工場愛女子と鋳造愛女子

私は会社員だからしょっちゅうではないが、休みや外出などで日中に出かけた際、たまに車輪のついた大きな箱の中に小さい子どもが何人か乗って、それを保母さんや保父さんが押している光景を見かけることがある。
公園かどこか遊べる場所へ向かっているのか、それとも帰りなのか。
賑やかにはしゃぐ子どもたちが箱に収まって移動する姿がただただ微笑ましいだけで、あの手押しの移動箱(?)など気にも留めなかった。
だいたい、私は独身子なしの中年オヤジで、ベビーカーを売っている場所さえ行った事がないのだ。

あの移動箱(?)が「サンポカー」という名前であると教えてくれたのは、小川洋子著『そこに工場があるかぎり』(集英社、2021年)である。
帯には「工場愛はとまらない」とある。

小川洋子さんといえば、映画化もされた『博士の愛した数式』などの物語の作者であり、2020年には『密やかな結晶』の英語版がブッカー国際賞の最終候補にノミネートされたと話題になった、人気小説家である。
そんな小川さんが、工場愛?

小川さんは『私が生まれ育ったのは、お城にも県庁にも近い、岡山市の町中なのですが』と切り出す。
その頃の岡山駅周辺は、現在我々が知っている景色とは違い、町工場がたくさんあったという。

子ども時代の記憶に残る工場の思いでは、たくさんあります。驚異、畏怖、感嘆、陶酔。工場の前に立ち、あらゆる感情を味わいました。工場はありふれた日常の中に潜む、圧倒的な世界の秘密でした。

長年抱き続けている工場への思い入れを、本の形にして記してみたい。子どもの私が味わったあの瑞々しい体験を、作家になった今の自分の言葉でよみがえらせてみたい。

巡った工場は6社。
そのうちの1社が、「サンポカー」を開発・製造している「五十畑工業」。
なんと、『美智子様が皇太子妃殿下の時代、浩宮様を乗せていらしたベビーカー』を特注で作った会社だそう。

只者ではない工場愛を感じさせるのは、6社のうち、「グリコピア神戸」(言わずと知れたグリコのお菓子の製造工場)以外、「五十畑工業」を含め、とてもマニアックな工場であることだ。

物体に細い穴を開けるだけの工場、競技用のボートをオーダーメイドで作る工場、ベビーカーからサンポカー、はたまた半身不随で前脚しか動かせないダックスフンド・ゴマ男くんのための特注の後脚補助輪までを手作りする工場、など。
今まで知らなかった世界が紹介されていて、とてもタメになる本なのだが、魅力はそれだけではない。

小川さんはどの工場にも「人の手」というものを感じ、それこそが工場の、ひいては「労働」そのものの魅力だと教えてくれる。

たとえば「グリコピア神戸」。
よくテレビ番組でも紹介されているように、ポッキーやプリッツは、ほとんど機械化されて大量に生産されていくが、小川さんは、ここでも「人の手・労働」というものに注目している。

ここでようやく、人間の働きが目に見える形で現れてくる。コンベヤーの最後、ここから先はもう何もない、という地点に女性が一人立ち、次から次へと流れてくるポッキーの軸をL字形の銀色の板でごっそりとすくい上げ(略)

すくい上げる、揃える、入れる。すくい上げる、揃える、入れる…。永遠に続くのかと思わせるこの一連の動きに、私は見とれてしまった。いくら見ていても飽きなかった。人の手は、私が考えるよりずっと偉い。

この本に紹介された工場で働く人たちは、自分たちの作るものに、自分たちの技術に、そしてそれが誰かの役に立っていることに誇りを持っている。
それが何より気持ちいい。
「働くってこういうことだよね」と元気をもらい、明日からは自分も胸を張って働こうという気にさせてくれる。


上野歩著「鋳物屋なんでもつくれます」

同時期に、女性が主人公の物語を読んだ。
上野歩著『鋳物屋なんでもつくれます』(小学館文庫、2020年)。
舞台はこれまたマニアックな「鋳物工場」である。

亡くなった祖父が残した鋳物工場を継いだ”鋳物オタク"のルカが、従来の鋳物製造を踏襲しながらも、次世代に向けて新たな挑戦に挑んでいく物語。

鋳物は成熟産業だ、という声を業界の内外で耳にする。すでに技術は出尽くした。もう大きな発展はない、と。本当にそうなのだろうか?

このルカの思いをテーマとし、戦前からある従来の木型法から最新のフルモールド法への転換を軸として物語が進む。

文庫版にして320ページほど。とにかくてんこ盛りの内容だ。
一般的になじみのない鋳物についての丁寧な説明、それぞれの鋳造法の解説を織り込みながら、昔気質の職人と経験が浅い若者の断絶、経験と勘の世界から数値化・データベース化、手作業から機械化、大手顧客からの短納期・コストダウン要求、大手同業社による買収の策略、果てはメイドカフェまで…。
さらに、1964年と2020年のオリンピックを絡ませるなど、仕掛けも満載だ。

その分、というのか、個々のエピソードはそれほど重くない。
メインの取引先からコストダウンを要求されて、ルカ本人が契約を切ったり、それが元で会社がピンチになったりするが、それがフルモールド法へのきっかけになる。
フルモールド法への転換についても、昔気質の職人は一応反発するが、工場を去ったり意地悪な抵抗をしたりせず、いつの間にか社員全員で協力してフルモールド法を会得したりする。
会社は、20人だった社員がアルバイトやパートを入れて50人に増えるほどの成長を遂げる。

ご都合主義?
確かに、そうかもしれない。
しかし、それの何が悪いのか?

物語は終始、波乱万丈だ。
上手くいくか心配で、ハラハラする。
上手くいかなくてガッカリするが、それが次の挑戦へのきっかけになり、ワクワクする。
彼女たちの苦労と努力が実り、ホッとするし、嬉しくなる。
メインの取引先の無茶な要求を蹴って、スカッとする反面、心配にもなる。
工場の頼りになる若者と大手同業会社のイケメン御曹司を巡るルカの気持ちにドキドキする。

そして、読み終わった時、スッキリ、ニッコリ本を閉じることができる。
これを良い物語と言わずして、何が物語なのか?

私はこの本で上野歩さんという方を知り、てっきり女性だと思い込んでしまったのだが、Wikipediaによると男性とのことである。

この文庫版の終わりに著者の既刊本が紹介されている。
『わたし、型屋の社長になります』『就職先はネジ屋です』
…マニアックである

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