成井豊著『あたしの嫌いな私の声』

言葉とは、人間とは不思議だ。
何故、言葉は伝わるのか。いや、それ以上に、何故「言葉以上」のモノが伝わってしまうのか、とても不思議だ。

「サイコサスペンス」と銘打たれた成井豊著『あたしの嫌いな私の声』(主婦と生活社、1991年。以下、本作)は、普通の人には聞こえない「裏の声」を利用して人を操ることのできる人と、その声が聞こえてしまった人の物語である。

主人公の君原友里ユーリは、『初めて会う人は、必ずと言っていいほど、風邪ですかと聞く』特徴のある声を生かして声優を目指す19歳の女の子。高校時代の家庭教師で、今は新聞社の新米記者として頑張っている北村幸吉に淡い恋心を抱いている。

ユーリは初めて受けたオーディションに合格し、声優デビューしようとした矢先、声が出なくなってしまう。

きっかけは、偶然出会った、世界から注目される若手指揮者の波多野祥也が高杉という男に放った「言葉」だった。

高杉が波多野の視線に気づくと、波多野は静かに言った。
「君とは二度と会いたくない」
ユーリの背中に寒気が走った。(略)
「死んでしまえ」
ユーリの耳にはそう聴こえた。波多野は今、確かにそう言った。口では「君とは二度と会いたくない」と言いながら、それと同時にもう一つ、別の声を発したのだ。いっぺんに二つの言葉をしゃべることのできる人間など、この世にいるはずがない、が、ユーリの耳には確かに二つ聴こえたのだ。

高杉はその後、自宅で自殺してしまう。

ユーリは気がついていた。波多野の声が自分に似ていることを。
そして恐れていた。自分にも波多野と同じ能力があるのではないかと。

自分の秘密を知られた波多野は、ユーリが自身の声にコンプレックスを持っていること、その声による能力の可能性に怯えていること、そして、ユーリが幸吉に恋心を抱いていること、その全てを利用して、彼女にこう言うのだ。

「君が声を出さないことだ。君が声を出さなければ、彼は君を愛してくれる」
ユーリの耳には、その声が二重になって聴こえた。一つの言葉を、二人の波多野が同時に言ったかのように聴こえたのだ。まるでエコーがかかったみたいだった。一番聴きたくない言葉を、二倍のボリュームで聴かされた気がして、ユーリは完全に打ちのめされた。

ユーリは声が出なくなった。

我々が人の言葉に従ってしまうのは、その言葉を理解し、納得したからだろうか? それとも、「裏の声」に操られているのか?
もしそうだとして、では、声が出せない聾唖の人たちは、自分の要求を他者に伝えられないのか?

波多野には雪絵という聾の姉がいる。波多野は自分の能力を、姉を守るためだけに使っていた。
全てが終わった後、雪絵は告白する。

私は弟の能力を知っていた。それが自分を守るために使われていることも。私は言葉を使わず、弟を、彼の能力を操っていたのではないか。

もちろん、本作はフィクションであり、エンターテインメントの物語だ。
だが、読了した私は考える。

私が他人の言葉を理解し、それに従ったり沿ったりできるのは何故なのか、と。

本作、1993年に、著者の成井豊自身が主宰する劇団「演劇集団キャラメルボックス」において、『嵐になるまで待って』というタイトルで上演された。
その後何度か再演された芝居は、成井豊の脚本・演出にて、2023年7月、サンシャイン劇場で再び上演される(「キャラメルボックス」ではなく、「NAPPOS PRODUCE」)。

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