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映画『スープとイデオロギー』

映画『スープとイデオロギー』(ヤン ヨンヒ監督、2022年。以下、本作)の冒頭。
いきなりヤン監督のオモニ(母親)の口から、耳を塞ぎ目を逸らしたくなる体験談が語られる。
無知な私の記憶ではこのシーンを語れないので、本作のパンフレットに掲載されている立命館大学名誉教授・文京洙ムンギョンス氏の文章を引用する。

映画は、病床のヤン ヨンヒの母(康静姫カンジョンヒ)が済州での凄惨な体験を語るシーンから始まる。「観徳亭クァンドクチョン広場」「射撃の音」「男の子が死んだ」といった言葉が聞き取れる。「三・一節事件」(略)の現場に居合わせたことをうかがわせる。四・三事件のさなかの済州では、2日間で400人余りの住民が討伐隊に銃殺された北村プクチョン里(朝天チョチョン面)の大虐殺をはじめ、住民が校庭などに引き出されて虐殺される、という惨劇があいついだ。そういう殺戮さつりくにまつわる体験が生々しく語られる。サムチュン(伯父)が銃床で殴り殺された記憶を語る母の面持ちは鬼気迫るものがある。

『サムチュンが銃床で殴り殺された記憶』は、もっと生々しく語られる。『銃床で後頭部を強く殴られた勢いで、サムチュンの2つの目玉は飛び出し、その後死んだ』
耳を塞ぎたくなる話であり、それを語るオモニの姿から目を逸らしたくなる。
ヤン監督がこのシーンを冒頭にもってきたのは、観客に対する警告であり、自身の本作に対する覚悟を表明するためではないか。
「観客に対する警告」とは、「本作は過激な表現があるので注意せよ」ということではなく、「この『虐殺が行われたという事実』から決して目を逸らさず耳を塞いではならない」ということであり、ヤン監督自身もその覚悟で本作を作ったということである。

とはいえ、本作は、「4.3事件」の真相を追ったり歴史的事件を糾弾する社会派のドキュメンタリーではなく、語られるのは、あくまでもヤン監督の母親の個人史であり、監督一家の「家族史」である。

冒頭の話を内面に孕みながらも、映画のトーンは全体的に穏やかだ。
もちろん、重すぎるテーマに引きずられないように配慮した演出なのだろうが、それだけでなく、語られる言葉が大阪弁であることと、本作のプロデューサーでありヤン監督と結婚する荒井カオル氏の存在が演出の意図を超えたところで、本作の穏やかさを作り出している。
監督より12歳年下でフリーライターの荒井氏は、真面目(初日舞台挨拶で一人で喋り続けるヤン監督の横で何度も時間を気にしていた)で、おちゃめ(終映後、彼のTシャツの趣味で盛り上がりながら帰途につく観客を何人も見かけた)で、そして何より大らかだ。
ヤン監督は、荒井氏のことをこう述べている。

ガチガチの活動家で肖像画のある家で、在日の人でもドン引きするのに、彼はひょいって見事に飛び越えて、嫌がることも遠ざけることもなく『一緒にご飯を食べよう』と。共存というか、一緒に生きていくヒントがあると思います

朝日新聞2022年6月10日付夕刊 ヤン監督インタビュー記事


ヤン監督の作品は、彼女の家族や日本に住む同じような境遇の同胞が持つ大きな困難とは違う、そして、作品の意図の外にある、日々の暮らしの何気ない姿に胸を突かれるシーンが多い。

たとえばデビュー作の『ディア・ピョンヤン』(2005年)。
オモニへのプロポーズの話に照れまくるアボジ(父親)の姿。

たとえば『いとしのソナ』(2009年)。
本作でも、北朝鮮に住む姪のソナからの手紙に出せない返信を書こうとするヤン監督の姿が登場するが、そのソナの成長を追ったのが『いとしのソナ』で、何気なく家でビデオを見ていた私は、そのラストシーンに何故か号泣してしまったのである。
それは、当時の北朝鮮では日常的であった停電時にソナが録音されていることを意識して言った言葉だ。
『マイク入れて。マイクをちょうだい、何か私に言わせて。ただいま停電中、分かりますか?日本に帰っても わが家の停電を忘れないでください。停電中のこの家はとてもカッコいいです。おお停電だ。栄えある停電であります』(劇中字幕)
この日常の一コマが、北朝鮮ですら特殊ではなく世界中で普遍的な、「かけがえのない日常」がそこに当たり前にある、ということが、とてつもない切なさで胸に刺さり号泣してしまった(家で一人で見ていて本当によかった……のだが、号泣した理由の一つはきっと、「家族の温かみ」というものが独身・単身生活で「一人で見ていた」私に刺さったからだと思う。そして、繰り返すが、その「家族の温かみ」は北朝鮮であろうと違いがない普遍的なものである)。

その「切なさ」というのは、どの言葉を使おうと説明ができず、「切ないは切ないでしかない」と思い知ったのが本作である。
それは、アルツハイマー型認知症が進行し様々なことを忘れていくオモニが、しかし”祖国”北朝鮮を讃える歌だけは忘れず、もう何度も何度も開いてボロボロになった歌詞本を見ながら、娘婿に歌って聞かせる姿だ。
その姿を観て私は涙が溢れて仕方が無かった。泣きながら自身で何故泣いているのか問うてみたが、言葉が浮かばなかった。
「悲しみ」でも「哀れみ」でもない。ただ「切ない」と思っただけだった。
スクリーンでも、歌っているオモニの横で、娘のヤン監督が静かに涙を流していた。
私の80歳近い両親は、幸いなことに健康で記憶も今のところはっきりしているが、もしヤン監督のオモニのようになって、昔の話や歌を機嫌よく話したり歌ったりしたら、きっと私は、ヤン監督と同じようにそんな親の横で静かに涙を流すのだろうと思った。


本作は、偶然にも『ディア・ピョンヤン』『愛しのソナ』という単発映画を『家族のドキュメンタリー3部作』として再編成し、しかもその『完結編』に位置付けられることになった。
しかも、単なる『完結編』ではなく、図らずとも『謎解き編』ともなった。

彼女のデビュー作『ディア・ピョンヤン』は、「南」で生まれながら「北」を祖国として選び、「北」に息子たちを送っただけでなく、「北」のイメージが「張りぼて」であったことが露呈してもなお、「韓国」を強く否定し「北朝鮮」を無条件に崇拝する両親への疑問と反発が描かれている。
その両親の思想の根元を当時の「韓国」の状勢に求めようとするが、それでは説明がつかないということが、作品作りの発露となっていたような気がするが、本作において、その『謎解き』の一端が見いだせたのではないか。

ヤン監督は、2018年に済州島で行なわれた「4.3事件70周年追悼式」にオモニと荒井氏とともに出席した後、事件の真実を探り記録しようとしている韓国の「4.3研究所」を訪れる。
彼女は『自分はアナーキストだから全ての国が嫌いだ』と前置きした上で、『(オモニが4.3事件を体験したと知って)韓国は信用できないと言って、北朝鮮に心酔する母の気持ちが分かった』『実は、今まで(3人の兄たちを北朝鮮に送った)母を許せなかった。でも、事実を知ったら強く言えなくなった』と涙ながらに語る。

本作は、世界中どこにでもある「家族への反発が互いに年を取ることによって次第に和解していく」という普遍的な話でもある。
同時に、「家族の記憶」が脈々と受け継がれていく、という話でもある(とは言え、その和解の道程にこんな凄惨な事情があったということ、そして、それを受け継いでいくのは本当に辛い作業だと思う)。

そして、ヤン監督の全ての作品は、「たとえ一部の政治家や権力者の行為がきっかけであっても、それによって人生を狂わされてしまうのは、いつだって『ささやかな幸せを糧に普通に暮らすことだけを願っている一般市民』である」ことの矛盾と憤りに満ちている(それは劇映画『かぞくのくに』(2012年)のラストシーンで安藤サクラが見事に体現している)。

メモ

映画『スープとイデオロギー』
2022年6月11日。@渋谷・ユーロスペース(初日舞台挨拶あり)

表紙の写真は、舞台挨拶後にヤン監督と荒井カオルプロデューサーにサインをいただいたパンフレットです。


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