舞台『アカシアの雨が降る時』(2023年再演版)を観て思った取り留めのないこと…(感想に非ず)

2021年に初演された舞台『アカシアの雨が降る時』(鴻上尚史作・演出)が、2023年に再演された(以下、初演版、再演版と表記)。
この2年半の間で世界は大きく変わった。
新型コロナウイルスは、表面上何とか収まり、以前の生活を取り戻しつつある。
しかし良いことはそれくらいで、世界的にはウクライナ戦争や再演と同時期に勃発したイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃など、激しい争いが後を絶たない。
そして、淋しいことに、初演版で主役の香寿美を演じた久野綾希子さんが亡くなった。

再演版は、松村武が続投し、主人公・香寿美とその孫・陸がキャスト変更しているが、初演版をほぼ踏襲している。
内容については初演版について綴った拙稿を参照いただくとして、本稿ではタイトルどおり「観て思った取り留めのないこと」を綴っていこうと思う。だから、本稿はまとまりのないものになるだろう。

劇中で主人公・香寿美(竹下景子)が岡林信康の「友よ」(岡林信康作詞・作曲、1968年)を歌う。

友よ 夜明け前の闇の中で
友よ 戦いの炎を燃やせ
夜明けは近い 夜明けは近い
(略)
友よ のぼりくる朝日の中で
友よ 喜びをわかちあおう
夜明けは近い 夜明けは近い

岡林信康「友よ」

この歌が好きなのかと問われた香寿美の「どちらかというと嫌い。でも、元気になれる」という答えが、私はとても腑に落ちた。

というのも、この再演版を観劇する直前、吉祥寺の映画館で『ガザの美容室』という映画を観ていたからだ。

映画の終盤、夜に美容室の外で銃撃戦が始まる。美容室にいた女たちは灯りを消し、息を詰める。
ラスト直前、美容室のドアは、外にいた男たちによって無理矢理開けられ、女たちは暗い夜の景色を目の当たりにする。

『友よ 夜明け前の闇の中で / 戦いの炎を燃やせ』
「戦いの炎を燃やす」のは「男たち」であって、「女たち」は戦いなどしてはいない。望んですらいない。
確かに、あと数時間もすれば「明日の夜明け」が来るだろう。しかし、それは単に朝になっただけだ。「女たち」は夜明けに希望など見いだせない。
だから、「女」である香寿美はこの歌が「どちらかというと嫌い」。
「戦いの炎を燃やす」のは男たちだけで、それに翻弄されるだけの女たちはただ、『友よ のぼりくる朝日の中で / 喜びをわかちあ』いたいだけなのだ。
それは勝利でも敗北でもどちらでもなく、「ただ平和に生きられる喜び」であり、それは決して「叶わない理想」ではない。確かに「夜明け」は来る。
だから、「女」である香寿美はこの歌で「元気になれる」。

その「友よ」に先立って最初に歌われるのが、五つの赤い風船の「遠い世界に」(西岡たかし作詞・作曲、1968年)。

遠い世界に 旅に出ようか
それとも 赤い風船に乗って
雲の上を 歩いてみようか

このファンタジックなラブソングはしかし、反戦歌でもある。
なぎら健壱著『関西フォークがやって来た! 五つの赤い風船の時代』(ちくま文庫、2021年)では、こう説明されている。

音楽の教科書にも載ったと聞くこの唄は、ご存じ風船のラストを飾る曲としてだけでなく、日本で最も多くシング・アウトされた曲ではなかろうか?まさに、日本のフォーク界においての代表曲である。
西岡はこの曲のことを「(略)PPMの『悲惨な戦争』を聞かされ、美しさときびしさに感動させられて作ったのがこの曲です」と語っている。

『風船のラストを飾る曲』とは、文字どおり「五つの赤い風船の解散コンサートのラストで歌われた曲」ということだが、その後、アンコールでゲストとともに歌われたのが、「これがボクらの道なのか」(西岡たかし作詞・作曲、1970年)である。
初演版と再演版との違いはこの曲で、香寿美の孫・陸が複雑な家庭事情や自身の人生の悩みをこの曲に託すのだが、これは恐らく、陸を演じた、かつての「国民的子役スター」鈴木福を投影したものだ。以下の一節だけでも、彼が歌ったと思うだけで、とても切なくなる(という我々庶民の傲慢で身勝手な感情が、「鈴木福くん」を苦しめているのだが)。

今も昔も変わらないはずなのに
なぜこんなに遠い
ほんとの事を云って下さい
これがボクらの道なのか

それはそうと、『遠い世界に 旅に出ようか』と明るく歌った香寿美は、ラストで本当に旅に出る。
それは最終的に、この物語の鍵である高野悦子さんの『ニ十歳の原点』(新潮文庫)に接続される。
本稿では、この本について説明しない(興味のある方は、本稿最後に載せた拙稿を参照ください)が、彼女が最後に日記を付けたのは1969年6月22日(から翌未明にかけて)。
そこには、「旅に出よう」で始まる自作の詩が綴られている。
香寿美の息子・俊也(松村)と孫の陸によって朗読される(この群唱が鴻上作品ぽい。第三舞台の名作『朝日のような夕日をつれて』も確かそうだった)詩は、芝居のカタルシスを誘うが、この詩が書かれた前提と顛末を押さえておく。

1969(昭和44)年6月22日の日記には、こう綴られている。

買ってきた睡眠薬には不眠症には二錠が適量だという。では「不信症」には何錠がよいのだろうか(略)
何のことはない五ミリ位の小さな粒である。こんなものはいくらでも飲めると、内心ではコワゴワ、一錠一錠と口に入れた(略)
ニ十分たったというのにまだ眠くならないのだ。(略)
何もないのだ。何も起こらないのだ。独りである心強さも寂しさも感じないのだ。(略)
雨が強く降りだした。どうしてこの睡眠薬はちっともきかないのだろう。アルコールの方がよっぽどましだ。早く眠りたい。二時三十分、深夜。

つまり彼女は、『内心ではコワゴワ、一錠一錠と』睡眠薬を飲んだにも拘わらず眠れず(効果が現れずの方が適切か)、詩を綴っているうちに、6月23日の「夜明け」を迎えた。
しかし、そこに「希望」は見いだせなかったに違いない。何故なら…

昭和四十四年六月二十四日未明、鉄道自殺

本作、アルツハイマー型認知症で20歳の記憶の中を生き始めた香寿美に、孫と息子が翻弄され、それとリンクしながら若者と中年サラリーマンが人生に悩む(さらに、中年オヤジがアメリカ人になる、といったコメディー要素も加わり)、とてもわかりやすいストーリーに見えるが、構造的には結構複雑だ。

ひとつは、わかりやすく提示される。
『役者になりなさい』
アルツハイマー型認知症患者の言動を頭ごなしに否定せず、ある程度合わせる必要がある。
そのために主治医が俊也と陸に対して『役者になりなさい』とアドバイスする。
この主治医の声が鴻上というところもミソで、つまり「職業俳優」が演じる劇中の人物に対し、もう1階層上の(架空の)人物を演じろという指示なのである。
だから(作演出の鴻上によって)、竹下景子は「香寿美」を演じながら「20歳の記憶に戻ったかすみが別の人生を歩き出す」、鈴木福は「陸」を演じながら「かすみの恋人(陸にとっての祖父)になりすます」、松村武は「俊也」を演じながら「アメリカ人脱走兵・ラッキーになりきる」というミッションが課せられる。

劇中の人物が「劇中劇」を演じるという構造なのだが、では、「劇中劇」を演じる劇中の人物は「(物語上の)本当の自分を生きている」かというとそうではない。
若者と中年サラリーマンは、自分の現状と「香寿美が20歳を生き直す姿」から「本当の自分」とは何か?を自問する。というと、ありきたりな物語のようにも思えるが、そうではない。
香寿美を含め3人とも、家族や周囲の環境に意識/無意識問わず「抑圧」されてきた。そして、それらに自身を「適応」させて生きてきた。
だからといって「抑圧」に抵抗/反発すれば「本当の自分」になれるのかといえば、そうではない。何故なら抵抗/反発は「抑圧」に対してのものでしかなく「縛り」は解けない。縛られている限り「本当の自分」は見つけられない。
そう考えれば、結局我々は、家族の前であっても「役者になって」演技しているにも拘わらず、そうじゃないと誤魔化していることが、逆に家族間での諍いを引き起こしているのかもしれず、だから、家族であっても「演技だ(或いは「他人から与えられた人物(役割)」になっている)」と認めてしまえば平穏が訪れるのかもしれない。
ラッキーさんとの生活の中で各々が幸せを実感する姿に、我々観客が戸惑うのは、つまり、「家族が幸せなのは、みんなが本当の自分をさらけ出しているからだ」という価値観が揺らいでしまうからではないのか(香寿美もまた演技していたことは、後に明かされるとおり)。

「独りであること」、「未熟であること」、
これが私の二十歳の原点である。

高野悦子さんは成人の日の日記にそう綴った。
彼女がいない21世紀の日本。
20歳といわず、子どもの時から、『独りであること』も『未熟であること』も許されない(「ぼっち」が忌み嫌われ、「子どものイタズラ」が全国民から総非難される、公園で無邪気に遊んでいるだけでも怒られる)時代になった。
そして、彼女が患った『不信症』も蔓延している。

彼女は詩を綴った翌日に自ら命を絶った。

物語のラスト、遠い世界に旅に出た香寿美が、『アカシアの雨にうたれて / このまま死んでしまいたい』と、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」(水木かおる作詞・藤原秀行作曲、1960年)を歌い始める。

夜が明ける 日がのぼる
朝の光りのその中で
冷たくなった私を見つけて(略)
涙を流して くれるでしょうか

西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」

そう問いかける香寿美の姿が、高野悦子さんとダブる。

『アカシアの雨が降る時』
そう題された芝居の幕切れの先にあるのが希望なのか絶望なのか、私は測りかねている。

メモ

舞台『アカシアの雨が降る時』
2023年10月21日 マチネ。@新国立劇場 小劇場

初演のことを綴った拙稿で、『きみが死んだあとで』(代島治彦監督、2021年)というドキュメンタリー映画について触れた。

再演版観劇の折に手渡されたチラシのなかに、「2024年春公開決定」と書かれた、長編ドキュメンタリー映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』の予告を見つけた。
監督は代島治彦、劇中劇の脚本監督を鴻上尚史、音楽は大友良英とある。
チラシに書かれた代島監督のコメントを引用する。

鴻上「次は<内ゲバの時代>の映画を作ってください」代島「それは難しい…」。
2021年11月、『きみが死んだあとで』上映後のトークイベントで鴻上尚史さんと話しました。
鴻上「最近出版された『彼は早稲田で死んだ』という本、面白かった」
代島「ぜひ読んでみたい」。
イベント終了後、会場にいた著者の樋田毅さんから僕はその本を贈呈され、その晩一気に読みました。映画作りの話は、樋田さんと鴻上さんと僕の、この日の偶然のような、必然のような出会いからはじまりました。
鴻上さんは1978年、僕は77年に早大入学。
四国から上京した鴻上さんも、北関東から上京した僕も、少年時代に学生運動に憧れ、高校時代に新左翼党派に絶望した「遅れてきた世代」です。だからこそ、樋田さんが書いた川口大三郎さんのリンチ殺人事件をめぐる<内ゲバの時代>の体験はこころに突き刺さりました。
樋田さんに映画化の快諾をもらった僕は、フィクションを含むドキュメンタリーを構想し、鴻上さんに映画のための芝居作りをお願いしました。


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