見出し画像

第9話 サルタヒコ

 血生臭い風のにおい。立ち込める暗雲に、轟く雷鳴。あちこちに散らばる白骨。闇に潜む者たちの気配。ここは魔界か、戦国の世か。

「かつて日本には、様々な妖怪や魑魅魍魎が跋扈した時代がありました」

 鬼が出るか蛇が出るか。ここでは今も日常茶飯事の光景。映画でもアニメでもない現実。

「この世界が、アリサさんの故郷?」
「おそらくは。日本の歴史上、消えていった敗者たちが移り住んだ異世界…トヨアシハラでしょう」

★ ★ ★

「あれぇ?」

 JR新八柱駅前の、公園のそばの神社。公園の名前が「宮前公園」だから、正しくは神社の前に公園があるというべきか。時刻は深夜、夢の中。
 エルルがひとり、白髭神社の鳥居を潜ったり戻ったりして首をかしげている。頭の上に浮き出ているのは「?」の文字。

「わたしぃだけぇ、通れないですかぁ!?」

 先日、子和清水で地球産のワインの味を体験させてくれたお礼に。エルルはユッフィーたちに、アリサが出入りに使っていた「門」のひとつを教えてくれた。白い髭の神社と言われれば、なんとなくドワーフを連想もさせる。

「灯台もと暗しでしたわね」

 白髭神社の鳥居を潜った先に広がっていたのは、見知らぬ土地。隣の公園では、この前バーサーカーが他のプレイヤーたちと乱闘していたばかりだ。あれから、十日と少ししか経っていない。

「エルルちゃんは?」
「姿が見えないけど」

 銑十郎とミカに指摘されて、ユッフィーが振り返ると。荒れ果てた神社と鳥居の他には、誰の姿もない。

「うわあぁぁ〜ん!ユッフィーさぁん!!」

 ユッフィーたちが鳥居を潜って、白髭神社の境内に戻ってくると。涙目のエルルが急に、ユッフィーに泣きついてきた。

「エルル様だけ、門を潜れませんの?」
「やっぱりNPC扱いだから『持ち場』を離れられないとか?」

 悪夢のゲームに取り込まれ、NPC化しているエルルは。夜の間しか活動できず、持ち場である地球を離れることもできない。

「エルルちゃん、里帰りも許されないなんて」

 人の精神を悪夢に閉じ込め、恐怖や憎悪を搾取する「悪夢のゲーム」の冷酷さに、怒りを覚えるミカ。当初は逃げ回っていた彼女にも、悪夢と戦う勇気が育ち始めていた。

「どうやら、三人で行くしかないようですわね」

 武者姫アリサは、先人が地球からトヨアシハラへ渡った「門」を経由して拠点と地球を行き来している。危険な土地を間に挟むのは、敵対勢力や部外者を寄せ付けないためか。おそらくは万全のセキュリティを施された別の門から、安全な拠点に入れるはずだ。

「ユッフィーさぁん」

 エルルが心配そうな顔で、こちらを見つめてくると。

「無理はしません。できる範囲で様子を見ます。危険を感じたら即撤退で」

 高難度のダンジョンに挑むような、本格的な冒険の気配。先日のバーサーカーとは、危険の度合いがケタ違いだ。やられて夢落ちで済むかも怪しい。たとえば、魂を喰らうようなタイプの妖怪がいるとしたら。地球人と違って精神体を視認できる眼力の持ち主がいたら。異世界は油断がならない。

「以前にアリサ様から、かの地は一族の宿敵『邪暴鬼』に支配されていると聞きましたの」
「彼女は、闇市に現れたバーサーカーを一撃で気絶させたのよね」
「ええ」

 そのときミカは、ユッフィーから渡された「隠形のルーン」で身を潜めていたが、闇市でのあらましは後日に聞いている。

 ロックダウン以前。全ての地球人が夢の中で無意識に「精神だけの異世界転移」をしていたころ、ユッフィーたちは永遠の都ヴェネローンでアリサの生い立ちを聞いていた。小説に書いて記憶にとどめる努力をしていなければ地球での暮らしに流されて、忘れていただろうおぼろげな記憶。

「トヨアシハラはかつて、十二支のケモノビトたちがチカラを合わせ平和に暮らしていました。そこへガーデナーがあまたの異世界にばらまいた『災いの種』が漂着し人々の心を乱して、戦国の世が到来しました」

 過去、己の傲慢さからガーデナーの奸計を見抜けず、災いの種の拡散を止められなかった「百万の勇者」たちは。幻の都ヴェネローンを拠点として、その火消しに無数の異世界を駆け回っているという。果てしない贖罪の旅。

「ウサビトたちの指導者、月兎一族の姫アリサ様は事態の収拾に奔走するも。災いの種を手にした『奪い合う者』たちの中から蠱毒の如く現れた魔王『邪暴鬼』。戦いの中で二人の兄を失った彼女は、絶体絶命の窮地を暁の女神アウロラの導きで逃れ、ヴェネローンに落ち延びてきましたの」
「アウロラ様はぁ、とおってもたくさぁんの異世界を見通す秘宝を使えるんですよぉ」

 ユッフィーが一気に話す情報量の多さに、ミカと銑十郎がポカンとしていると。エルルがにこやかに微笑みながら、ふたりの緊張をほぐしてくれた。

「アリサ様ほどの達人でも、いまだ一族の仇を討てずにいる強大な敵の勢力圏。わたくしたちは、今からそこを通りますの」
「まともに相手していたら、命がいくつあっても足りないね」
「この前みたいに、逃げるが勝ちよ」

 ユッフィーの言葉に、銑十郎とミカがそれぞれ意見を述べる。これで探索の方針は定まった。

「勇者の拠点に通じる門を見つけ、アリサ様が固く口止めしてる件の真相をお聞きして、エルル様を悪夢のゲームから解放する手がかりを得ましょう」
「それじゃあ、ここの神様にお参りしていきましょお!」

 エルルがつとめて明るく振る舞って、三人に笑顔を見せる。

「エルルちゃんって、そのアウロラ様の巫女さんじゃなかったかな?」
「ヴェネローンの都はぁ、ニホン並みにあらゆる神様に寛容ですぅ♪」

 ユッフィーの中の人が書いた小説を読んでる銑十郎が、ふと気になってたずねると。エルルから返ってきたのは、なんともあっけらかんとした答え。

「わたしぃのお仕えする暁の女神アウロラ様はぁ、いろいろな姿のアバターを使い分けますけどぉ。中には日本神話由来のアバターもありますねぇ」

 だから問題ないらしい。本地垂迹説でインド神話でギリシャ的多神教世界なのだろうか。

「白髭神社の御祭神は、猿田彦命ですの」

 松戸近辺には、サルタヒコを祭った神社が多い。松戸市日暮の白髭神社以外では、市内で最も古いと伝わる風早神社にも「猿田彦大神」の石碑が立っているし、胡録台に隣接する神明神社にも同様の石碑がある。
 江戸時代に大流行した庚申信仰では、仏教では帝釈天や青面金剛を、神道ではサルつながりで猿田彦を本尊としていた。旅の安全を守る道祖神としての性格もあるため、古くからの宿場町松戸にはお似合いの神様だ。

 ユッフィーが二礼二拍手一礼をして、旅の安全を静かに祈願する。エルルやミカ、銑十郎もそれにならった。

 すると、不意にユッフィーの胸元から赤い光が漏れてくる。何かと思って取り出すと、見覚えのない赤い玉がいつの間にかふところに入っていた。

「この流れ、先日もあったわよね」
「新しいメモリアかな?」

 ミカと銑十郎に、チビ竜ボルクスも勝手に出てきて様子を見守ると。一同の前に突然、背の高い真っ赤な顔の男が姿を見せた。鼻が異様に高い。

「ええとぉ、テングさぁん!?」

 黙って立ち尽くす、身長2mを越える大男にエルルが声をかけると。

「エルル様、惜しいですの。これは猿田彦大神のお姿ですわ」

 容貌魁偉にして鼻長七咫(あた)、背丈七尺。目は八咫鏡のようで、口元は赤く輝いていた。古事記にそう書いてあるらしい。

「古の太陽神だとも、火山の神だとも言われております。山の神だとしたら天狗の原型だというのもうなずけますわね」

 ユッフィーの説明に満足したのか、サルタヒコの幻影が姿を変える。赤い銅鏡のような…視界の片隅に浮かぶ、日本神話風の意匠が興味を引くスマホめいた画面。映っているのは、白髭神社周辺の地図。

「地図アプリってこと?」
「ずいぶん、現代的だね」

 試しに鳥居から、トヨアシハラ側に顔を突っ込んでみると。全く知らない異世界のエリアマップが視界に表示された。

「向こうでも、地図が見れますの。これなら行けそうですわ」
「メモリアになれたらぁ、わたしぃもユッフィーさぁんと行けたのにぃ」

 出発前に、ユッフィーとエルルがハグを交わす。エルルは続いてボルクスを抱っこすると、ミカと銑十郎とも握手をした。

「子和清水のメモリアを、エルル様だと思ってお守りにしますわ」

★ ★ ★

 トヨアシハラの大地を、三人の地球人が行く。見張りを警戒してか、遠くから視認されにくい林の中を進んでいる。猿田彦のメモリアから俯瞰視点で周囲の状況が確認できるので、ちょうど位置情報ゲームをプレイしている感覚に近い。
 先頭はユッフィーで、ミカは「王女」と慕う少女とは反対方向を警戒している。その後方には銑十郎。さきほどユッフィーから手渡された青いメモリアをネックポーチに入れている。ボルクスも樹上から周囲を見張っている。今のところ敵影はない。

「…少しは忍びの技を心得ておるようだが、しょせんは小娘よ」

 侵入者の姿を水晶玉からのぞき見て、何者かが闇の中でほくそ笑む。しばらく泳がせておけば、勇者どもの拠点に案内してくれるやもしれぬと。骨の手を水晶にかざしながら、それはカタカタと乾いた音を立てた。

ここから先は

0字

¥ 100

アーティストデートの足しにさせて頂きます。あなたのサポートに感謝。