反・斎藤幸平論――マルクス三昧(1)

〔一〕ハル君への手紙 Ⅰ
 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 上
 〔二〕マルクス・エンゲルス三読 中
    〔二〕マルクス・エンゲルス三読 下
 〔三〕ハル君への手紙 Ⅱ
Ver.1.1(09/03):文字化けの修正、表記の統一、誤変換、語の脱落、等の校正
カッコ内に、頁数のみを表記しているのは『大洪水の前に』からの引用頁。MEWのS.は邦訳版での原頁表記。

 〔一〕ハル君への手紙 Ⅰ

(1) まえおき
いま、評判の斎藤幸平の『人新世の「資本論」』をどう思うかという質問ですが、この本は手元にはありますが、流読、拾い読みした程度で、十分には目を通せていません。ただ、彼の前著、或いは主著と言っていいと思いますが、『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』は、それなりに精読しました。

斎藤の名前は、白井聡の『武器としての「資本論」』の書評(「「批判的破壊力」を持った「使える資本論」再び」https://toyokeizai.net/articles/-/355934)で知りました。その書評は白井本の「包摂」と「物質代謝」というキーワードへの共感が示されていて、興味をもったのです。
というのも、若い世代である白井や斎藤は知らなくても不思議ではないのですが、僕たちが、60年代から70年代初頭にかけての闘争の時代に、まさに「武器」として使っていた概念が、「資本による労働の包摂、すなわち資本家の下への労働者の従隷属」、「大工業の破局、人間と自然との物質代謝の撹乱」であったからです。
※ 前者は、『反合理化闘争 都市交の闘いから』『労働者革命の時代に於ける合理化とは』『滝口弘人著作集』①所収、後者は『現代帝国主義』『「パリ・コミューン」百周年と今日の現実』同②所収、または、http://kf_009.tripod.com/TKess/ 参照)
そして、その当時の斎藤の主著であった、『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』(堀之内出版、2019年4月)が、新MEGAのマルクス抜粋ノートを素材にしているということでますます興味をもったのです。

新MEGAのマルクス抜粋ノートは、大谷禎之介・平子友長による紹介を通して関心を持っていました。どういう関心かというと、当時(2014年)、友人に送ったメールを転載して、説明に代えます。

〈2014/01/14付
年始から、
大谷禎之介・平子友長/編『マルクス抜粋ノートからマルクスを読む―MEGA第Ⅳ部門の編集と所収ノートの研究』(桜井書店、2013年10月)
という本を読んでいました。
マルクスの「アジア論」に対する俗論(小谷汪之『マルクスとアジア』等。遅れたアジアという当時のヨーロッパ的偏見に捉われていた、とする)への反論を簡単に纏めておこうという問題意識で、マウラーからの抜粋ノートに関心があったからですが、思わぬ副産物もありました。
「マルクスの『日本研究』の典拠について」という章です。かねがね『資本論』のなかでのマルクスの日本への言及に関して、マルクスの日本の知識はいかほどのものなのかと思っていたからです。
思いがけない(この抜粋ノートの編集までは誰も予想していなかった)書名が挙げられていました。
リービヒ『化学の農業および生理学への応用』の7版以後に付録として掲載された「H・マローン博士「日本農業に関し、ベルリンにおいて農業大臣に対して行なわれた報告」です。マローンは1860~62年のプロイセン東アジア調査旅行代表団の一員。マルクスは、リービッヒの研究を通して、この「マローン報告書」を知り、11ページにわたって抜粋を行なっているそうです。
この「マローン報告書」は、当時の日本の農業事情を知るうえでも興味深そうですが、あまり知られていません。
椎名重明『農学の思想――マルクスとリービヒ』東京大学出版会、1978では、マローンも少し取り上げているそうですが、もちろんマルクスとマローンの関係は知られていません。
リービヒ『化学の農業および生理学への応用 第11版(付録:マローン報告書)』は北海道大学出版会から、2007年に翻訳が出ています。
……
マルクス研究も、『経・哲』『ド・イデ』や『経済学批判要綱』などの草稿が公刊された時期以来の、「抜粋ノートを視野に入れたマルクス研究」という新段階を迎えているようです。
リービッヒについて、《1868年「資本論』第1巻初版においてマルクスは、「農業についてのリービヒの歴史的概観も、粗雑な間違いがなくもないが、現代の全経済学者の諸著作を合わせたよりも多くの光明を含んでいる」と述べた。ところが1872年の第2版においては「現代の全経済学者の諸著作を合わせたよりも」がとれて、ただ「農業についてのリービヒの歴史的概観も、粗雑な間違いがなくもないが、光明を含んでいる」という控えめな表現に修正された。フォルグラーフ〔4.3巻「解題」執筆者〕は、このわずかな修正の背後に、『資本論』第1巻初版刊行以降のマルクスの農学および農芸化学に関する最新の文献に関する研究の蓄積〔フラース抜粋、等〕とそれによってもたらされたリービヒの業績に対する一定の相対化の痕跡を見出している。》(あとがき)という指摘もなされています。これなどもその成果の一つで、さらにフラース研究によって深められていく課題でしょう。〉

『大洪水の前に』は、抜粋ノート、とりわけフラース評価を基軸に置いたものではありましたが、残念ながら期待外れでした。せめて、フラース・ノートの全文訳でも付録としてつけてくれればよかったのに。

(2) 斎藤のマルクス「改釈」
斎藤のマルクス解釈を簡単に要約すると、当初の生産力至上主義から資本論=持続可能な未来社会=「エコ社会主義」への転換といことです。――そして『人新世の「資本論」』ではさらに、資本論と資本論以後を分離して、資本論以後を「脱成長コミュニズム」という図式にしています。(『人新世』197頁図17参照)
斎藤によれば、ヨーロッパでは、マルクスの「物質代謝論」を巡って、マルクスの「エコ社会主義」評価は珍しくはないようです。斎藤の独自性は、そこにマルクス抜粋ノートの研究を引っ提げて、颯爽と、マルクスの未完のプロジェクトとしての資本論を引き継ぐとしたことにあります。しかし、マルクスがその抜粋ノートを作っていた時期は、単にノートと資本論草稿に没頭していたわけではなくて、パリ・コンミューンの総括を書き上げ(『フランスの内乱』一八七一年四月)、以前の著作の新版の序文(『共産党宣言』「ドイツ語版序文、一八七二年六月」「ロシア語版第二版序文、一八八二年一月」)や『空想から科学へ』「フランス語版序文、一八八〇年」を書いて意見を公表し続けています。自らの転換を沈黙する理由がありません。新しい知見への共感は、自らの見解の豊富化、確証でしょう。そこに別の立場への移行や転換を見出そうとするのは、斎藤本人の姿の投影にすぎません。

マルクスもエンゲルスも一貫して「起源」にこだわった問題意識を示しています。例えば、「種の起源」であり「家族の起源」(『古代社会ノート』)です。敢えて言えば、『資本論 Das Kapital』も資本の起源論とも言えます。なぜ起源論かと言えば、物事の本質は発生の必然性にあるということ、発生の必然性を概念的に掴むことが、発生―発展―没落(廃棄)の必然性を掴むということだというヘーゲルから引き継いだ論理があるからだと思います。
種の起源―発展について、ダーウィンの登場を高く評価し、歓迎しながらも、必然性についての論理(生存闘争)については当初から不満を持っていたために、環境と主体(あるいは種)の相互作用・相互変化に着目するフラースの著作は、マルクス・エンゲルスの問題意識に沿っていて大歓迎だったのでしょう。
さまざまな抜粋ノートの存在は、さまざまな関心領域の新たな成果の吸収・学習に貪欲に取り組んでいたことの証明ではあって、また時に自らの見解の深化・修正をもたらすことがあったとしても、方法は一貫しているのです。そして、マルクス・エンゲルスは公開していた見解の修正は明言するのが常でした。
抜粋ノートの問題意識に想像をめぐらすことは悪いことではないでしょう。それに刺激されて自らの思考が深まるのならマルクスも喜ぶかもしれません。しかし、その結論をマルクスのものとしてマルクスに押し付けるとしたら、こんなに迷惑なことはないでしょう。〈先入観〉は、理解を深める助けにもなりますが、使い方を誤ると理解の邪魔になります。

SDGsをアヘンだとするのも斎藤の独自のものではなくて、ジジェクがエコロジーを「新たな大衆の阿片」に過ぎないとしているものを受けてのものです。(291頁)
SDGsが所詮、資本主義の枠内の改良にすぎなくて、根本的革命の妨げになるというのは、「改良か革命か」という旧い言い回しの繰り返しです。環境問題の解決は、資本主義の枠内では果たせないという断言も「左翼的言辞」としては目新しいものではありません。
しかし、他方で、「マルクスは資本主義が恐慌によって崩壊するだろうという予測を『共産党宣言』においては持っていた」(272頁)が、その後「マルクスは恐慌待望論ではなく、労働組合などを通じて物象化の力を制御し、より持続可能な生産を実現するための改良闘争が持つ戦略的重要性を強調するように転換していくのである。」(325頁)とも述べています。
「資本主義が恐慌によって崩壊する」という自動崩壊論のような叙述も如何なものかと思いますが、「恐慌待望論」から「改良闘争が持つ戦略的重要性」への転換というのも、マルクスたちの実践の意味がつかめていません。
例えば、恐慌の見通しについて、社会主義者取締法の下で獄中にあったベーベルからの手紙を巡ってマルクス・エンゲルスのやり取りがあります。
エンゲルスからマルクスへ「きょう受け取ったベーベルの手紙同封する。……それによって彼らが社会主義者取締法から解放されることができるもの、それはもちろんロシアにおける恐慌の突発だ。奇妙なことに、あの連中はみな、あちらから衝撃がくるはずだ、ということに慣れることができないのだ。……新たな大きな恐慌への彼の期待は僕は早すぎると思う――一八四二年のような中間恐慌は起こるかもしれないが、そのさい、世界市場需要のおこぼれに満足せざるをえないでいる、工業的に最も立ち遅れた国ドイツは、たしかに最もよく耐えるだろう。」(一八八二年一一月三〇日、MEW35巻S.121)
マルクスからエンゲルスへ「同封したベーベルの手紙、これは僕にはたいへんおもしろかった。そんなに早く産業恐慌が起こるとは僕は信じないが。」(一八八二年一二月四日、MEW35巻S.123)

 いまではこの時期は、二十数年(1873年~1896年)にわたる大不況期として捉えられ、帝国主義段階への過渡の時期とされています。一〇年ごとの恐慌が形態変化を遂げていく時代を、そのさなかには、マルクスですら捉えることはできなかったのでした、当然のことですが。しかし、今はそれが問題ではありません。
斎藤の想像するマルクスとは異なって、ここでマルクスもエンゲルスも革命(社会主義者取締法からの解放)の引き金としての恐慌は否定していなくて、恐慌の見通しを早すぎると否定しているにすぎないのだということです。
マルクスやエンゲルスの限界――時代的制約も含めて――を指摘することが駄目なのではなくて、誤解・曲解による肯定も否定もむなしいということなのです。

これからも、常に問題は、改良か革命かではなくて、改良と革命のあいだの架橋です。僕たちはそれを「過渡的諸方策」「過渡的諸要求」と称していました。
〈過渡的諸要求の一つ一つを孤立的に取り上げて見れば、全てブルジョア社会の限界内の要求である。しかし「一連」の過渡的要求又は過渡的要求の「全系列」、過渡的要求の「全部」の実現は、ブルジョア社会の限界を超えており、結局賃金制度の廃棄に導く。過渡的諸要求の一つ一つは「原因」に手をかけるものではなく「結果」にかかわるに過ぎぬが、その全系列は、単なる結果にとどまらず、原因と結果が一つになった〝一つの原因〟又は〝相互作用の総体〟であり、一つに手をかければ次々に手をかけていかざるをえないような関連にある。過渡的要求は、労働と資本の関係に本質的な変化を少しももたらさないものでありながら、革命の主体をなす、労働者大衆の革命的成長の促進にとって条件となるようなものでなければならない。それは、労働者階級にとって直接の成果になるとともに「真の成果」将来の一般的解放のためにも成果となるような要求でなければならない。〉
私たちに必要なのは、SDGsに対する外的な批判の御託宣ではなくて、過渡的諸方策を練り上げていくことだと思います。

(3) 生産力主義
マルクス主義への生産力至上主義とかヨーロッパ中心の単純発展史観という見方はすでに陳腐とさえいえるマルクス批判です。その批判対象となっているマルクス主義理解は、いわゆるマルクス・レーニン主義としてスターリン時代に定式化されたものです。その際にエンゲルスの叙述は分かりやすい定式化に向いたものとして多用されました。
とりわけ生産力主義は、スターリン時代の「一国社会主義」路線の下での社会主義建設、資本主義に対する優越性の顕示という必要性から提起されていったといえるのではないでしょうか。
スターリン主義批判以降60年余、すでに多くの批判的論考が積み重ねられてきています。

生産力主義という批判は、多くの意味で使われているようで、一言で反批判することはむずかしいですが、いくつかのポイントだけ。
まず、一つは時代背景です。青年期のマルクス・エンゲルスの時代、マルサスの人口論――これはマルサスの独創ではなくて、むしろマルサスの剽窃としてマルクスは『資本論』のなかで説明していますが――として知られている、人口増大と食糧供給の(数学的)関係から貧困問題を論ずるマルサス主義について、生産力の限界は資本主義特有の問題だという強調があったのだと思います(例えば、エンゲルスは『国民経済学批判大綱』一八四四年ですでにマルサス批判を取り上げています)。そして、まだ資本主義の矛盾が10年ごとの周期的産業恐慌として現れていた段階の下でした。

次に、20世紀マルクス主義の問題として、資本主義の下での生産力の発達(生産の社会化の進展)は社会主義を準備するものである、従って、それには反対できないという態度があります。第2インター、第3インターの問題で、これは、資本主義も含めて、これまでの歴史のなかでの社会化は「疎外を通して」「対立の下で」発展するということを見落としているという根本的な点で、マルクスからの逸脱です。それは科学技術は中立的であるという資本主義の下での科学技術に無批判的になる傾向と同一のものだと思います。
 全共闘運動に表現される、「新左翼」的傾向は、この科学技術批判を孕んでいたことが大きな特徴の一つでした。

(4) 追伸:コモンとしての管理
斎藤独自の特徴は、マルクスによる、マウラー、フラースに対する「無意識的な社会主義」という規定を手掛かりにして、コモンを強調することにありますが、『大洪水』では、一箇所、「それは自然を私的所有の制度から切り離し、コモンとして民主主義的に管理することにほかならない。」(324頁)と出てくるだけですので、コモンについて、『人新世』を拾い読みしました。
「〈コモン〉という第三の道」という節で、
「アントニオ・ネグリとマイケル・ハートというふたりのマルクス主義者が、共著『〈帝国〉』のなかで提起して、一躍有名になった概念」として、「〈コモン〉とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指す」と説明します。
そして、「つまり、市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。第三の道としての〈コモン〉は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す。」(『人新世』141頁)といっています。
すんなりと読み流せば耳障りのいい文句が並んでいて問題はないようですが、立ち止まって考えると、「自分たちで民主主義的に管理する」という「自分たち」とはどんな人たちでしょう? 自分たちでないものとはいかなる存在なのでしょう? 「民主主義的に」とはどういう形態なのでしょう?
そして、これは当面の目標なのか、究極の目標なのかも、はっきりしていません。これでは賃金労働の廃棄に向かうことはできません。
確かにこれは、「ソ連型社会主義」と異なっているのは分かりますが、明らかに、マルクスの道とも異なっています。マルクスの道は、労働が作り出したのではない生産手段(土地に代表される、空気・水・土地等々)と労働によって生産された生産手段の双方の共同占有なのです。労働が作り出した生産手段の共有を言えば、生産力主義に陥るというのでしょうか?

そして気付いたのですが、資本論以後を「脱成長コミュニズム」とするという『人新世』での変更は、予想以上のものでした。なぜなら、その立場を「ゴータ綱領批判」、「ザスーリッチ宛の手紙」としているからです。これは『大洪水』で自らの優越性を「抜粋ノート」の研究成果に置いていたことからすれば、〈後退〉というか、せっかくの管制高地の放棄ではないかと思います――余計なお世話ですが。(2)でノートと同じ時期の文章を挙げた時に、敢えてこの二つの文書は、挙げませんでした。それは公刊された文書に絞ったからです。「ゴータ綱領批判」が書かれたのは一八七五年五月、仲間への回状としてで、公表は、一八九一年にエンゲルスが(!)ドイツ社会民主党執行部の反対を押しきって『ノイエ・ツァイト』に発表したものです。「ザスーリッチ宛の手紙」は、見解の公表は前提にしたものではあっても、私信でしたから。
この「ゴータ綱領批判」、「ザスーリッチ宛の手紙」(下書きも含めて)は、少なくとも日本では六〇年代からさんざん議論されてきたものであって、よほどの新しい視点の提起がない限り、マルクスの転換の根拠とすることはむずかしいでしょう。

 ザスーリッチ宛の返信は、斎藤もそうしているように、『共産党宣言』「ロシア語版第二版序文、一八八二年一月」(MEW19巻S.295)と並べて評価されるべきものです。ところがこの序文はマルクスとエンゲルスの二人の署名で書かれています。マルクスだけが資本論以後に「転換」して、エンゲルスはそれが理解できていないという晩期エンゲルス批判との整合性が問われます。そして、斎藤が、経済成長と持続可能性の二点について、正反対とした『共産党宣言』に付された序文なのです。もし斎藤の推測が正しいとしたら、それを明言しないマルクスは、極めて不誠実な人間だということになりませんか。
それは「ゴータ綱領批判」についても同様です。この文書は、ゴータの大会でマルクス派(アイゼンナッハ派)とラサール派の合同に当たってマルクスが原則綱領での妥協を強く批判して書いたものです。マルクスの過渡期社会のイメージ(『資本論』のなかで散見されるとはいえ)のまとまった展開として注目されてきた文書です。この原則綱領の重要性を説いた手紙(回状)で、自らの転換を明言しないということがありうるのでしょうか?
マルクスに刺激されて、新たな思想を提起するのは勝手ですが、先にも書いたように、それをマルクス自身のものとして強弁するのは虎の威を借りる新たな権威主義だと思います。

マルクスの『資本論』や『ゴータ綱領批判』の展開は社会的結合(社会的関係)の変化がキーポイントで、それによって、意識も欲求も変化するということなのです――そしてそれがマルクス・エンゲルスの出発点以来の歴史的唯物論なのです。
それに対して、斎藤の場合、コモンの社会的共有は道徳的・倫理的要請という側面を強く感じます。

斎藤は、『人新世』の「『ゴータ綱領批判』の新しい読み方」という節で、「「協同的富」という言葉に注目して」(200頁)、このゲノッセンシャフトは、マルク協同体の共同所有の研究からマルクスが新たに取り入れた知見が、影響している可能性があり、そうであれば「協同体的富」と訳すべきだろうとして、「それは要するに定常型経済の原理のことであ」る、とする(202頁)のですが、翻訳語をこねくり回すだけて何かが生まれるわけではないでしょう。何よりも、もしゲノッセンシャフトリッヒの形容句が「定常型経済の原理」へのマルクスの転換を意味するほど重要な事であるなら、マルクスはなぜそれをきちんと展開しなかったのかの理由がわかりません。
マルクスは、ザスーリッチの手紙への回答の下書きで、「近代社会が集団的な所有および生産の「原古的な」型のより高次な形態へと復帰すること」(第一稿)「協同的生産をもって資本主義的生産に代え、原古的な型の所有のより高次な形態、すなわち<集団的>共産主義的所有をもって資本主義的所有に代えること」(第二稿)と、共同所有の高次な形態での復活以上のことは言っていません。高次をどう捉えるかですが、それは資本主義的生産の肯定的な諸成果を引き継ぐということです。太古への後戻りではないということです。そしてそれは同時に、意識と欲求の変化をともなうことなのです。価値のための生産の結果である無際限の致富欲は根拠を失い消滅するでしょう。

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