太田和彦著『ひとり飲む、京都』には旅人の「理想」が詰まっている

太田和彦著『ひとり飲む、京都』(新潮文庫。以下、本書)は、居酒屋探訪家である太田和彦氏が2010年6月と2011年1月に、それぞれ一週間京都に滞在して、ただただ居酒屋を巡るだけの紀行エッセイである。

もう10年も前のものなので、ガイドブック的な使い方は難しい。
が、本書は、「居酒屋を巡る紀行エッセイ」として、特に酒飲みには、ある意味「理想を叶えてくれる本」であり、「酒飲み指南本」として実用的に使えるのではないか、と思う。少なくとも私はそう思っている。


「旅好きの人の理想を叶えてくれる」本

だからといって、本書は酒飲みの人たちだけが対象ではない。
「理想を叶えてくれる」という点では、旅好き全員が対象になっている。
それは、以下の 5点に集約される。

① 同じ宿に一週間泊まる(現代の日本人にとっては、結構な長逗留)
② 綿密なスケジュールを立てず、特に有名な観光スポットにも行かず、 自由に過ごす(しかし、ちゃんと現地(本書では京都)に旅をしている気分にさせてくれる)
③ 新しいお店や飛び込みで入れない人気店以外はほとんど予約をせず、気ままにお店に行く
④ 馴染みのお店では常連扱いしてもらいながら、また、新規のお店では店員やお客とコミュニケーションを取りながら、お酒を呑む
⑤ お店や旅全体で、ふとしたことから新しい出会いが生まれる

①は本書の目的であるが、実は、②~⑤に関しては太田さんのほとんどの著書で見られる傾向であり、それら(紀行本や居酒屋紹介本)を読むと簡単に真似できそうに思えるが、これがなかなか難しい。

本書の内容や紹介されているお店については、それこそネット検索すれば、たくさん出て来るはずなので、今さら私が書く必要がない。
で、かわりに、本書が如何に「良くできた本であるか」ということを思いつくままに書いていこうと思うのだが、その前に、お断りをしておく。

前提として、「私は、本書が大好きだ」ということは留意いただきたい。
なので、本稿の中で色々書いていく文章は、(私の文才のなさが故に)誤解されるかもしれないが、批判や茶化しなどでは決してない、という点は理解していただきたいと思う。
また、考察などは全て「私の独断と推測」であり、確証は全くないという点にも留意いただきたい。

なお、本書は現在、新潮文庫から文庫版が発売されているが、以降の引用は全て手元にあるマガジンハウス社の単行本(2011年 第二刷)から行う。そのため、単行本とは文章や内容が若干異なる可能性がある。


太田さんの一日

本書では、夏・冬ともに、概ね以下のような一日を過ごしている。
・朝、喫茶店でコーヒーを飲みながら、新聞を読む
・その後、ぶらぶら散歩して、昼ごろ、うどん屋へ行く
・夕方、呑み始める。何軒かハシゴする間に喫茶店で休憩したりする
・バーで〆る

これだけのことを、一週間やるだけ。
何と羨ましく、贅沢な旅なのだろう(ご本人は、帰京したあとの執筆が大変だろうが)。


数多「居酒屋探訪ブログ」「旅行ブログ」との違い

太田さんは上記のスケジュールを淡々とこなし、訪れたお店の雰囲気や料理・酒などを紹介している。
これだけなら、数多の「居酒屋探訪ブログ」や「旅行ブログ」にもありそうだが、本書はある点において決定的に違うのである。
それは、本書が「旅好きの理想を叶えてくれる本」であり「酒飲み指南本」として、「徹底した方針のもとに編まれている」ということである。


京都でも、徹底的に「居酒屋」「バー」に絞る

京都旅の本であるのに、所謂「京都らしい」お店は登場しない。
太田さんは1日目に、

京都、とくに女性にとっての京都への憧れは日本料理の華、京料理の割烹だろう。(略)敷居の高い有名カウンター割烹にいちどは座ってみたい。贅沢も大切よと女ごころをくすぐる。
私とて入ったことがないわけではないが、正直つまらなかった。順を追って出る料理は見事な盛りつけがちょこっとずつ。酒を追加すると意外な顔をされて頼みにくい。料理はうまいが女性向けで、男にはいささか気恥ずかしい。と思ううちに「これでおきまりです」とご飯が出ていやでもお終いとなり、最後の抹茶アイスクリームは手を出す気がしなかった。
(略)自分の好きなもので一杯やる派としてはコース料理のカウンター割烹はやはりツマランなと結論づけた。まあ、場違いだったのだ。

[夏編 1日目]

と言い切ることにより、「本書は居酒屋(とバー)の本である」と宣言するのである。
ここで太田さんは、読者のターゲットを絞ると同時に、他の「居酒屋本」や「旅行本」(あるいはネット情報)と差異をはかっているのである。


とにかくコミュニケーションをとる

太田さんの著書の特徴は、「とにかくお店の中にいる人とコミュニケーションをとる」だけではなく、「そのことを書いてしまう」という点である。
さらに加えるなら、「お店の中で起こっていることも書いてしまう」ということも挙げられる。
しかし、ただそこで起こったことをありのままに書いているわけではない
「理想を叶えてくれる本」であり「酒飲み指南本」となるよう、取捨選択され、緻密に構成されているのである。

その緻密な構成により、読者は「理想的な酒飲み旅」を疑似的に体験できるのだ。


「馴染みの客」として扱われる『理想』

旅好きの人にとって、しょっちゅうは行けないが、たまの旅の折にふらっと立ち寄れる「馴染みのお店」があって、そこで「常連扱い」してもらう、というのは、一つの理想である。
それは飲み屋に限ったことではなく、カフェでもレストランでも、雑貨店でも同じだ。

とはいえ、短い旅程でそういうお店に出会うのは難しいし、それ以上に、「馴染み」になるほど通う、というのが難しい。
だが本書を読めば、そんな理想を叶えてくれるのである。しかも、バリエーション豊富に。

たとえば、まずは第一段階として、名前を覚えてくれているお店に行こう。

今日の最初は二条大橋たもとの「赤垣屋」に行こう。ここから歩いて三分だ。
「こんちは」
「オ、太田さん、いらっしゃい」

[夏編 2日目]

さらに常連になって、もっと親密な付き合いもしてみる。

夜は西陣・千本中立売の居酒屋「神馬」だ。(略)
「こんちは」
「せんせ、よう来ておくれやす、おーい」
呼ばれて板場から息子さんが出てきた。
「どうしてる? お子さん」
好漢の三代目は戻ってすぐお子さんが生まれたのはめでたいが、双子さんでタイヘンですと言っていたのはだいぶ前だ。
「もう小学五年で、下も生まれて小学二年。男三人は荒っぽいですわ」

[冬編 3日目]

欲を言えば、たとえば、こんな粋なこともされてみたい。

入ってきた背の高い男を見て驚いた。カルバドールの高山さんだ。今日は営業日のはず。
「店は?」
「友達の送別会があるんで、早仕舞しました」
あそう、それにしてもなぜここへと聞くと「ハイボール一杯飲んでから行きたくて」と言うことはカッコいい。カルバドールは私の泊まるホテルフジタのすぐ近くで、今夜の寝酒に寄ろうかなと思っていたから、行けば臨時休業に会うところだった。なんだか話がうますぎる。
(略)
新橋の話など少しして高山さんは本当に一杯でさっと出て行った。私が「ああ驚いた」という顔でいると中川さんがにやにやしているように見える。ははぁ……。

[夏編 1日目]
※太字、引用者


「初めての店」での振舞いを『指南』

旅先でなくても、初めてのお店に入る時は緊張するし、どう対処していいかわからない。「初めてのお店の入り方」といったようなネット記事も結構存在しているくらい、初めて行くお店の敷居は高い。
そんな時には、本書は「酒飲み指南本」として使える。

本書では、初めてのお店は予約をしていることが多いようだが、さすがは太田さん、ちょっとしたテクニックを披露している。

予約が今日しかとれなかった「食堂おがわ」は初めてゆくので、見つからないといけないと思い傘をさしてはやめにご出勤。(略)小さな洞窟バーのような白壁アーチ入口に小さく埋め込んだ店名看板と、裏に準備中と書いた木桶を置いているのに気がついた。(略)
と、バーのようなドアが開き黒Tシャツの女性が顔を出した。
「あの、ここは食堂おがわですか?」
「はい、そうです、ご予約の方ですか?」
「はい、そうです」
後で行きますと伝えこれで安心だ。
(略)
--おっと食堂おがわの開店時間だ。
「ごめんください。さきほどの」
「あ、どうぞどうぞ」

[夏編 7日目]

なんと、お店の偵察に行ったらお店の人に会ってしまう、という偶然
「こんな偶然が起こると、お店の人の記憶に残りやすいので、入店した時の対応が違ってくるし、自身もお店に特別な愛着を持てるから、いいなぁ」と、旅人は夢想するが、なかなか起こることではない。
が、太田さんには起こってしまうのである。

そんな素敵な入店をした太田さんは、一方で、予約で満席のお店に飛び込みで強引に押し入るという技も披露してくれる。

狭い玄関を入った左のテーブル席には家族客三組、右の長いカウンターは空いている。
「すみません、今日は予約で一杯なんですよ」
セーター姿のおかみさんが拝むように片手を立てた。
「あの、一人なんだけど」
「ええちょっと」
「頼む、客が来るまで一時間、いや三十分でいい」
こんどはこちらが手を立てた。東京から来たんだ!
「……じゃ、ここでもよければ、すみません」
入口すぐのカウンター一番端に椅子を持ってきて置いた。いいともいいとも。

[冬編 5日目]

「満席」と断られて素直に諦めてしまっていた旅人に、太田さんは技と希望を与えてくれる。

太田さんはさらに、"伝手つて"を使って、会員制のバーにまで潜入してしまう。
これなど、まさに旅人の憧れだろう。

今回の冬の京都は初めて入ろうと思っているバーがある。K6で多くの弟子を育てたオーナー西田稔さんが、K6は四十歳までと決めて後輩に託し、六年前に一人で始めたもう一つのバー「クーゲル」だ。場所は祇園のこの近くで会員制という。敷居の高さを感じるが彼に聞いてみよう。
「あ、大丈夫です、空いてるか電話しましょう」
客を紹介しあう共存共栄。しかし席は空いているが今日は西田さんは休みということで後日にまわした。「どうぞ大塚の紹介と言ってください」の声がありがたかった。

[冬編 3日目]

さて「クーゲル」に行こう。祇園の会員制バーでおすすめはシャンパン、にいささか緊張する。(略)
「いらっしゃいませ」
予約してないが迎えられた。
(略)
やがて西田さんが私の前に立った。
「いらっしゃいませ」
「どうも、太田と申します」
「存じております。西田です」
ははあ、エル・テソロの大塚君が話したな。しかしありがたい。

[冬編 4日目]

さて、色々ありながらも、何とか無事に初めてのお店に入った。
さて、問題は席に座ってからだ。
ここでも太田さんは、テクニックを授けてくれる。

「いらっしゃいませ」
朱色着物に丸顔の「たまりや」若おかみが迎えた。私は開店六時に最初の客で長いカウンターの中ほどに座った。カウンター端から奥は畳席になり大きなガラス越しに鴨川が広々として、これはよい眺めだ。外はまだ明るいが、日暮れて川向こうに連なる料亭や川床に灯りがともれば京都らしい夜景になるだろう。
そんなことを言うとにっこりした。初めての店は黙ってないで何か話せば、互いに安心する。(略)
さてと。まずは造りを注文(略)。若おかみの話では、ここは居抜きの「出世店」で、(略)たまりやは三番目に入った。
「へー、出世したらどこに移りますか?」
「そんな余裕あらしまへん、今で精いっぱいどすわ」
(略)
ではもうひとつ仕事をしてもらおう。京都料理人必須の基本と言われる<だし巻>だ。
(略)
さて。若い調理人はガス火にのせた玉子焼き器を頬にかざして温度を確かめると油布で拭き、静かに玉子液を流し込み、手前に巻いて奥へやり、をくり返した。(略)
「だし巻の難しいのはどこ?」
「出汁と玉子の量の加減ですね、入れ過ぎると固まらない、足りないと味がない。あとは手振りの練習です」
客と板前の話すのを若おかみが遠くからにこにこ見ている。最後にもうひとつ大物を。
「鯛かぶと」
「はい」
返事が力強い。

[夏編 3日目]

どうだろう。お店の人との会話から注文まで、熟練の技が光る。それでいて、すぐにでも真似ができそうな簡潔さだ。

実際、「たまりや」の若おかみこと、今井文恵さんによると、本書を読んで来店した客のほとんどは、<だし巻>を注文したとのこと。
本書は「実用書」としても威力を発揮する。


「居酒屋」を愉しむ『夢』

旅先の居酒屋での愉しみの一つに「他のお客さんとのコミュニケーション」がある。「他のお客さん」は常連さん、地元の人、自身と同じ一見の旅行客など様々だ。
普段の地元なら気後れしてしまうが、旅に出ているという開放感や「折角の旅行なんだから」と勇気が出たりで、積極的にコミュニケーションを試みることができる。

と言うのは簡単だが、なかなか思うようにスムーズには行かない。
現実には、きっかけも掴めず、勇気も出ないまま、必要な注文以外の会話ができずに、あるいは、会話できても盛り上がらず、残念な気持ちで店を去ることがほとんどである。

本書はそんな旅人が、「あの日、こうなりたかった」「こんな出会いをしてみたい」という夢を疑似体験できるように配慮されている。

鍋を注文すると、カウンターに一人ずつ据えた電磁ヒーターに出汁を張った小鍋を置き、火力は主人が手元で調整する。(略)。私の隣に座った女性四人組は(略)みごとに四人四鍋だ。(略)
私のすぐ隣の女性は、今年は豊漁と聞くブリのピンクの切り身を盛大に盛ったブリしゃぶで、えのき茸や青物、紅葉麩、豆腐も沢山の豪華鍋だ。(略)
しかし私は男一人。渋さにこだわって頼んだのは<九条葱と鶏>。(略)
「きれいなお鍋ですね」
隣の女性から声をいただく。じろじろ見たのを気づかれていた。
(略)
女性四人グループは感心するほどよく食べる。(略)
「お・い・し・い! おにぎりください!」
あまりによく食べる若手に隣のブリしゃぶの女性と私は顔を見合わせて笑った。その方は理知的な美人で言葉遣いがきれいだ。
「友達が、京都は冬が一番と言ってまして」
「あ、ぼくもそれで来たんですよ」
しばらく話がはずんで楽しい。

[冬編 2日目]

黒板にはさらに魅力が残されている。
(略)
しかし今から頼んだら時間のかかるものばかりだ。残念。
と、奥の六十代夫婦の奥様が「ひとくちいかがですか?」と小椀を差し出した。<新生姜といわしのごはん>だ。「あ、あ、いただきます!」遠慮のかけらもないわが身が情けないが、いやそのうまいこと!(略)それを機に少し話し、やはりリタイアされた大学の先生で、ここには東京から何度も食べに来て「今京都で一番いいでしょう」とおっしゃる。うらやましいご夫婦だ。

[夏編 7日目]

隣の女性客は日本酒に詳しく「今日は滋賀の酒特集」と、黒板にない酒をどんどん注文している。「次は喜楽長」「あ、それ、僕もいいですか?」「あらどうぞ」。
(略)
日本酒に詳しいその方は主人とは知り合いらしく、(略)

[冬編 1日目]

余談だが、上記は「食堂おがわ」での一場面であり、ここに登場する「日本酒に詳しい女性客」は、その後、偶然にも「食堂おがわ」の隣に、「SAKE Cafe ハンナ」というお店をオープンすることになる。詳しくは「SAKE Cafe ハンナ」のブログ(2012-05-10 太田和彦著『ひとり飲む、京都』)参照。


さて、太田さんは別の著書で、「居酒屋」について、こう書いている。

居酒屋とは「居心地」を愉しむ所なのであり、良い居心地は毎日でも味わいたい。居酒屋の「居」は居心地の居で、そこに居る時間を愉しむ。したがって、酒料理は良いにこした事はないが、居心地、すなわち主人の人柄、客層、店の雰囲気、そういったものが優先する。

[太田和彦著『超・居酒屋入門』(新潮文庫、2003年) P22「居酒屋とは」]

太田さんは、居酒屋の情景を書くのがうまく、そのお店の雰囲気を見事な文章で表現している。
それこそが、他の「居酒屋探訪系」「旅行記系」の本やブログが追随できない、太田さんの真骨頂なのである。
その点については、太田さんの著書『居酒屋百名山』(新潮文庫、2013年)の解説で、平松洋子氏がこう評している。

捕まえようとすると、はじから逃げていってしまう空気のような存在をたしかなものとして捉え、場の魅力として提示することはとてもむずかしい。この二十年、太田さんはひとりで暖簾をくぐりながら、そういう困難な仕事に取りくんできたのではないか。
だから、こんななんでもない情景を目にとめて書きとめる。
「夏は開け放たれた窓に風鈴が下がり、青々と打ち水されたヤツデからすだれ越しに扇風機が風を運び、男たちはここぞとばかり扇子を嬉しげに使う。クーラーはあるが客が使わせない。気が向くとやってきて窓際に寝そべる猫は皆が知っている。まさにここは清貧の居酒屋だ」(「武蔵屋」)

[太田和彦著『居酒屋百名山』(新潮文庫) 「解説」(平松洋子)]

本書でもこういった魅力がふんだんに活かされていて、読むだけでお店に行きたくなる。もちろんお店の雰囲気には、他の地元のお客さんの存在も欠かせない。

携帯を見ていた奥の男に「ゴメーン」と待ち合わせらしき男が来た。座りながら開口一番「やったぞ!」まあ聞いてくれとばかりに話し始めた。
研究で狙った通りの実験結果が出た。これで四つめの論文が書ける。英語で書いてアメリカの論文出版社へ送り、三、四人でジャッジして掲載を決める。
「博士論文とは別やろ?」
「別、別、しっかし今日はいい発見したわ。ビリビリ体がしびれてしもた、ともかくうれしい、今日はうれしい!」
声は小さいが興奮気味だ。どうやら京大の大学院か研究員らしい。(略)若い学者が隠れ家のような居酒屋で待ち合わせて一杯やっている京都。いいなあ、この雰囲気。

[冬編 4日目]


「旅先で出会う」という『理想』

旅に出ると、出会いを期待してしまう。実際は期待外れの方が多いが、太田さんは旅人が期待してしまう出会いを、易々とやってのけてしまうのだ。

ホテルに戻ると、横の二条大橋から、女の先生に引率された幼稚園児の一団が鴨川の河原で遊んでいるのが見えた。川に入っている子も大勢いる。近くに下りてカメラを向けるとたちまち数人が「おじさん、何やってるの?」と寄ってきて「撮って撮って」とせがむ。「Vサインはダメ」と注文つけたがなおふざけるところがいい。そのうち先生が「せいれつ!」と声をかけ、リーダーらしい女の子が一本指を高く上げるとすぐに二人ずつ手をつないで一列になった。遠慮して少し離れて見ているうちに土手を上がって帰ってゆく。もういちど私を見る子に手を振ると振り返してくれた。

[夏編 5日目]

簡単に書いているが、現実には、こういった機会はなかなか訪れるものではないだろう。

作務衣に剃った頭の坊さんのような人を中に、もじゃもじゃ頭の芸術家風の男、その連れらしい美人女性で、議論の中身はずばり芸術論だ。
(略)
奥のトイレに立ち、用を済ませて出るとくだんの美人女性がそこにいて、これは待たせたかと「お先に失礼」と言うと、「太田さんですね」とにこやかに声をかけてきた。
「は、??……えーと」
「昨日、イノダコーヒーでお見かけしました」
「は、?」
「カウンターで新聞読んでらっしゃいましたね、私はその奥に」
「……あ、あの、短パンの男の方と」
「そうです」
思い出した、短パンゾーリ男にふさわしくない清楚な白ブラウスの美人で、じろじろ見つめてしまった人だ。これはイカン。
「あ、どうも失礼しました」

[夏編 3日目]

もちろん、ちゃんと「京都らしい」出会いも、用意されている。

「上七軒は団子五つの組み合わせやったかな」
答えたのはカウンターの一つ離れた隣に座る先客。グレーズボンに気軽なニットカーディガン姿は近所のご常連か。そこになんと舞妓さんが一人入ってきて彼の向こう隣りに座り、中川さんに「おめでとうさんどす」と挨拶する。
(略)
中川さんは舞妓の来店に心はずませている私を見て、カウンター端に置いた私の書いた本の祇園サンボアのページを開いて舞妓さんに見せた。
「こちらはこの本を書いた方です」
不意のことに私は慌て、舞妓さんにぺこり、その客にもぺこりと頭を下げた。
「ああ、益田は私の故郷や」
舞妓さんが声をあげたのは島根県益田を訪ねたページだ。
「益田のご出身ですか、あそこはいい所ですね」
「中学までいましてん」
(略)
やがて二人は席を立ち、お客さんが勘定している間に舞妓さんは帯の間から豆千社札をとりだした。
「ふく愛どす、よろしうおたのもうします」

[冬編 1日目]

なんてできすぎた話だろう!
つまり、本書は「理想の京都旅」を満喫できるよう、「徹底した方針」によって書かれた「良くできている本」なのである。


「京都旅の本」としてのギミック

本書は読者に「理想の京都旅」を堪能してもらうため、若干のギミックをほどこしてある。

たとえば、上でも引用した「夏編 3日目」の「たまりや」。
若おかみは、「そんな余裕あらしまへん、今で精いっぱいどすわ」と言っているが、実際の今井さんは滋賀出身で、「あらしまへん」「どすわ」という言葉は使わないし、ご本人から「送られて来た本を読んで、京言葉になってて驚いた」といったことを聞いたことがある。


本書はどこまで「本当」なのか

と、ここまで書いておいてナンだが、こんな「良くできた本」についてヘンな勘ぐりをするのは野暮ってものである。
私は、全て「本当に起こったこと」であると信じている。

とりあえず、実際に私が聞いた前出の今井さんの証言を記載しておく。
「私が太田さんを存じ上げなかっただけで、確かにご予約されて、お一人で来られました。"何かオーラのある方だな"とは気がついたんですが……後から出版社の方から(掲載可否の確認)電話が掛かってきて"ああ、やっぱり只者ではなかったんやな"と…」


それから約10年。私自身のこと

本書が発売された当初は、それまでの著書も含めて、太田さんが紹介されたお店に頼っていた。実際に、何軒ものお店に伺った。
太田さんの行きつけである「赤垣屋」「きたざと」「めなみ」「ますだ」「神馬」など、主要処と思われるお店には、ひと通り足を運んだと思う。ただ、どのお店も、熱心なリピーターにはならなかった。

リピーターということでいえば、どちらかというと、太田さんが初めて訪れたお店の方にご縁があった。
「たまりや」(夏編 3日目)は、今はお店を移転されているが、移転先のお店のオープン時にはご案内のハガキをいただくほどのご縁に恵まれた。現在は「鈴乃」というお店をオープンさせ、そこにも2019年末に伺っている(2022年閉店)。

「魚戸いなせや」(冬編 4日目)は、そこから本店にあたる「馳走いなせや」で、2014年ころ、当時料理長を務めておられたKさんとご縁ができ、「元気のある若者が頑張っているお店」を何軒か紹介いただいた。
それらのお店は、Kさんからの紹介ということもあり、最初から良くしていただき、現在でも京都に行くたびにお世話になっている。
さらにそこからご縁が広がったり、独自にお店を見つけてご縁ができたりし、気がつけば、太田さんの著書に頼らなくても何とか居酒屋を愉しめるまでに自立(?)していた。

しかし、不思議とバーにはご縁がなく、太田さんが紹介されているバーには、ほとんど行ったことがない(というか、居酒屋をハシゴしているうちに、バーに行けないほど、酔っ払ってしまうだけなのだが)。そのかわりと言ってはナンだが、祇園のホステスさんがいるようなお店に、何故だかボトルキープしていた時期もあった(今はそんな財力も体力もない。当時はどうかしていたんだと思う)。

こんな経験ができるようになったのも、本書を含めた太田さんの著書のおかげだと思っている。太田さんの著書からは、お店の情報を得るばかりでなく、お店での立ち居振る舞いや会話のしかた、お酒の飲み方など、様々影響を受けた。実際、太田さんの指南は、実践可能なものが多い。

ただ、太田さんの著書に頼らなくなったといっても、本書は今でも私の「バイブル」であることに変わりはない。
それは、本稿で書いたように、酒飲み旅の「理想」がいっぱい詰まっているからだ。
色々経験ができるようになったといっても、太田さんの足もとには遠く及ばない。本書を読み返すたびに、「いいなぁ、羨ましいなぁ、こんな経験してみたいなぁ」などと、あの頃と同じように、思うのである。


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