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週末の夕方、「ハッピーアワー」のある飲み屋に入ってみた話

一人で飲み屋に入る

週末の夕方、定時で仕事を終えた私は、ふらりと立ち寄った本屋の近くに「ハッピーアワー」の看板を見つけ、吸い寄せられるように居酒屋のドアを開けた。
さほど大きくはないお店。入り口手前がカウンター。奥にあるテーブル席から賑やかな声が聞こえてくる。ハッピーアワーだからか、若い人たちが多い。

8席あるL字のカウンターの端に、私と同じようなスーツの男性が一人。
反対側の端では、恋人どうしと思われる若い男女がビールを飲みながら談笑している。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?カウンターのお席へどうぞ」
奥から顔を出した女性店員が愛想よく迎えてくれる。

随分昔、まだSNSもスマホもない頃。
ふと思いついて、『一人 居酒屋 ブログ』で検索してみたことがある。
ヒットした飲み歩きブログの類をいくつか読んで、当時、私と同じ年代(今で云うところの「アラサー」くらい)と勝手に推測するブログ主たちの何割かが 「一人で飲みに行く」と友人や会社の同僚に言うと、珍しがられるといった書き出しになっていて、「へぇー」と思った。

ブログの内容から、その書き出しは「飲みに行く相手もいない寂しい人」といったネガティブなイメージではなく、むしろ逆で、「周りの人と違うことをしている」と半ば自慢している風。
確かに、30歳前後の人の周りでは、一人で飲みに行くのは(今でも)珍しいことかもしれない。
でも私が「へぇー」と思ったのはその珍しさではなく、「一人で飲みに行く人が、『一人で飲みに行く』という行為を特別に思っている」ことだった。
それは、私が当時から普通に一人で飲み歩いていたからということもあるが、だからこそ、「一人で飲むのは特別なことではない」のを実感しているからだ。
一人で飲み屋さんに行くと、大抵の場合、今と同じようにカウンター席に通される。
つまり、カウンターは一人客(や、少人数の客)が占めていることが多い。現に、今もスーツ姿の男性がいる。
街の飲み屋さんはもちろんだが、チェーンの居酒屋でも一人客は、いる。
一人客なら誰でも、「どのお店に行っても、自分の周りは一人客だらけ」ということを日常的に体感しているはずで、だから一人飲みはちっとも特別じゃないことをよくわかっている……にもかかわらず、「一人で飲みに行く自分」を特別視したような書きっぷりに「へぇー」と思ったということ。

もちろん、そんなことはブログ主も心得ていて、でも当時のブログの特性上、「自分の日常を、非日常風に(今でいうところの)盛ってみました」ということだったんだろうなと、50歳になった私は、先客2組の間、つまりカウンター中央の椅子を引きながら、ふと思い至ったりする。

「一人飲みデビュー」したい人が気になる(であろう)こと

席に座り、鞄を足元に置く。

頭の中には、まだ昔見たブログやネット記事がわだかまっている。
ブログが流行りだしてから今日まで、たまに「一人飲みデビュー」を薦める類のネット記事を見かける。
「一人飲みできるお店の探し方」だの「お店の入り方」、「注文の仕方」etc..

「お店の探し方」といっても今の人たちならスマホ検索はお手のものだろうし、「お店の入り方」と言ったって、お店のドアを開ければ誰でも入ることができるはずだ。
強いて指南するとすれば、「いらっしゃいませ」と言われたらそのまま入店すればいいし、誰も気づいてくれなければ静かにドアを閉めて次のお店を探せばいい、くらいか。
「注文の仕方」だって、店員さんがおしぼりを差し出しながら「お飲み物は?」って聞いてくれるだろう。
飲み物の注文に戸惑ったら、「とりあえず生ビール」と”とりあえず”言えば、よほどのことがない限り(たま~に、瓶ビールしか置いていないお店がある)、”とりあえず”日本全国どこでも通じる。

でも、それ自体は実は「入店時の儀式」「束の間のイベント」であり、飲み屋さんで過ごす時間の大半は「一人でただ飲んで食べる」ことに費やされるのではないか、と、こちらにやってくる店員さんの気配にワクワクしながら、思う。

「一人飲みデビュー」したい人は、その大半の時間をどう過ごしたらいいのか、気になっているのではないだろうか?(あくまで私の想像だけれど)。
そういう人は、「お店の人や常連さんと仲良くなって、自分も常連客になれるかも。行き付けのお店がある自分って素敵」とか淡い期待を持っている半面、それ以上に「でも実際に話しかけられたりしたら、どう応えたらいいんだろう。初対面の人との会話とか慣れてないし」と不安に思っている(あくまで意地が悪い私の想像だけれど)。
そんなことは、ブログやネット記事を書いている人だってわかっているはずで、では、なぜ書いてくれないかというと、「それは、それぞれのお店やその時の”状況しだい”であって定石がなく”成り行き任せ”としか言いようがないから」だろう(これは私の実感)。

ちなみに私は、注文以外に喋ることなく2時間以上お店にいることができるどころか、気づけば閉店だったりすることも多い。
客が私一人の(初めて入った)小料理屋で、注文以外何も話さず、女将さんと2人で2時間のバラエティー番組を最初から最後まで見続けたこともある(女将さん、さぞ怖かったことだろうと、今にして思う)。
もちろん、喋る機会があれば、ちゃんと喋ることも、一応はできる(できているはず……)。

「一人でただ飲んで食べる」時の一杯目の注文

「おしぼり、どうぞ」
開店から間もない時間でまだ疲れていないためか元気いっぱいの女性店員さんからおしぼりを受け取りながら、「生ビール(発泡酒とかじゃないやつ。ハッピーアワー 390円!!)をください」と注文する。

最初の儀式が無事終わった安堵のため息を吐きながら、おしぼりをきちんと畳んで脇に置き、立て掛けてあったメニューに手を伸ばす。

最近は「一人でただ飲んで食べる」時でも、スマホを操作していれば間が持つし、読書している人も結構見掛ける(私は、ずぅ~っとお酒と会話していることが多い)。

とはいえ、折角一人で勇気を出して入店したのだから、お店の人とコミュニケーションを取りたいとも思うが、どうすれば良いかわからない。
ネットで検索すると、「勇気を出して『お薦めは何ですか?』と聞いてみよう」と書かれたページがあるかと思えば、逆に「初めてのお店で、いきなり『お薦めは?』と聞くのはNG」というページもヒットするしで、却ってわからなくなる。
結局、普遍の正解はないということのようで、この辺が「一人飲みデビュー」したい人にとって壁になっているのかもしれないと思う。

日本酒が好きな私は、日本酒の品揃えが豊富(あるいは自分の趣味に合うよう)なお店に行くことが多いが、初めてのお店で、いきなりお薦めを聞いたりしない。
とりあえず席に着いたら、メニューを見る。最近は、壁に掛かった黒板にお薦めのお酒が書かれているお店も多いので、それも見る。
と言っても、私は日本酒が好きだが、銘柄とか詳しくないので、メニューを見ても、よくわからないことの方が多い。
かろうじて知っている銘柄でも、全く聞いたことのない銘柄でも何でも構わない。
その注文でお店の人が私を値踏みしても気にならない。まぁ、そんなお店はあまりないだろうが、値踏みという点では客の私がお店を値踏みしている。

それはさておき、とにかく、最初の一杯は自分で注文する。
「とりあえずビール」という手も良く使う(今日は「ハッピーアワー」で生ビールが安いから「とりあえずビール」で始めている)。

理由は2つ。
初めてのお店だと、そのお店の相場やポリシーなどがわからないので、お薦めされたお酒がどの程度のものか判断できない(自分が思っていたより高いお酒が出てきたり)というのが1つ。
もう1つの理由は、二杯目の「フリ」に使えるから。

飲み屋さんで「一人でただ飲んで食べる」時間に心掛けていること

美味しく・品良く・機嫌良く
この3つ。

「美味しく」
最近、SNSや口コミサイトに書き込むためなのか、評論家だか食レポ芸能人だかを気取って、したり顔で飲み食いしている人を見掛ける。
逆に、書き込み情報から仕入れた蘊蓄を店員さんに向かって披露している人もいる(周りの客にも聞こえるようにワザと大きな声で話している人もいる)。
お店が許している限りにおいて、その行為にイチャモンをつけようとは思わないが、しかし、美味しいお酒やおつまみは、(誰にも邪魔されない一人客なのだから)素直に美味しく楽しめばいいじゃないかと思う。
実際、いろんなお店で「美味しそうに飲みますよねぇ。本当にお酒が好きなんですね」と言われる。私は純粋に「この酒、うめぇ」と飲んでいるだけなのに。
で、そういうお店では、すぐに顔を覚えていただいたり、メニューに載っていないお酒を出していただいたり、「サービス」と言ってお酒やおつまみが出てきたり、常連さんに気に入られたりと、後々得になるようなことが起こり易い(気がする)。

「品良く」
人やお店の悪口を言わない。下品な話や言葉遣いをしない。下衆な噂話をしない。
最低限の食事のマナーも大事。
今までの経験では、お箸の持ち方、焼き魚の食べ方などは、意外とお店の人や周りのお客さんにチェックされていることが多いと思う。
特に焼き魚に関しては、お店の人に「綺麗に食べてくれてありがとう」とお礼を言われれば合格点を頂いたと嬉しくなる。で、そうすると、次にお店に行ったときに「お魚、食べるよね?」と言われたりする。
もちろん、注文したものが運ばれて来たときに「ありがとう」と一言返すのも大事だったりする。

「機嫌良く」
不機嫌そうに飲んでたり、愚痴ったり、周りに当たり散らしたりしている客には、お店の人も近づきたくないだろうなと思う。
逆に機嫌よく、ニコニコ、美味しそうに飲み食いしている客を見ると、お店の人も周りの人も嬉しくなるんじゃないかと思う。

どれも「言われてみれば当たり前」のこと。
だから「一人飲みデビュー」したい人も不安になる必要はないと思う。

「一人でただ飲んで食べる」時の二杯目以降1

さて、お店の雰囲気を観察したり、メニューを研究したりしているうちに、ビールがなくなってきた。

二杯目は何にしようか?
ハッピーアワー中だから対象の飲み物を注文するのもいいが、どうもこのお店は日本酒の品揃えが良さそうだ。

何を呑もうか?
メニューで気になったお酒を「これください」と言うのもいいし、「このお酒が気になってるんですが、どういうお酒ですか?」と店員さんに聞いてみるのもいいかもしれない。
一杯目が「とりあえずビール」だったから、「日本酒が飲みたいんですけど、迷ってしまって」とか言いながら、お勧めを聞いてみるのもいいかもしれない。

日本酒のお代わりを頼むときは、今飲んでいるお酒を引き合いに出して、好みに応じて「このお酒美味しいですね。同じような感じのお酒でお薦めは何ですか?」とか、「もうちょっとスッキリした感じのお酒だと何が良いですか?」と聞くと、店員さんが真剣に相談に乗って思案してくれることが多い(結構、嬉しそうに選んでくれるから、こちらも期待が増してくる)。

個人的には、いきなりお薦めを出してもらうと、好みに合わなかった時などに「違うお酒を」と言いづらくて困ってしまうことが多い。
その点、自分で選んだお酒なら、「ちょっと失敗したかも。もうちょっと甘口くらいが好きなんですが、何かありますか?」などと言える。だから、最初のお酒は自分で選ぶことが多い。
自分で注文しておけば、お薦めを聞いても、それを基準にできるので、飲みたいお酒の方向性(甘口/辛口、重い/軽いなど)を説明しやすいし、お店の人にとってもお酒を選びやすいんじゃないかと勝手に思っている。

実際、こんな風に注文していれば、お店の人もきっかけが掴めて「ウチの店、初めてですか?」とか「仕事帰りですか?」「観光ですか?」などと話しかけてくれ、それに応えているうちに、気がつけば自然とお店の人と会話できていることが多い。
ツウじゃなくても、このお客さんは日本酒が好きだとわかれば、店員さんも安心するからか、個人的な経験でいえば、好みのお酒が飲める確率が上がることが多い。

「一人でただ飲んで食べる」時の二杯目以降2

メニューを見て選んだり、店員さんに直接聞くのもいいのだが、しかし、ここは店内に日本酒用の冷蔵庫が置いてある。
その中に整然と並べられた日本酒たちはちゃんとラベルが正面を向き、「私を選んでぇ」とアピールしている(酒飲みオヤジにはそうとしか見えない)。

その中でも、ひときわ興味を引くラベルがある。
先客だったスーツ男性を見送るために出てきた店長らしき中年男性に、思い切って聞いてみる。
「『初恋』って、どんなお酒ですか?」
「滋賀の『初桜』で、ちょっと変わったお酒を造ったらしくて。ラベルにグッときちゃって、つい……」
店長が冷蔵庫から取り出してきた一升瓶に貼られたラベルは、女子学生がこれから誰かに告白するのだろうか、後ろにラブレターを隠し持っているイラスト。

『初桜・初恋』(滋賀・安井酒造場)

誰かにラブレターをもらった経験なんかないのに、何だか胸がキュンとしてしまう。
それを察した店長、「ね、いいでしょう?」とシタリ顔。まぁ、酒飲みオヤジは基本的にセンチメンタルなのだ。

見るとまだ封が切られていない。
「"初恋"の口明け」とは魅惑的だ。
決して如何わしい意味ではない……はずだったが、店長は何か察したのか、私の耳元で訳ありげに「処女です」と囁く。
……仕方が無い(何が?)。1杯いただくことにする。

「私もちょっと試飲……ほら、他のお客さんに説明する必要があるから……」
こちらが何も言っていないのに、店長は勝手に言い訳しながら、自分用のグラスに少量お酒を注ぐ。
成り行き上、2人で乾杯をして、お酒を飲む。
「……酸っぱい!!」
同時に声が出た。
「私もいいですか?」女性店員が興味津々でグラスを差し出す。
「酸っぱくはないけど……なんか、少し重くないですか?」

「初恋の味」。
酸っぱいオヤジたちと、少し重く感じる若い女性……
どっちがマシなのだろう?

「すみません。こっちにも『初恋』、1杯いいですか?」
我々のやり取りを見ていたカップルも興味が湧いたようだ。
女性店員がグラスを取りに戻り、一升瓶を持った店長はカップルに声を掛ける。
注がれた「初恋」、先に男性が少し飲み黙って女性にグラスを差し出す。

2人がどう味わったか、野暮なことは詮索しないでおこう。


日本酒のラベル

店員さんたちもそれぞれの仕事に戻り、カップルは「初恋」から学生時代の思い出話を始めたようだ。
それをBGMに、私は「初恋」をチビリチビリと呑みながら物思いに耽る。

近年特にだが、蔵元さんたちは様々工夫した日本酒造りに挑戦していて、ネーミングやラベルにも様々工夫を凝らしている。

たとえば、私のような「メガネ族」が喜ぶお酒とか…

『メガネ専用』(宮城・萩野酒造)

萩野酒造といえば、こんな夏酒もあった。

『萩の鶴 夏の猫ラベル』(宮城・萩野酒造)

季節ものと言えば、こんなお酒も飲んだことがある。

『尾瀬の雪どけ Happy Halloween』(群馬・龍神酒造)

季節ものではないが、こんなお酒も。

『招徳・コロナ禍ラベル』(京都・招徳酒蔵)

キャラクターものといえば、こんなお酒も。

『千代むすび・鬼太郎シリーズ』(鳥取・千代むすび酒造)

よくわからない未確認生物。

『遊穂・未確認浮遊酵母仕込み』(石川・御岨みおや酒造)

お店オリジナルのお酒に、オリジナルラベルなんてものもある。
信州(NHKの『ブラタモリ』という番組で、松本の人は「長野」と呼ばれたくない、というのを見た気がする)松本の居酒屋で飲んだお酒は、女将の写真入りラベルだった。

(信州松本・居酒屋まこちゃんオリジナルラベル)

「そろそろ、ハッピーアワーが終わるんですが……」
女性店員が申し訳なさそうに声を掛けてくる。
その後ろから、何かと察しの良い店長が一升瓶を持って現れる。
「面白いラベルなら、こんなのもありますよ」

『大倉・あらばしり』(奈良・大倉本家)

……どういうシチュエーションなんだ?
この後、お決まりの「あ~~れ~~」に至ってしまうのか?

いや、「あ~~れ~~」と、クルクル回されてしまうのは私だ。
ハッピーアワーに釣られて入店したはずが、結局ビール1杯の恩恵しか受けていない。
何だかモッタイナイ気もするが、もういいや。

「よいではないか、よいではないか」
一升瓶を持って待ち構える店長の心の声が聞こえる。
私は降参の表情を作りながら、店長に「じゃぁ、それください」と声を掛けた。


本稿は、「私」なる人物を含め、全て作者による「創作」であり、モデルとなるような人物・お店・エピソードは存在しません
日本酒ラベルは過去に作者が飲んで撮影したものです。
なお、見出し画像は単なるインパクト狙いであり、本稿とは全く関係ありません。

↓こちらは、(幾分盛っていますが)ノンフィクション


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