意しておきたい。カール・グリューンが君に競争を挑んでいるのだ。彼は来春に自然哲学上の一著作を公刊するだろう。」(MEW34巻S.11)

そういうなかで、エンゲルスは党の求めに応じて、『反デューリング論』を用意する。それと重なる部分もあるとはいえ、この準備のために「自然の弁証法」のための作業は中断せざるを得なかった。
一八七六年一〇月七日のマルクスからヴィルヘルム・リープクネヒトへの手紙はそうした事情を教えている。
「エンゲルスは、デューリング論文に取り組んでいる。彼にとって、これはたいへんな犠牲なのだ。このために、はるかに重要な仕事を中断しなければならないのだから。」(MEW34巻S.209)
この「はるかに重要な仕事」とは、「自然の弁証法」に関する作業であるというMEW編者による注釈が付いているが、この注釈を疑う理由はないだろう。『反デューリング論』の連載は七七年~七八年である。これらに示されているのは、エンゲルスのデューリング批判、自然の弁証法の作業に対する共感と同伴感覚以外ではない。
エンゲルスをマルクスから切り離して、マルクスを擁護するのではなく、二人の個性の差を認めつつもその二人の統一(一つであること)において、マルクスが完成しえなかった領域の晩期エンゲルスの作業を理解していくことが必要な課題ではないのだろうか。

(13) 歴史的唯物論の一環としての「自然の弁証法」
自然の弁証法の核心は、自然にも歴史がある、ということである。すなわち、自然については「並存関係」だけを認め「継起関係」を認めず、社会については「継起関係」だけを認め「並存関係」を認めないというのがマルクス・エンゲルスのヘーゲル批判である。(マルクス『哲学の貧困』「方法」、エンゲルス『反デューリング論』「序文」等)
また、『資本論』のなかでも、道具と機械の区別を論じている箇所の有名な注で、
「歴史的過程を排除する抽象的自然科学的唯物論」と言っている。
「自然科学的唯物論」とは何か?
「科学の実証的内容がふたたびその形式的側面よりも重きをなす時代がやってきた。」「ヘーゲルは忘れられ、新しい自然科学的唯物論が発展したが、この唯物論は、理論的には一八世紀の唯物論とほとんど違わず、たいていはただ、より豊かな自然科学上の材料……をもっている点で進んでいるにすぎなかった。」(エンゲルス「カール・マルクス:経済学批判(書評)」MEW13巻S.473)
哲学は忘れ去られていいものだろうか?
「哲学の二五〇〇年〔プラス一五〇年――引用者〕にわたる発展の成果」は、無用の長物なのか?
「和解させえないもの、解決できないものと考えられたほかならぬこれらの両極的対立、むりに固定された境界線や類別こそ、近代の理論的自然科学にその狭い形而上学的な性格をあたえたものなのである。こういう対立や区別は、なるほど自然のなかに現われはするが、しかし相対的な妥当性しかもっておらず、むしろ、そういう対立や区別がもっていると考えられている不動性と絶対的妥当性とは、われわれの反省によってはじめて自然のなかにもちこまれたものなのだという認識――この認識こそ、弁証法的な自然観の核心をなすものである。積みかさねられてゆく自然科学上の諸事実にせまられてでも、こういう認識に到達することはできるが、もし弁証法的思考の諸法則の意識をもって、これらの事実の弁証法的な性格に立ちむかうなら、それに到達することはもっと容易である。いずれにしても、いまや自然科学は、もうこれ以上弁証法的な総括をまぬかれられないところまできている。だが、自然科学上の諸経験を総括した成果が概念であること、そして、概念を運用する技術は、生まれつきそなわっているものでも、普通の日常的な意識にともなってあたえられているものでもなくて、ほんとうの思考を必要とするものであり、そしてこの思考は、これまた長い経験的な歴史をもっている点で、経験的自然研究にまさりもおとりもしないということを忘れなければ、自然科学にとってこの過程はいっそう容易になるであろう。自然科学は、哲学の二五〇〇年にわたる発展の成果を身につけることを学んでこそ、一方では、自然科学のそとや上に立つ、どんな特別な自然哲学からもまぬかれることができるであろうし、他方では、イギリスの経験論から受けついだ、それに固有な狭い思考方法からもぬけだすことができるであろう。」(『反デューリング論』「序文」MEW20巻S.14)
これは、現代に発せられている警句ではないのか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?