舞台『クランク・イン!』

「私の付き人になりたいの?」
物語中盤、大物女優・羽田ゆずる(秋山菜津子)が新人女優のジュン(吉高由里子)に向かってこう言った時、私は耳を疑った。いや、正確に言うと「脚本」を疑った。
(二人は)そんな話はしてなかったじゃないか、と。

しかし、舞台『クランク・イン!』(岩松了作・演出。以下、本作)は、ジュンがゆずるの付き人になったまま何事もなく続き、何も説明されぬまま、終幕を迎える。
その間に私は、脚本ではなく自分の記憶・理解力を疑うようになった。
(私が)そんな話だと気づかなかっただけじゃないのか、と。

本作は、出演予定だった新人女優が謎の死を遂げて1年延びた映画のクランクインを前に、男性監督や出演女優とその付き人たちが、新人女優の死の謎に翻弄されながらもクランクインを目指してゆく物語だ。

しかし、本作、終盤になんとなく「死の謎」は明かされるものの、それが物語に決定的な影響を与えるわけではない。
一般的に馴染みのある"フィクションとして作られた物語"として、「死の謎」が明確に明かされた上で、最終的にクランクインできるか否かが明らかになるのだろうと思い込んでいた私は、本作の結末に戸惑ってしまった。

本作はきっと、「死の謎」や「クランクインの可否」を問題にしていない。
そうではなく、「一般的に馴染みのある物語」に対する観客の「勝手な思い込み」や「思考停止」を問題にしているのではないか。

言われてみれば、我々の日常生活における会話で、「当事者全員が共通の解釈をしている」状況は、どれほどあるだろう。
各々、話の流れや雰囲気、過去の経験などから、ちゃんと頭で思考することなく、大雑把に定型に当てはめて、なんとなく勝手に解釈したり、「だいたいこんな感じの話」と都合良く記憶していて、後日当事者同士で「えっ、そんな話だっけ?」「そんな意味で言ったわけじゃない」などとなる方が、日常的なのではないだろうか。

本作は、話の流れや雰囲気、安易な「物語の定型」への当てはめなどといった「勝手な思い込み」や「思考停止」によって、観客が都合良い解釈をしているということを舞台上から観客に突きつけているのではないか。
だからこそ私は、「そんな話はしてなかったじゃないか」という最初の思いから、「(私が)そんな話だと気づかなかっただけじゃないのか」と不安になっていったのである。

では、本作で描かれているのは何か?

小説家の保坂和志氏が確か、「小説の中の時間は、小説を読んでいる間にしか流れない」というようなことを言っていたと思うが、本作もたぶんそういう作りなのだ。
つまり、一般的には「物語の時間は結末に向かって進む」と思われているが、本作はそうではなく、「物語の今、この瞬間」にだけ時間が流れていて、それは決して物語を終わらせるためではない。

だから、本作(だけでなく岩松氏の作品全般)は、その時間に発せられる言葉に対して、異様に敏感で執拗だ。些細な言葉尻をとらえたり、言葉の「根拠(意味ではないことに留意)」を執拗に問い質したり、少し前の誰かの発言を蒸し返したり、あらぬ方向に話が飛んだかと思うと唐突に話を戻したり、と時間が停滞したり戻ったりする。

大事なのは、先に書いたように、それが「物語を結末に至らすために使われる時間」ではない、ということだ。
物語の登場人物たちには「結末」という意識がない。
どうにかして映画を「クランクイン」させるために必死だが、「クランクインが結末」なのは物語上の設定であって、登場人物たちはそんなことはあずかり知らず、クランクインできれば撮影という時間が続くし、できなければ解散して各々の時間に戻っていく(と思っている)。
登場人物たちはただ「今、この時間」を生きているに過ぎない。

たぶん岩松作品が「わかりにくい」と言われるのは、結末に向かって時間が流れないからで、さらに言えば、ストーリーは推進力ではなく「今、この時間を成立させるための前提」だという発想の転換が(観客には)難しいからではないだろうか。

「時間に結末がない」というのは一般的な日常生活そのものだが、普段は当たり前過ぎて気に留めていないことに加え、観客自身がフィクションモードに頭を切り替えて観劇しまうことで、岩松作品が難解に見えてしまう。
さらに何故か「物語は解釈できる(或いは解釈しなければいけない)もの」と思い込んでいることで、観客自らが「物語の理解」という闇に落ちてしまう。

だから、本作は物語の結末に対するカタルシスはない。
観客が得られるカタルシスは、「物語の中でしか流れない時間」を過ごしたことによる強烈な体験感覚、にこそある。


メモ

M&Oplaysプロデュース 舞台『クランク・イン!』
2022年10月15日 マチネ。@本多劇場

冒頭のセリフを聞いた瞬間、空間が「グニャリ」と曲がったような感覚に囚われた。こんな体験はなかなかできない。



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