舞台『ピエタ』

一枚の特殊な楽譜を巡る物語である。
そして同時に、ある一人の男性天才音楽家を巡る物語でもある。
さらに主人公が抱える秘密には、別の一人の謎の男が深く関わっている。

この、2012年本屋大賞第3位となった大島真寿美著『ピエタ』(ポプラ文庫、2014年。以下、原作)の壮大な物語を、8人の女性キャストだけでどうやって舞台化(以下、本作)するのか。
その不安が杞憂だったことが、脚本・演出のペヤンヌマキや素晴らしい俳優・音楽家によって証明された。

18世紀のヴェネツィア。
物語は、『四季』などで知られる作曲家ヴィヴァルディ死去のしらせを聞いた孤児院「ピエタ」から始まる。
かつてヴィヴァルディは、この「ピエタ」にある<合奏・合唱の娘たち>の指導者だった。

主人公は、孤児として「ピエタ」で育った中年女性・エミーリア(小泉今日子)。
彼女は、幼いころ共に<合奏・合唱の娘たち>に参加してヴィヴァルディの指導を受けていた貴族女性・ヴェロニカ(石田ひかり)から、多額の寄付と引き換えに、「ある楽譜を探して欲しい」という依頼を受ける。
エミーリアは楽譜探しの過程で、ヴィヴァルディがクラウディア(峯村リエ)という女性と深い関係にあったことを知る。

本作は、エミーリア、ヴェロニカ、クラウディアという3人の女性を中心に、原作の物語や世界観を極力壊さないよう、細心の注意を払って展開される。
思考によって物語から意識が逸れてしまうのを防ぐため、説明セリフを最小限に留め、舞台の上手下手、手前と奥、設えられた段差による上下、登場人物たちはこれらの空間を上手く移動することにより、時間や場所の移ろいを表現している。
女性キャストだけで演じるにあたり、物語上で改変されたのは薬屋に嫁いだジーナ(高野ゆらこ)が最初から「ピエタ」に出入りしていることくらいではないだろうか。
まるで原作からそのとおりだったかのように無理なく物語が進んでゆく、ペヤンヌマキの脚本が素晴らしい。

脚本だけでなく演出、というか、長年原作を舞台化するために奔走した本作プロデューサー・小泉今日子の並々ならぬ思い入れの力によるものだと思うが、とにかく、舞台が「本物志向」であることが素晴らしい。

音楽は全て生演奏され(音楽・演奏・向島ゆり子、キーボード・江藤直子)、物語に登場する名バイオリニスト・アンナ・マリーアにプロのバイオリニストである会田桃子を起用。
それだけでなく、『ヴィヴァルディ先生に才能を認められ、ヴィヴァルディ先生の名のもとで一躍スターとなった歌手』ジロー嬢も、国立音楽大学声楽科卒業の歌手・ピアニストである橋本明子が演じている。
この「本物志向」によって、完全に原作の世界観を踏襲し、観客を物語の世界に自然に留め置くことに成功している。

本作を観ながら確信した。
冒頭で「女性キャストだけで舞台化するという不安は杞憂だった」と書いたが、元々物語に「男」などいなかったのだ。

「もうヴェネツィアも長くない」
長年の栄華に胡坐をかいて堕落してしまった男たちは気づかなかった。
それに気づき、この先のヴェネツィアを憂いているのは、エミーリア、ヴェロニカ、クラウディアたち女性だった。
そしてまた、現実を見ない男たちを尻目に、日々の生活を堅実に生きているのも、パオリーナ(広岡由里子)やザネータ(伊勢志摩)たち女性だった(この芸達者な2人の俳優は、ともすれば硬くなりがちな本作を、柔らかく揉みほぐし、息継ぎさせてくれる。2人の場面は、本作において、とても重要である)。

そして何より、本作は謎解きや伏線回収の物語ではなかった。
物語は、その先に、想像しえなかったような圧倒的な広がりを見せる。
私は原作を読んで、何故こんなに心が震えているのか理解できなかった。
だが、本作を観て理解できた。

娘たちのまなざしが遠い昔のわたしたちのまなざしに重なる。
きらきらと、強く、輝くように見つめる目だ。きりりとまっすぐに、前を見ている。
よりよく生きよ、むすめたち。
わたしは、心の中でそうささやきながら、弓を引く。
音が生まれ、音が重なり、音が生まれる。
<l'estro armonico>。
よろこびはここにある。

物語は最初から、やがて大人になる少女たちに向けられたものだった。
女性キャストだけで演じるのは必然だった。

メモ

舞台『ピエタ』
2023年8月5日 ソワレ。@下北沢・本多劇場

当日、下北沢駅前では、「盆踊り」のようなことが行われていた。
だが、そこに面したビルにある本多劇場は、完全にヴェネツィアだった。
その対比に、「演劇」は不思議であり素敵なものだと、改めて思った。

アンナ・マリーア役の会田桃子さんによるバイオリンの演奏はもちろんだが、ジロー嬢役の橋本明子さんの歌声は素晴らしかった。
彼女が歌うだけで、そこはもう下北沢の小劇場ではなく、大きなオペラ劇場になってしまったのだ。こんな経験は初めてだった。



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