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7つの罪

つつみたる 罪の縁(え)にしを絶たざれば 神と人との仲やたがはむ  (佐野経彦詠)

『7つの習慣』は世界的に有名ですが今日は「7つの罪」について学びましょう。


罪とはツツムということを縮めたもので、つつみかくすことが罪という言葉のもとになっています。罪には、七つあるといわれています。


①怠り(おこたり):出来るだろうと思っても、放漫が惰性となり、行動する気が起きないこと。
②詐り(いつわり):心が弱まり、人を騙しても目先の欲を満たそうとする。その場をとり繕おうと真実を偽り隠すこと。
③貪り(むさぼり):足りているにもかかわらず、もっと欲しい気持ちが止まらないこと。
④憤り(いきどおり):怒りが心を焼き、自分を制御できない苦しさに、さらなる怒りが燃え上がること。
⑤慢り:他人を見下し自慢し、必要以上に心を高揚させ、劣等感・不安を覆い隠すこと。
⑥憂い(うれい):自らの心配が必要以上の心配を生み、生きるのが苦しいくらいに悲しむこと。
⑦怨み(うらみ):怨みが心を焼き、自分を制御出来ないくらいの苦しさに、さらなる怨みが燃え上がること。

私たちの住む世界は、『清なるもの』と『濁なるもの』との共存する世界です。人間は、この世で生きていくために罪を犯さない人は、だれ一人いません。まず、人がどのような罪を犯すのかの七罪を知り、これらを日々の生活で抑える努力をして、罪を作らない生き方をしなければなりません。


神様の分霊である清々しい心は、罪に包み隠されますと、神様とのつながりが閉ざされ途切れてしまいます。このような状況に陥りますと神様やご先祖さまからの徳・守り(=気)が届かなくなって(=枯れて)しまいます。これを気・枯れ、すなわち〝穢れ〟といいます。罪が<原因>となり、〝穢れ〟は神様やご先祖様の徳・守りが届かない<結果>です。神様やご先祖様の徳・守りが届かなければ、この世の日常生活が何をやってもうまく事が運ばず何かと災難やトラブルが襲います。些細な罪も塵も積もれば山となります。自分自身の罪は、自分の責任において現世にいる間に綺麗にしておきましょう。

罪は家や身の汚れで、神様との仲を遮ることになります。病気・災難は罪の祓いです。そうした強制的な祓いが来ない前に、自分から祓いになる行為を考えなければなりません。罪はどうしても祓う義務があるのです。神様の働きは、絶えず濁りを清め、不正を正すことです。


神様は、罰を与えるご存在ではなく、犯した罪に気づかせ、祓いを促し、神気を戴き、徳を積む大切さを伝えているのです。穢れていると神様やご先祖様は、いくら助けたくてもそれを助けることができないのです。先祖祭祀が行き届きご先祖様が高天原(天国・極楽浄土)に鎮まる家庭は、不幸や災難が起こる前に、必ず「夢」や何かしらの事柄を通じて「みしらせ」(=予兆)を戴けるものです。

ご先祖さまからの夢や予兆を戴くためには、自身の穢れを祓い清め、清々しい御霊なることで感受できます。


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