わかりにくい「生きづらさ」

ここ数年、「生きづらさを抱える」という表現をよく見聞きするようになりました。多くの人が、なんらかの「生きづらさ」を感じている、あるいは、一時期でも感じたことがあるのではないでしょうか。

私の場合は、中学生の頃から何度も霊にセックスを強要され、安眠できず、自分の身体なのに、女性器の辺りだけ、この世に属さず、あの世に持っていかれているような感覚を持って、生きてきたこと。そして、それを誰にも相談できない、誰にもわかってもらえない、同じ体験をした人を他に知らない、自分独りきりであるという孤独感、疎外感、そして、自分自身の「穢れ感」がありました。

この「穢れ感」というのがなかなかの曲者で、「他の女性と違って、身体がキレイじゃないから、自分は幸せになる資格がない」と心のどこかで思っていたようです。また、周囲の女性の「カゲのなさ」を羨ましく思い、「カゲのある自分は暗がりが似合っている」と、他の女性と自分を分けて、「完全には仲間になれない感じ」の疎外感を持っていたように思います。

現代社会は、目に見えないものを何もかも「ないもの」にしてきてしまったので、わかりにくい「生きづらさ」、想像もつかない「疎外感」が、あちこちに転がっているような気がします。
そんな生きづらさや疎外感も、口に出して話してみれば、小さく軽くなって、やがてあまり気にならなくなるのではないかと思います。

そういうことが何でも話せる場をつくっていきたいと思っています。


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