30年後の自分と社会の変容~映画『二十歳の微熱』~

あゝ30年経ったんだな。

渋谷のユーロスペースで映画『二十歳の微熱』(橋口亮輔監督、1992年。以下、本作)を観ながら、改めて思った。
それは、私自身が20代から50代になったということであり、時代が21世紀になって社会が大きく変容したということでもある。

年を取ったと強く感じたのは、主人公の一人・島森(袴田吉彦)が"客"とホテルのベッドに並んで座っている場面。
公開時は、完全にほぼ同年代の島森側から観ており、隣に座るオヤジが気持ち悪くて仕方が無かったはずだ。しかし、今回、若い男の子とぎこちなく会話するオヤジの居心地の悪さ("行為"が前提でなくても)が、手に取るようにわかる代わりに、島森側に立てない自分自身に、驚いてしまった。

社会の変容としては、"ゲイ"が(表向き)異端視されなくなったこと、というか、ドラマや映画のテーマとして一般化されて、見る側自体が戸惑ったり、ヤバい作品を見ているという感覚がなくなったこと。
さらに、上映後のアフタートークで映画評論家の森直人氏が橋口監督から聞いた話として、本作が公開された1992年当時は"ゲイ"という言葉が一般的ではなく、劇中では"ホモ"、"同性愛"などという言葉が使われているという指摘があり、これも社会の変容だと感じた。

今回、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)の映画製作プロジェクト「PFFスカラシップ」の新作2本『猫と塩、または砂糖』、『裸足で鳴らしてみせろ』の連続公開を記念して、過去のPFFスカラシップ作品を公開する企画として本作が上映された。
上映後には先に触れたようにアフタートークが行われ、私が観た企画上映最終日は、森氏と『裸足で鳴らしてみせろ』を監督した工藤梨穂氏の対談が行われた。
対談中、工藤監督が本作の感想として、「2人の女性の考え方・言動が、当時としては珍しく、現代的に通じる新しいものであることに驚いた」といった趣旨の発言をした。

「2人の女性」とは、島森が所属するサークルの先輩・頼子(片岡礼子)ともう一人の主役で"ホモ"を自認している高校生・宮島信一郎(遠藤雅)に恋している同級生の女子・あつみ(山田純世)のこと。

頼子は、2人きりで飲みにいった島森から彼氏と別れてしまったのかと尋ねられ、その問いに直接は答えず、こう呟く。
『ただね、メンドクサイね。誰の男とか、誰の女とか付き合ってる相手でその人の人格決められちゃうことってあるじゃない?(略)私は私なのにね。(略)でもさ、男の人ってどうして、"一緒に暮らそう"とか"、付き合おう"とか、"結婚しよう"とか、"俺のもんだ"とか何か、そういうことばっか言うんだろう? なんかそう言って優しそうに笑うじゃない? 私、あんまりそういうの嬉しくないんだ』。
確かにそのセリフだけを聞くと、1992年当時としては新しかったのかもしれない。
だが、頼子が本当にそう思っていたかについては、疑問が残る。
何故なら、結果的に彼氏と別れた頼子は、次に好意を抱いた島森を、実家のテレビ(当時はブラウン管で物凄く大きくて重たかった)を2階から1階に運ぶ手伝いのために「男手」として呼びつけ、お礼にと、家族との夕食にも付き合わせる。
母と2人で食事の配膳をしている間、父親は座ったまま(まぁ、別の意味もあるのだが……)なのには、気も止めない。
つまり、頼子は当時のジェンダー感にも、家父長制にも疑問を持っていない。
だから、つまり、先の頼子のセリフは、単純に当時の彼氏の束縛に耐えられなかったのと同時に、好意を持った島森にカマをかけたというのが妥当なのではないか、と私は考える。

あつみについて工藤監督は、「"ホモ(ゲイ)”に対して理解力があり、寛容なところ」が新しいと言っていたが、それも結局は"ホモ"を記号的に捉え現実味がなかっただけではないのか。
彼女が島森の話を聞いてショックを受けるのは、記号的に認識していた”ホモ"という性的嗜好が、直接的に"性行為"に結びついていたことを知ったからであり、島森が「愛の延長線上にない性行為が(相手が男だろうと)平気でできる」と知ったからだろう(そして、宮島が島森を好きな事を知っているあつみとしては、たとえ島森が宮島を受け入れたとしても、それが宮島を傷つけることを知ってしまったからでもある)。
当時の女子高生にとっての"性行為の現実感”は、現在とは違う。
アフタートークでも言及されたが、劇中であつみが『早くバカな女子大生になって、早く結婚したいな』と言うように、当時はまだ女子大生の時代であり、女子高生が「ブルセラ」などといった「(大人の)性的対象」として認知されるのは、もう少し先のことである。

確かに、2人の女性たちは、公開時に生まれていなかった工藤監督からは「現代的」と見えるかもしれないが、当時主人公たちと同年代だった私が30年後に観た感想としては、「当時の価値感が良く現れている」ということになる。


もう一つ、30年経ったんだという気持ちになったのが、本作後半に多用される長回しのシーンで、「時短視聴」が認知されつつある現代の感覚では「無意味・無駄」と評されるだろう。

上述の流れで例を挙げると、一つは、テレビを運んで夕食をご馳走になる島森のシーン。
実は、頼子の父が、かつて島森の"客"だったということがわかり、そのことを互いに言い出せない気まずい雰囲気での夕食シーンが延々と続く。
その間、父親と島森は一言も発せず、頼子と母だけが、ずっとストーリーとは無関係で登場もしない知人の噂話といった、実在の一般的な母娘で交わされていそうな会話を続けている。
この、一見無意味に思えるシーンが実は大事で、それまで"仕事"と割り切って男と寝たりしているだけではなく、大学生活を含め日常的に社会や人から距離を置いて自分の感情を制御していた島森が、この状況に耐えられず、初めて感情の制御不能状態に陥り「嘔吐」してしまうのである。
この無意味に見える長回し(本当に長い。約7分間、固定カメラで撮影されたノーカット映像)はつまり、これまで自分でコントロールできていた感情が、制御不能にまで追いつめられるのに7分間必要で、この出来事があるから、ラストの壮絶な長回しシーンが異常なほどの説得力を持って迫ってくるのである。

そして、もう一つが、夜の公園で宮島があつみと会うシーン。
宮島が現実から逃げてばかりで何もしていない、と図星を突くあつみのセリフはストレートではなく、現代のドラマや映画観からは異色と云われている濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』に近い。
印象的なのは、そのやりとりのラスト、結局あつみの言葉にも真剣に向き合わず公園から去って行く宮島を、黙って見つめるあつみのシーン。
あつみが、何かを言いかけて口をつぐんでしまってからたっぷり15秒、カメラは無言のあつみを映し続ける。
これも全く無駄ではないシーンで、その15秒間、あつみはただ立ち尽くしているわけではない。何かを言いかけて言い出せなくてという葛藤を繰り返しているのだ。

上記2つの長回しによる感情の揺れは、今の人には伝わらないだろう。
だがこのシーンにより、吐いたことで男と寝るための感情のコントロールができなくなった島森と、あつみによってそれまで目を背けてきた自身の弱さと対峙しなければならなくなった宮島が、延々と客(橋口監督自身)に詰られる壮絶なシーンが、迫力と説得力を持つことになる。
このシーンは途中で編集が入ってはいるが、現場ではワンシーンとして撮られているはずだ。
それまでずっと固定カメラだったのが、このシーンだけハンディカメラによって撮られ、途中の編集も相まってドキュメンタリー映画のように見える。

このシーンも長い。長くて辛い。だが、長いから辛いわけではない。
島森も宮島も、感情を遮断したり現実から目を背けることで何とか”自分”を保つことができていた。
それは、「バブル」という熱狂に浮かれることで現実から目を逸らしてきた日本人たちも同様であり、本作はそれを2人に仮託していると言っていい。
その2人が内面に生じた綻び(現実との接点)を延々と抉られるシーンは、今まで誤魔化してきた自分自身と対峙せざるを得なくなった我々に、辛いほど響く。
「もうやめてくれ」と叫びたくなるほど。

そのシーンは、きっと30年後の今でも響くだろう。
公開時は、実質的バブル崩壊から目を逸らし続ける日本人。
30年後の今は、スマホの画面から目を逸らさないことにより、現実から目を逸らし続ける日本人。
社会は変容している。

(2022年7月22日。@ユーロスペース)

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