「食に関する本」を味見する

以前、拙稿『自宅で手軽に、古地図片手に京都の酒場巡り』で、『酒場の京都学』から古川ロッパの「日本的洋食屋」の一文を引用したが、前にどこかで読んだような気がしていた。

本棚を漁ると、木村衣有子(きむら・ゆうこ)著の『味見したい本(ちくま文庫)が見つかった。

ところで、現在の21世紀の高度なインターネット社会、美味しそうな食べ物やレシピは、写真や動画で簡単にSNSにアップできる。実に手軽だ。
しかし、だ。
相当なデータ容量で構成されるその写真や動画は、今から60年以上前に書かれた、江戸っ子・ロッパ先生のこの短い文章に勝てるだろうか?

いきなり、「おい、熱いとこ一本つけてくんな」と言い、すぐ続けて「そいから、大カツを一チョウ」と、こう来なくっちゃあツウじゃない。
何のことはない、西洋式おでん屋だ。そこで、菊正(引用者註 日本酒の銘柄)の二合ビンか何かが運ばれる。ガラスの中くらいのコップに注いで、チューっと吸いながら、カツの来るのを待つ。
カツレツが来たら、ナイフとフォークでえイえイと皆切ってしまう。バラバラに切っといてから、ソースを、ジャブジャブとかける。
で、そいつを、正宗を飲みつつ、一片ずつゆっくり口へ運ぶ。

ロッパ先生の文章を読んで、お店やカツレツ、ロッパ先生の飲むしぐさ、ご機嫌な顔(ロッパ先生の顔を知らなくても、何となく「ご機嫌」というのはわかる)が容易に想像できて、こちらまでニヤけてしまう。酒飲みなら、なおのことである。

SNSのメッセージとしては妥当な文字数なのかもしれない。しかし、SNSでは、特別な力や相応の時間をかける必要がない、一目見てわかる「共感」や「同調」といったものが好まれ、時間と想像力を使って読まなければならないような文章は敬遠されるような気がする。

逆に言えば、時間と想像力を使うのが読書の楽しみということになる。
そんなわけで、『味見したい本』(以下、本書)で読書の楽しみを味わってみよう。

本書は、食に関する38冊の本を以下の章に分類して、それぞれの本の美味しいところを、まさに「味見」させてくれるのだ。

1.少し昔の食卓
2.台所で読む
3.食堂を読む
4.カレーを一皿
5.おやつの時間
6.コーヒーを一杯
7.飲みにいきましょう

冒頭に引用したロッパ先生の文章は、「少し昔の食卓」の章で紹介されている。
「台所で読む」には、お味噌汁(平山由香著『毎日のお味噌汁』)やお弁当(伊藤まさこ著『おべんと帖 百』)という定番に並んで、詩人・長田弘の詩集『食卓一期一会』が紹介されている。この本について、木村は次のように書いている。

アメリカの朝食、「ハッシュド・ブラウン・ポテト」の詩は、特に、長田さんらしいなと思う私。長いドライブの途上で立ち寄った店で注文するハッシュドポテトは「ポテトがとてもよく細かく刻んであって、/きれいな焦げ目がついていて、たがいにくっついてて/ポテトがカリッと口に明るいようなやつ。」前の晩に茹でておいたじゃがいもを、賽の目切りにして、ベーコンの脂で炒める。その一皿の背景にある景色は、さりげなくも素晴らしい。
「朝の光りが古いテーブルを清潔にしている。」
この「朝の光り」は、どうしようもない物悲しさの在り処を認めながらそれを明るく照らし出す長田さんの詩そのもののようだ。詩集とは、やりきれない気分があふれそうなときにこそ手に取るものだったとも、思い出す。

想像力を駆使して『朝の光りが射すテーブルの上に置かれたハッシュドポテト』を想像し、そのイメージを時間をかけて堪能する。余計な情報がない、「詩」というものを味わう醍醐味だ。

本書では詩以外でも、「食堂を読む」の章で、君島佐和子著『外食2.0』という外食のルポ、また、「コーヒーを一杯」の章で、獅子文六の小説『コーヒーと恋愛』…といった具合に我々が普通に「食に関する本」といって思い浮かべないようなものも多数紹介されている。

本書を読むと、一口に「食に関する本」といっても、様々なジャンルや色々な切り口があるものだということに、改めて驚かされる。
そういう多様な38冊もの本が紹介されているのに、全体の印象が散漫にならず、それぞれの内容が素直に頭に入ってくるのは、著者の木村による、7つの章への分類と適切な配置、簡潔な文章によるものだろう。
もちろん、それぞれの本の引用についても、その本ならではの「食への魅力」を想起させる部分を的確に選択している。

先に私は、「味見させてくれる」と書いたが、本書を読むと、味見しただけでは済まなくなり、食べたく(その本を読みたく)なってしまうのだ(私も実際、本書で紹介されている、迫川尚子著『味の形』などを読んだ)。
本書には各紹介文の後に、本の情報が載っている。
全部を調べたわけではないが、ほとんどの本は入手可能だろうと思われる。

もちろん、本書を読むだけでも様々な食が味わえる。そして、もっと深く味わいたくなったら、その原本にもたどり着ける。とてもお得な本である。

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