酒呑みと酒器

2021年7月、東京は4度目の緊急事態宣言下に置かれることになった。
酒呑みの私としては、前月末に明けた3度目のそれから、ようやく馴染みの店を一巡して「さあ夏本番、美味いビールと冷酒を楽しもう」とエンジンが掛かり始めた矢先の突然の出来事だった。
これで、またしても「家呑み」に逆戻りである。


片口

「一人暮らしオヤジ」である私は、特にこだわりもなくぞんざいに、四合瓶または一升瓶の日本酒を少し大きめの升に注いで呑む。
3度目の緊急事態宣言中にそんなことばかりやっていたので、4度目の今回は夏間近であり少し気取ってみようかと、部屋を漁って片口と猪口のセットを見つけ出した。
若気の至りで「オシャレな酒呑み」に憧れた時分に手に入れた物で、どこで買ったかも忘れてしまった。
結局、いちいち片口を経由するのが面倒になって、すぐに今のスタイルに逆戻りしてしまったのだが…

片口というと、エッセイストの平松洋子著『買えない味』(ちくま文庫、2010年)のこの一文を思い出す。

燗酒の季節が過ぎ、とりわけ冷や奴がつるりと唇に涼しい時節を迎えれば、待ってました!いよいよ片口の独壇場である。

(「片口」)

平松氏は、片口から酒器へ注ぐ魅力を語る。

流れたがっている。だから、そこに勢いをつけてやらねば。
片口を手に取る。
と、たったいままで平らかだった表面が、たちまち揺らぐ。うしろ側をくいと持ち上げて角度をつけ、先端の口に勢いを集める。うしろが前を押し、流速が生まれ、前へ、前へ。勢いは止まらない。もう、もっと流れたがっている。
-思わず指先に緊張を溜めて息を詰めるそんな瞬間がうれしい。(略)傾けて勢いをつけられ、いまにも流れたがっている瞬間など、片口でなければつぶさに見ることも叶わない。

(同上)

平松氏は、その片口の使い勝手の良し悪しは『「大きさ深さ」と「先端の口の狭さ長さ」の関係の見極め』だという。

だってそうでしょう、口の狭いところへぐいぐい勢いを押しつけられるばかりでも、酒は出口を塞がれて行き場に詰まる。その反対に、流れたがっているのに勢いをつけてもらえなければ、これはもう隔靴搔痒(かっかそうよう)。ちょろちょろ洩れたような情けない注がれようでは、美酒もかたなしである。

(同上)

しかし素敵な注ぎでも、注ぎ終わりがだらしなければ、今までの全てが台無しだ。

尻洩れする片口は、注ぐたびに無駄な酒をこぼす。そのうち卓がべっとりして、じつに不愉快極まりない。

(「注ぎ口」)

平松家には『伊豆と茨城の陶芸作家二人の手による』『ずば抜けたキレ味を持つ片口が四つばかり』ある。何故そんなにキレ味がいいのか、陶芸作家に聞いてみた。

すると驚いたことに、異口同音に彼らは答えたものだ。
「だって、自分が酒を飲むときにキレなけりゃ腹が立つからねえ」

(同上)

だから、平松氏は『こと片口については、酒呑みの作家のものを選ぶとよいようです』と我々酒呑みにアドバイスする。

前へ傾ければ勢いよく流れ、後ろへ返せばぴしりとキレて一滴も洩らさず、おもむろに片口を置き直し、待ちかねて唇を湿らせる。ああうまい-そんな思いを味わわせてくれる片口は、さながらアラジンのランプ。魔法のように、いつでもとびきりの一献を連れてくる。

(「片口」)


猪口

そんな素敵な片口から注がれる酒を受ける猪口も、相応でなければ片口に申し訳ない。まぁ、私の場合は上述の片口とのセットを使うことになる。

と、私は「酒器を愛でる」などという「粋な嗜み」がないので、名古屋市立大学名誉教授である島根国士氏が書いた『酒器を愛す』(幻冬舎、2019年)を開いてみる。

酒も茶の湯同様、季節の影響を受ける。季節と交歓する。酒器も季節に応じて使い分けすると酒が楽しめる。徳利もそうだが、ぐい呑みは尚更だろう。
酒盃を茶碗に見立て、季節により形の違うものを使い分けると面白い。

夏は平盃がよい。盛夏ともなれば(略)冷酒に替えるのも一興だ。(略)これに合わせて徳利を片口に変えるのも面白く、粋だ。


外飲みができないのは残念だが、仕方ない。
行きつけの酒屋で、いつもとは違う少し上等な日本酒を買って、探し出した酒器を使ってみようと思う。

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