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消費者、地場産業との提携や新規就農者の育成に尽力された金子美登さん

埼玉県小川町の霧里農場・金子美登(かねこよしのり、1948-2022)さん。1988年5月に始めて訪ね、その後何度もお会いする機会がありました。


有機農業に手さぐりで取り組む

日本有機農業研究会の設立に関わった一楽照雄(1906-94)氏から教えを受け、農家の後継者として手探りで有機農業を始められたそうです。

有機農業を始めた当初は、多くの牛を飼っておられ、牛糞を堆肥化して栽培されていました。その後、牛の頭数を減らし、落葉などの植物質を主体にし牛糞の割合を1割程度に減らした堆肥を施用するようにしてから、農産物の病害虫の被害は大幅に減少したそうです(牛の糞尿は、1994年ごろからバイオガスプラントの原料として活用し、エネルギーも自給できる農業を目指しています)。

消費者との提携

金子さんの有機農業は、自らが生産した農産物で自給することから始めました。そして自給の延長線上と位置付けた消費者と提携し、農産物の価格を決めずに「お札制」で頒布したそうです。

冷夏で米が不作の年には、麦の作付け面積を増やすなど、有機農産物を年中食べることができるように作付けを変更されたところ、消費者からは「農家と提携することの本当の意味が理解できた」と言われたそうです。

有機農業での就農者を育成

多くの研修生を受け入れ、自立できると思った方には地域の集会で紹介し、地元で新規就農できるように支援をされました。
研修生の中には、アトピー性皮膚炎がひどく仕事が続けられなくなり来られた方もいました。営業で食事の時間も取れず、出来合いの食事を続けていたそうです。
金子さん宅で寝泊りし食事をともにしたところ、2週間でアトピー性皮膚炎が治ったとのこと。金子さん自身も食事の大切さを改めて実感したそうです。

地場産業との連携

金子さんからは、将来、地元の酒蔵と提携し有機米の日本酒をはじめ地場産業に有機農産物を使った商品を作れるようにしたいことなどを聞きました。2006年12月の有機農業推進法施行後に、改めて訪問したときには、地場産業との連携を実現されていました。

その後、金子さんは全国有機農業推進協議会理事長として、有機農業の普及を支援する活動に取り組み、生涯をその推進に捧げられました。
なお、霜里農場は後継者によって受け継がれています。

追伸

埼玉県の「令和5年度 埼玉・農のエコロジーアワード」大賞に霜里農場が受賞しました。


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