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価値基準の違う煉獄さん

※写真はサイゼリヤの「煉獄のたまご」。特に関係ないけど、うまい!

「鬼滅の刃 無限列車編」のテレビ初放送見ました!

 私も「無賃乗車」組です。映画館で見なかった人たちを指す言葉かな?

 それどころか、漫画原作もアニメ版もほとんど見てません。にも関わらず「キメハラ」なんて言葉ができるくらい世の中にあふれ返ってるから、それなりに予備知識はあります。多少調べもしました。

 で、簡単に感想を述べます。

 FF6の魔列車で「インセプション」して「新たなる希望」でしたね!

 物語全体の中で、一番映画化に適したエピソードを切り取った。そりゃ、ヒットするわけです。ライバルが少なかったとかはさて置いて。ここは完全に「新たなる希望」です。無限列車はデススター。

 そして、悪との戦いで命を落としてしまうオビワンケノービ的ポジションの煉獄杏寿郎。私にとって、彼の一番の名言は「価値基準が違う」でした!「心を燃やせ」の方ではなくて。
 ちょっと理想化されたサムライ、あるいは戦前の帝国軍人めいていましたね。あれほど分かりやすく快活なキャラは、スターウォーズにいません。

 この記事でも「人と鬼の価値基準の違い」に触れていますね。

 私たちは、社会の中でしばしば「鬼にならないか?」とダークサイドへの誘いを受けている。あるあるですね!

 これは、オンラインゲームやPBWの世界でも同じ。

 単純に目立った奴、活躍した奴がスゴイのか?
 メンバーの多いコミュニティがスゴイのか?

 否。

どんなクソ運営でも楽しみを見出すプレイヤーがスゴイ!

 運営側の改善なんか、期待しなくてよろしい。彼らと私たちユーザーではフランス革命期の「貴族」と「庶民」ぐらい認識の隔たりがある。この深く暗い谷に橋をかけるのは、途方もない難業です。

 それよりは、自分の心がけひとつでどうとでもなる領域に目を向ける方がいいです。運営型ゲームにこそ、アドラー心理学の知恵を。

サツバツの冬、大いなる心の冬

 いま、この日本は。ゲームの世界でも無数の「クソ運営」と「アンチ」が敵意をぶつけ合う「心の冬」と化してます。北欧神話の「フィンブルの冬」のごとく。

フィンブルの冬は、北欧神話における世界の終わりである「ラグナロク」が差し迫った、その前兆となる出来事である。
フィンブルの冬は、夏が少しも間に挟まれることなく3度の冬(風の冬、剣の冬、狼の冬)が続き、しかもあらゆる方向から雪が吹き付ける。この間に、数えきれない戦乱があり、兄弟同士が殺し合う。

 どうです、世界を覆うサツバツと似てませんか?

 もう「鬼滅の刃」で煉獄さんの命を奪った鬼の上級幹部、猗窩座(あかざ)だけじゃなく。そこら中から「鬼にならないか?」の大合唱です。

 しかも、それが正義であるかのように見せかけてくる。だから私は、今は金儲け第一の論理に屈服したゲーム制作や運営からは距離を置きたいと思ってます。あんたは鬼や。

 そんな真っ暗闇の世間を照らす光明は、誰かの思惑なんかに流されない「違う価値基準」を持つことなんじゃないかな。闇夜のオーロラ。


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