見出し画像

対談 都築潤×南伸坊×伊野孝行    第1回「自由を感じるのはどっちだ」


都築潤さんをゲストにむかえた対談は、新コロのために、いろんなイベントの中止が発表されはじめた2月下旬、TIS ( 東京イラストレーターズ・ソサエティ)の事務局を借りて収録した。休日で事務員は誰もいない。コンビニで買ってきたお酒とつまみを並べて待っていた。ビールのロング缶3本、ハイボールのロング缶3本。ちょっと多かったか。約束の時間少し前に都築潤さんが現れる。南伸坊さんが到着するまで都築潤さんと雑談をしていた。都築さんは3年前にパパになった。その名残りから対談ははじまった。(構成:伊野)

絵を見てる時にお尻を触ってくる人がいた

伊野孝行 結婚して子どもができて、昔の仲間で集まった時に、子どもを連れてくると所帯染みてくるじゃないですか、なんか雰囲気が。あれがヤでしたね。都築さんは逆に「所帯染みたかった」って(笑)さっきそんな話してたんです。

都築潤 所帯じみることは所帯じみますね。絶対に(笑)。

南伸坊 伊野くんの結婚しない主義って、けっこう強固だよね。

伊野 ま、一応いまだに長沢節先生の教えを守ってるんですけどね、形式上だけは。

都築 セツさんが独身主義なの?

伊野 長沢先生ははっきりとは言わないですが、どっちかっていうと女より男の方が好きだってのもあるかもしれないですけど。

都築 ぼく、お尻、触られましたよ。

南&伊野 うはははっ!

都築 原宿の駅前にアットギャラリーっていうのが80年代にあったんですよ。すぐ潰れたんだけど。そこでセツ関係の展覧会やってたから見に行って。そしたらセツさんがいて、いや、セツさんがいてというより、絵を見てたら誰かがお尻を触るからあ(笑)。

伊野 客の尻を触る(笑)。触られた後、なんかしゃべったんですか?

都築 「こんにちは」くらい言ったかもしれないけど(笑)。でも全部見ないで出てきちゃいましたね。ちょと気持ちが……。

 怖くなっちゃった? あはは、可笑しい。

画像1

■長沢節(1994年頃、セツ・モードセミナーの庭で。左は伊野です)

伊野 長沢節は結婚以前に、一緒に住むことも良しとしてないんです。一人でいて寂しくなるから相手に会いたくなるんだっていう考え。先生はマチスが好きだったんですが、絵を家に飾りたいとは思わないって。絵が見たくなれば美術館に行って見る。求める気持ちをちょっと飢餓状態にしておく方が、他人も大事にできるっていうスタンス。確かに、この絵いいなって思って買って、家に飾っておくとそのうち見なくなりますよね。当たり前の調度品になっちゃって。

 それはなんかわかる気がするね。赤瀬川(原平)さんはけっこう自分の好きな絵を買いたいほうだったね。でも若い頃は貧乏で買えなかったんだけど、年寄りになってから中西夏之さんの絵を買ったりね。その時は中西さんも年寄りになってた。中西さんも亡くなっちゃって、もう、ハイレッド・センターは3人とも、誰もいないんだよね。

都築 中西夏之さんの展覧会、見に行きました、そういえば。松涛美術館で。

 紫と白のやつ?そう、その頃の絵ですね。赤瀬川さんが買ったの。

美術史には綿々と続く命題がある。らしい


伊野 都築さんは絵買ったりします?

都築 しなくはないですけど、知り合いのですね……中ザワヒデキさんとか。

 知り合いのってのは、付き合い?

都築 付き合いで買うっていうのともちょっと違うかもしれません。研究材料ですね(笑)。

伊野 今日はね、中ザワヒデキさんの話も出るかと思って、持ってきたんです。これ都築さんがくれたんです。(と、バッグから『西洋画人列伝』を取り出す)

都築 あ、そうだっけ。

伊野 僕が2010年に『画家の肖像』っていう画家のポートレートをいっぱい描いた展覧会をやった時に、都築さんが見にきてくれた後に、こういう本あるよってくれたの。

 へ~どういう本?

伊野 西洋美術史に出てくる画家を、その画家本人になりきってしゃべってる本です。そんで初期のデジタルで「へた模写」もしてるっていう。伸坊さんが「本人術」で内田裕也とかになりきってしゃべってるのと近いかもしれないですね。内容はわりと真面目なんですが、普通の本で勉強するよりも、ずっと楽しく勉強できますね。

画像2

■ 中ザワヒデキ 『西洋画人列伝』(NTT出版)

 わあー、みんな感じでてるね。(模写の絵を見ながら)

都築 面白いですよ。

 オレ、美術の歴史とかって全然興味なかったけど、最近になって本を読んだりするとさ、それなりに面白いのな。

伊野 都築さんも詳しいですよね、美術史。前にホラ、イタリアのナントカ派とナントカ派が……っていう話してたじゃないですか。

都築 あ、それはこの人(中ザワヒデキ)が大もとですね。この人とそういう話をずっとやってきて。それで、なるほどと。いまでもすごく思ってることがあるんですよ。

伊野 何をですか?

都築 そのヴェネツィア派フィレンツェ派っていう話。
ルネサンスの頃に発生して、ヴェネツィア派が色彩、フィレンツェ派が線やデッサンをそれぞれ重視してて。それは美術史に綿々と命題としてずっとあるんだけれども、現在はパソコンの「photoshop」と「illustrator」に引き継がれてるっていう話なんです(笑)。

 え?「photoshop」が線で?

都築 いや、「photoshop」が色彩で、「illustrator」が線ですね、アウトラインですから。

伊野 引き継がれてるっていうのは、アドビのソフトを開発したのが西洋人だからなんですかね?

都築 西洋人が開発したものなんですけど……それに詳しい日本人の博士に一回会って聞いたことがあるんです。「なんでその二つになったんですか?」って。そしたら「あー、なんでですかね?」って答えしか帰ってこなくて(笑)

 あははは。

都築 ただ「photoshop」はピクセルが集まって出来てるでしょ。これってたくさんの粒子(原子)が集まって世界がつくられてる、現実世界の物質性を真似てるんです。
かたや「illustrator」はアウトライン、べジェ曲線。つまり現実世界には存在しない「概念」でつくる考え方です。

伊野 伸坊さんは「おれ最近、やっとスッと言葉が出てくるようになったんだよ」「なんて言葉ですか」「ホームページ!」……という方なんですけどこの話は伝わってますかね、べジェ曲線(笑)。

都築 うははは。

 そうそう、やっとホームページって言えるようになった(笑)。

都築 とにかく、原理的には線と色彩の、その二つしかないんですよ。絵画の歴史でもそういうことが言われ、コンピューターのグラフィックスの世界でもそういうことが言われてる。今、どんなにグラフフィックが発達したとしても、原理はその二つしかないんです。

 コンピューターで色を出す時には、例えば、紫色なら、ピクセルがいくつか集まって紫になるの?それともそれ自体が紫なの?

都築 ピクセル自体が紫の場合もあるし、100個くらい集まって、赤と青で紫になる場合もあります。その場合は網膜混色になりますね。前者だと最初からその色だけなんですけど、色が限られてて。昔は256色しか出来なかったのか、今は32000色でしたっけ?それくらい最初から指定できる色があるみたいです。

 へ~、それは初めて聞いた。

都築 技術自体は上がってるんですけど、やり方はその二つの方法しかなくて、たとえ3Dになっても原理は同じということなんです。中ザワヒデキさんはそれを言いたいがために、絵画の歴史をさかのぼってあの本を書いたんじゃないのかな。

伊野 じゃあ『西洋画人列伝』はそのための前章みたいなもんですか(笑)。

都築 みたいなもんですね。それをどうやって世間の人に面白く伝えられるかっていうのを考えて書いたんじゃないかなって思うんですけどね。

「形態」と「色彩」に「質感」が参戦

伊野 そうなんだー。でも、西洋美術って浮世絵なんかと違って、線自体を描かないじゃないですか。

都築 そういう意味では輪郭線は描かないんだけど、フィレンツェ派は形態派と言って、例えばダ・ヴィンチが「スフマート」っていう技法で、混ぜるでしょ、絵の具を。

伊野 スフマートってなんでしたっけ?

 薄い絵の具で何度も何度も塗ってボカしていくやり方ですね。

画像3

■ レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」(部分)

都築 そうそう、そういう風にやる方式と、同時期にヴェネツィアにティツィアーノという画家がいて、その画家は色彩で筆の筆触分割をする。ダ・ヴィンチがパレットで混ぜるやり方と全然違うやり方なんですよね。

 あーなるほどね、パレットで色を作って絵にのせてそれを滑らかにしていくのというのと、違う色を置いていくやり方の違いね。筆触分割ってったら印象派だと思ったら、昔からあったんだ。

都築 あったんですね。それを指摘している評論家が19世紀にはいたんです。「線的」「絵画的」っていう言い方をして。「線的」が形態派で「絵画的」が色彩派ですね。
[ 都築 註:ハインリヒ・ヴェルフリンが『美術史の基礎概念』を刊行したのは1915年]

 それとは違うと思うんだけど、ぼくも似たようなことを感じてて。つまり、絵の面白さって、透視図法だったりとかデッサンの見事さで見せていく絵と、細部の「質感」の表現で人を驚かすっていうのがあって、質感表現の発達した方では形が少しくらいヨレても気にしないんですよ。

都築 そうですね。

 形がしっかりとれているものと、質感が出てる方だと、まあ人それぞれかもしれないけど、やっぱり普通の人は質感表現がカンジ出てるものの方に感動するよね。

都築 あー、そうですかね。

 うん、ものすごくデッサンがとれてるっていっても、デッサンがちゃんととれてるかどうかふつうはそんなにわかんないじゃん(笑)。質感は部分をむやみに観察することで再現できるわけだよね。線と色彩というのとはちょっと違うんだけど。このあいだ、伊野くんと話した時に、北方ルネサンスの話をしたんだけど、都築さんの話はそういうのとは違うの?

伊野 ヤン・ファン・エイクとかですね。質感はめっちゃ出てるけど、形は歪んでる。

画像4

■ ヤン・ファン・エイク 「ヴァン・デル・バーレの聖母子」

都築 いや、リンクはしてると思います。質感は光の反射率ですし、金属みたいに写り込みが激しいものはかなり反射率が高いですよね。鏡はその最たるもので。光はやっぱり色彩だと思います。だからお話を聞いてると、あながち遠くはないと思っています。

 印象派が筆触分割をしたっていうのがさ、スーラがやった時に、色彩理論は前段階としてあったんだろうけど、製版技術はなかったんだよね。印刷の、三原色を並置することでいろんな色が表現できるっていうのは、光学的にあったのか、スーラたちがやったことによってもっと進んだのか、どっちだろう。

都築 どっちが先なんですかね?

 別にどっちでもいいんだけどさ(笑)。画家が直感的に得た技術を元に、科学者がそっから進めたとなると結構いいカンジだけど、きっとそうじゃないと思う(笑)。
スーラの絵って、実際に見ると不思議な感じがするんだよ。4色分解の印刷を拡大したっていうのとは違うんだよ。なんか明るい。ハレーション起こしてるみたいな。現物は「おっ」と思うね。

都築 スーラは4色以上使ってますよね。

 使ってる、使ってる。それは光の三原色とかまでは、考えはいってないと思うんだよね。ただ色を並置することによって、実際に離れて見れば、色が混じるからね。

都築 中ザワヒデキが一番尊敬してるのはスーラなんですよ。

伊野 ほ~っ。

 え~! スーラの絵ってめっちゃくちゃつまんないじゃん!(笑)。

画像5

■ ジョルジュ・スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

伊野 ゴッホもパリに出てきた時に、スーラの真似して描いてたんだけど、これはやっぱりどうなんだろうと思い直して(笑)、やめてましたね、あの描き方。

 でも色を置いていくってことが面白かったんだろうね。グイグイって置くようになってくるわけですよ。グイグイってタッチを残すのはゴッホが発明したようなもんだよね?

伊野 ですかね。もともとパリに出る前からグイグイとは描いてたんですけど、点描っぽい描き方はパリに出てからかな。

 ゴッホの点描みたいなので綺麗なのあるよね。

都築 うん、ありますね。

日本洋画の父の父、ラファエル・コランの衝撃(笑)

 もう一つさ、日本の絵の描き方と、西洋の絵の描き方が違うってことあるよね。もともとは一緒だったんだよ、さかのぼれば。ヨーロッパも中世の絵とかには輪郭線があるじゃない。最初は線で描いたところに塗り絵みたいに色を塗っていったわけだけど。ステンドグラスみたいなもんだよね。おそらく、レオナルド・ダ・ヴィンチとかが、より感じを出すために、陰影重視で輪郭線とか出さないようにしていった。陰影重視が西洋と東洋の絵の根本的な違いだよね。なにしろ陰影ってもんを日本の絵はまるっきり無視するんだから。後で浮世絵がやって来た時にビックリした。東洋で進んでいったもう一つの絵の達成に。

都築 はい、ビックリしましたね。

 おそらく、西洋は本物の絵を描くためには、石膏デッサンは必須の作業だと思ってずっとやってた。それで明治になって黒田清輝なんかはむこうに行って習ったときは、石膏デッサンやらなきゃってんでものすごくうまいわけですよ。でも、19世紀はすでにそういう絵の流れが変わり始めてたんだけどね。

都築 でも、黒田清輝が習ったのはラファエル・コランっていう、むこうでもあまり知られていない三流の画家なんですよね(笑)。

伊野 そう!ぼくも何年か前に藝大の美術館でやってた黒田清輝展を見に行った時に、はじめてラファエル・コランの絵を見てショックでしたよ。え~!この人が日本の西洋画の先生かよって(笑)。外光派って言われてるのに人工的な照明を当てまくった、甘ったるい通俗的な絵ばっかりで。確かに……三流だったなぁ(笑)。あれはどういう師弟関係なんですか?

都築 パリのエコール・デ・ボザールっていう学校の先生だったんですよ。

画像6

■ ラファエル・コラン「フロレアル」

伊野 でも、師弟関係って弟子が師匠を選べるものなのに。この人の絵が素晴らしいって思って弟子入りしたんですかね。見る目がないなぁ(笑)。たまたま担当の先生だったんでしょうか。

都築 あーどうなんでしょうね。何人か一緒にパリに行った人がいるでしょ。

伊野 もともと絵の勉強をしに行ったわけじゃないですもんね、法律でしたっけ。

 そう、だから、まあ人間関係じゃないっすか。

伊野 黒田清輝がついてたお師匠さんが石膏デッサンを大切にする人だったから、それを日本に持ち帰って藝大の入試にしたっていうの、都築さんにずいぶん前に聞いて、その時はじめて知りましたね。

都築 ラファエル・コランも形態派だったんですよ。上手くはないけど(笑)。エコール・デ・ボザールでもずいぶん昔から、色彩派と形態派で学生同士が討論になってたらしいんです。

南&伊野 へ~。ほ~。

都築 最初の討論がプッサンとルーベンスなんですね。プッサンは形態派でルーベンスが色彩派で。どっちが優位かって。歴史上、節目節目でそういうことが起こっていて、たぶんいまだに議論になっているんじゃないかと。

 オレ子どもの頃からルーベンスの裸が大っ嫌いでさ(笑)。

画像7

■ ピーテル・パウル・ルーベンス「三美神」

都築 「フランダースの犬」はルーベンスの絵の前で死ねてすごく幸せだったのに(笑)。

 そっちは知らなかったんだけどね(笑)。中学生の時に、美術の先生の個室があって、鍵なんてかけてないから勝手に入れるんだよ。だから勝手に入って画集とか見てたわけよ。
そしたら担任の女の先生が美術の先生に「先生、鍵ちゃんと閉めてください」って言ってんの。美術の先生は「えー? なんで?」って言ったらさ「生徒が入ってって裸の絵とか見るじゃないですか!」って。
それで「はー、わかりました」って言ってその美術の先生がオレんとこへ来てさ「裸の絵たってなぁ、芸術じゃねぇかなあ」って言うんだよ。もちろんオレはエロい裸の絵がないかなと思って見てたんだけどさ(笑)。
でもルーベンスの絵は全然エロくないわけですよ。ものすごいデブ。病的に太ってる。あの人はブクブク太ってるのが好きなんだろうね。金魚でいうとリュウキンが好きみたいな(笑)。だってビーナスがデブなんだよ~。

都築&伊野 あはははっ。

自分はどっちに自由を感じるか

 その頃、イタリアに行けばちゃんとお手本があって。絵の描き方もカラヴァッジョの頃だから、もう、ガラッと変わり出したわけでしょ。ルーベンスはどうも知らないんじゃないかと思うんだよね、「画家の秘密」を。知らないか、それとも自分はそういう描き方はしたくないと思ったか。

伊野 「画家の秘密」というのは、カメラオブスクラという光学装置を使って描く技術のことですね。それで写実度が飛躍的に増した。実はルネサンスの頃からそういう描き方が発明されて、職業上の秘伝みたいなもんであったと。

南 だからルーベンスが色彩派だって言うのは、なるほどなって思った。形を透視図法的にしっかりしたいっていうタイプじゃない。

都築 うん、そうそう。

 確かに質感はすごい出てて、影の当たり方とかも理屈としては合ってるんだけど、なんか作り物っぽいんだよね、全体が。写真を引き写したような感じじゃなくて、なんか「絵っぽい」、作りものっぽい感じがしますよね。

伊野 ルーベンスは太った女の人が好きとか、長沢節はゴツゴツした男性が好きとか、人間の体の形に自分の趣味のある人って、こだわりがあるじゃないですか。だからルーベンスが色彩派の人でも、形には人一倍こだわってる。一人の画家の中で、色彩派と形態派っていうのが混じってますもんね。自民党と共産党みたいに別れているわけではなくて(笑)。

 そうそう、そうだねえ。論争するときは別々になるけどね。実際にはそうだよね。

伊野 論争はそれぞれの時代によってってことですか。

都築 あくまで、「どっちが優位か」という話で論争してるみたいなんで。両方の要素は一人の画家の中にありますよね。

伊野 ある時はアングルが形態派の巨匠としてサロンに君臨してた。その時は形態派が優位で、その後色彩派が盛り返すみたいな?

都築 そう、アングルとかダヴィッドとか、あの古典主義の画家たち。あの辺が形態派ですよね。デッサン中心の。

伊野 ああ、それはよくわかりますね。なんか硬いですよね。

都築 硬いですよね。

伊野 カチカチですよね。時間が止まってる。

アングル

■ ドミニク・アングル 「アンジェリカを救うルッジェーロ」

都築 色彩派の人は筆の運びの関係なのか、なんかちょっと、もろい感じがありますよね。

 ああ、形がね。うん。

伊野 で、都築さんは何派なんですか?

都築 ぼく、何派でしょうね(笑)……そうねぇ、形態派かもしれないですね。中ザワさんは色彩派を自称していたので、だからピクセルなんですよ、Photoshopの。こういうガビガビの画素があらわになっている絵を描いていて、根底にスーラがある。ぼくは根底にスーラがあるとは思えないんで、どっちかというとIllustratorの方が好きだし、そっちの方が自由を感じる。「どっちに自由を感じるか」ってことっぽいですよ。
Photoshopみたいな画像ソフトってね、どこまで解像度を上げても、拡大すればぜったい正方形のピクセルなんですよ。それが嫌だったんですよね。不自由だったんです。でも色彩派はそう考えないみたいなんですよ(笑)。だからルーベンスは今生きてたらそう考えないんですよ。

伊野 そうかなぁ(笑)。

都築 理屈としてはそうなる(笑)。

(つづく)

第2回はこちら→「石膏デッサンはインベーダーゲームだ

※ 都築さんが形態派を自認し、自由を感じるというIllustratorで描いた絵はコチラでみれます。どれだけ拡大していっても解像度に支配されない世界。あなたは絵を描くとき見るときに、何に自由を感じますか?

プロフィール

都築潤 
1962年生まれ。武蔵野美術大学芸能デザイン科卒業。四谷イメージフォーラム中退。日本グラフィック展、日本イラストレーション展、ザ・チョイス年度賞、年鑑日本のイラストレーション、毎日広告賞、 TIAA、カンヌ国際広告祭、アジアパシフィック広告祭、ワンショウインタラクティブ他で受賞。アドバタイジング、インタラクティブ、エディトリアル等、種々のデザイン分野でイラストレーターとして活動。http://www.jti.ne.jp/

南伸坊
1947年東京生まれ。東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校・木村恒久教場、赤瀬川原平教場に学ぶ。『ガロ』の編集長を経てフリー。イラストレーター、装丁デザイナー、エッセイスト。著書に『のんき図画』『装丁/南伸坊』『本人の人々』『笑う茶碗』『狸の夫婦』『私のイラストレーション史』など。https://www.tis-home.com/minami-shinbo/

伊野孝行
1971年三重県津市生まれ。東洋大学卒業。セツ・モードセミナー研究科卒業。第44回講談社出版文化賞、第53回 高橋五山賞。著書に『ゴッホ』『こっけい以外に人間の美しさはない』『画家の肖像』がある。Eテレの『昔話法廷』やアニメ『オトナの一休さん』の絵を担当。http://www.inocchi.net/




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?