2020年4月22日をどう過ごしていましたか?~映画『東京組曲 2020』~

2020年4月、最初の緊急事態宣言発出時に軽めのネットニュースで「今までの価値観が変わった」という人やSNS投稿が増えたという記事を読んで、違和感を抱いた。

それは「価値観」という言葉を、あまりに曖昧かつ軽く扱っていることに対する違和感だった。
確かにコロナ禍(特に初期段階における)は全世界的であって、その大きな衝撃と戸惑いを「価値観が変わった」という言葉で表現しているのだろうと察することはできる。
しかしその言葉は、それ以前に、東北で大きな地震とそれによる津波(の映像)と原子力発電所の「絶対安全神話」の化けの皮が完全に剝がされ「計画停電」なる聞き慣れない言葉のもとに実際に停電になるという経験をしたときにも聞いたし、それ以前、ニューヨークの双子のビルに民間航空機が突っ込んだときにも聞いた。
「あまりに曖昧かつ軽く扱っていることに対する違和感」は、それらで変わった(はずの)「価値観」への総括がなされず、また、そこから時間を経たことによる変遷を辿ることもなされないまま、「価値観が変わった」という言葉が発せられていることによる。

映画『東京組曲 2020』(三島有紀子監督、2023年。以下、本作)を観ながら、あの時期「価値観が変わった」と発言していた人たちならどんなことを思うのか気になった。

本作は、冒頭で「半ドキュメンタリー映画」と説明されるとおり、20人の役者たちが、最初の緊急事態宣言発出中の2020年4月22日前後に何をしていたか振り返り、『各自撮影した映像を三島(監督)が組み上げて作った<シネマヴェリテ>(カメラ=インタビュアーが撮影対象に積極的に関わることで真実の姿を引き出す作品)』(パンフレットより)という不思議な映画だった。

4月22日(前後)なのには、三島監督による明確な意図・理由がある。

ちょうど自分の誕生日(4月22日)、眠れずにベランダで過ごしていたのですが、朝4時くらいに女の人の泣き声が聞こえてきたんです。
私の体感としては10分くらいでしょうか。それを聴いているうちに、すごくつらい思いをしている世界の一個人の泣き声ではなく、ここに生きている人たちみんな、或いは自分、さらには地球の泣き声なのではないかと思い始めました。(略)そういった経緯で「自分が知っている周囲の人はいまどんな思いで暮らしているのか」と考えて、ワークショップなどで出会った役者のみなさんに、「こういう記録を残そうと思っているんだけど、いま何を感じていますか」とリモートで声をかけたのが始まりです。

パンフレットより

2023年という今、本作を観ると、とても滑稽なように感じる。
それは、本当に当時「価値観が変わった」という発言をしていた人々に対する違和感ーそれは極めて「日本的」なもので、つまり「個」というものが曖昧であることーに通じる。

本作は全編英語字幕が付いているのだが、三島監督とともにアフタートークに登壇した、字幕翻訳担当のノーマン・イングランド氏が「外国人に説明するのが難しい」と語った。
彼が「わからなかった」というのは、自粛中で人も車もいない夜の大通りをスケボーで滑走する二人の若者(俳優)で、「何であんなに楽しそうなのか?」。
それを受けて三島監督は、「(本作で別の俳優が)クリームチーズを自作してみたり、スケボーで滑走してみたり、あの時の日本人は、『とにかくこの時間を楽しまなければ』『有効な時間にしなければ』という気分だった」と説明した(今にして思えば、その「気分」は「未知なる不安な状況に飲み込まれて自分が崩壊してしまう恐怖」に対する防衛反応(バリア)だったのかもしれない)。
先の「価値観が変わった」も同じで、つまり、「この経験を自分のために有効なものにしなければ」という気分であり、それは「何も考えず、何も行動しない」ことに対する一種の罪悪感と言い換えてもよいかもしれない。

「日本的」という点において、自粛要請により役者の仕事がなくなり、東京から地方都市にある実家に戻ってきた女性の話はとても象徴的だ。
アメリカ人であるノーマン氏は「笑った」と言ったが、当時「価値観が変わった」と言っていた人々でも2023年にこの光景を見ると、とても滑稽に感じるのではないか。
思い返せば確かにあの時期、東京在住者は「コロナウィルスをまき散らす死神」的扱いだった。
帰省後彼女は、きっちり二週間の自室での隔離生活に入るのである。
部屋から出ず、食事もドアの前に置いてもらう。
近くに家族がいるのに会えない孤独感や、しかしそれに負けると家族に迷惑をかけてしまうんじゃないかという葛藤、さらに東京で同居していた飼い猫まで隔離生活に巻き込んでいる罪悪感にさいなまれ、彼女は精神的に追い詰められる。
いや、(2023年に)冷静に言えば「追い詰められる」のではなく、自ら勝手に「追い込んでいる」のだが、一週間が経過した頃、ついにそれが極限に達する。
部屋の中で独り「お母さん、お母さん」と泣き叫ぶ娘に、閉じられたドア越しに母親が諭す。
「一週間経って何もないし、お母さんもマスクつけてるし、もういいんじゃない?」
それでも娘は泣きながら言う。
「まだ二週間経ってない。二週間経ってないのにお母さんに会ってコロナを移すと、お母さんが死んじゃう」
この言葉を聞いた私は実は、娘の(まさに「怪演」とも云えるほどの)大袈裟すぎる精神状態と、「コロナ罹患=死」の短落さに、少し吹き出してしまったのだが、それは今が2023年(しつこいがこの記述は重要だ)だからだ。
ノーマン氏は、彼女の行為が「軍隊的」だと評した。
三島監督も「二週間という期間に何の根拠もないが、(政治家や専門家に)二週間と言われると、疑いもなくそれをきっちり守ってしまうところは軍隊的」と同意した。

本作の最初に登場するクリームチーズを自作する男性の「2020年4月22日」は、彼が好きな(たぶん)女性に会いたいと呟きながらベッドに横になるシーンで終わる。
以降、19人の役者各々の「2020年4月22日(前後)」が紹介されたのち、本作は意外な展開をみせる。

最初に登場した男性が夜中に起き出し、(三島監督が誕生日にしたように)ベランダに出る。そこで彼は、女性の泣き声を聞く。その声に呼応するように、20人の役者の泣き顔が次々とインサートされる……

女性の泣き声を担当したのは俳優・松本まりか。彼女はパンフレットにこうコメントしている。

三島監督のオーダーは「地球の泣き声が欲しい」でした。次元が違いました。
もう私は空っぽになるしかないと思いました。
空っぽのこの身体を預けて、三島監督の求める声まで連れて行ってもらう。
(略)
あの時その声だけが私の世界でした。情報に溢れ、何が正しく何を信じればいいのかわからなくなるこの世の中で、何より演技をする上で、この体験が教えてくれたものは計り知れない。

三島監督は、『役者陣には「この泣き声を聞いたときの反応を基本的には一発撮りでお願いします」と伝えて、撮ってもらいました』。

そもそも、わかりやすくはっきりと「今、価値観が変わった」と認識できることなどないのではないか。
でも、あの深夜にか細く聞こえた、『世界の一個人の泣き声ではなく、ここに生きている人たちみんな、或いは自分、さらには地球の泣き声』が、『とにかくこの時間を楽しまなければ』『有効な時間にしなければ』というバリアを溶かし、自分もまた孤独であることを認めざるを得なくなったとき、自身の中で、「価値観」ではないかもしれないが、確かに何かが「変わった」のではないか、20人の泣き顔を観ながらそう思った。

メモ

映画『東京組曲 2020』
2023年6月3日。@シアター・イメージフォーラム(アフタートークあり)

対象者が「役者」に限られている本作は「あの時期の日本」であるようで、実はそうではない。
仕事がキャンセルになった、映画の公開が延期になった(映画『ミセス・ノイズィ』(天野千尋監督、2020年)もその1本で、その映画で話題をかっさらった大高洋子さんが延期を知ったときのショックと悔しさの入り混じった涙は本作の中でも印象的だ)というのは、他の職業に就く人たちも多く経験したことだろうと思う。

本作の特異性は、「役者」という存在そのものが、国民から「不要不急」という烙印を押され、憎悪の対象にされたことにある。

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館監修/後藤隆基編『ロスト・イン・パンデミック 失われた演劇と新たな表現の地平』(春陽堂書店、2021年)の中で、劇作家・演出家・俳優のシライケイタ氏が、こう振り返っている。

損失補填や被害救済を訴える演劇人に対する、憎悪すら感じるほどの誹謗中傷の数々に戦慄する思いであった。「演劇だけ助かる気か」「やめて違う仕事につけば良い」「演劇なんて不要」「上から目線でムカつく」「ざまあみろ」。SNS上のこうした書き込みを見るにつけ、絶望的な気持ちになった。この断絶を埋める手段を、今のところ見つけられていない。

これに対し、三島監督は言う。

誤解を恐れずにいうと私は「絶対に不要不急じゃない」と言い切れます。というのも、神戸の震災(阪神淡路大震災)を取材した経験から、(略)人生を破壊されたと思っている人々にとって、気分を明るくしてくれる落語や映画、演劇に小説に音楽-そういったものがないと本当に生きていけないということを目の当たりにしました。生きることは楽しむことなんだと肉体に気づかせてくれる、心の命綱みたいなものなんですよね。

あの時期から3年以上が経った。
新型コロナウィルスの扱いは5類になり、様々な規制はほぼ解除されつつある。
本作の中で「あの時期」を過ごす役者たちを観て、あの時期「価値観が変わった」と発言していた人たちならどんなことを思うのか気になった。


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