杏さんが歌った「教訓Ⅰ」 (2020/5/29 加筆・修正)(2021/1/7 追記)

コロナ禍初期、女優の杏さんが加川良の「教訓Ⅰ」の弾き語り動画をネットにアップしたというニュースを見た(動画は見てないが)。

「教訓Ⅰ」とは

「教訓Ⅰ」はこう歌い始める(歌詞は手持ちの1989年にCDで復刻された「URCコレクション」シリーズの加川良『教訓』の歌詞カードから引用)。

命はひとつ 人生は1回
だから 命を すてないようにネ

 (「教訓Ⅰ」 作詞・作曲 加川良)

この曲は関西フォークの流れを汲む完全なる「反戦歌」だが、上記歌い出しに続く歌詞は、この「コロナ禍」の状況の中だと、違って聞こえる。

あわてると つい フラフラと
御国のためなのと 言われるとネ

 (同上)

「加川良」ってどんな人?

ところで加川良という人について、なぎら健壱著『日本フォーク私的大全』(ちくま文庫、1992年第2刷)によると、

加川良の芸名の由来は加山雄三の加、長谷川一夫の川、池部良の良からとったと聞いたことがある。
その加川良は一九七〇年の『第二回中津川フォーク・ジャンボリー』でフォーク歌手としてデビューを飾ったが、それはまさに衝撃的なデビューであった。
(略)
とにかく驚かされたのはその歌いっぷりで、それは新人らしからぬ堂々としたもので、すでにプロで相当舞台を踏んでるという感じさえした。そしてその独特の声と節まわしが観客を魅了し、その登場でフォーク界は一人の大きなスターを生むことになるのである。

(なぎら健壱著『日本フォーク私的大全』 P117-P118「加川良」)

とスゴイ人のようだが、別の人からはこう紹介されている。

加川良という人は言葉使いがやたらていねいで、はじめて話した時なぞはほんと、ばかにされてるんじゃないかと思えたほどだ。自慢話は絶対せずいつもいつも御謙遜ばかりで、相手をバカタレなぞとは決して言わない。だから、お褒めをいただいても半分おせじで、半分うそみたいなところがある。
(略)
高田渡君と違って加川君は一見素直だから「青くなってしりごみなさい/逃げなさいかくれなさい」(教訓一)という唄も、(略)ひにくとかちゃかしとか、そういう<おえらい方に向けての唄>なのではなく、自分らのうしろめたさを唄っているように聞こえる。

(早川義夫著『ラブゼネレーション』(シンコーミュージック、1992年初版)
 P165-P167 「加川良君の巻」。初出『新譜ジャーナル』昭46・5)

「教訓Ⅰ」は『教訓』というアルバムの1曲目に収録されている。前述のなぎら健壱著『日本フォーク私的大全』を再び引用する。

加川良は七一年六月にアルバム『教訓』を出してレコード・デビューするが、このときバックをつとめたのがいずれ劣らぬメンバー、高田渡、『はっぴいえんど』、斎藤哲夫、鈴木慶一、村上律、あがた森魚等々であり、このアルバムは今でも加川のアルバムの中でも名盤の一枚とされている。
しかし、このアルバムの中の二曲、<教訓Ⅰ><働くな>がトラブルを生むことになる。その当時のURCの著作権に対する安易な姿勢に責任があるのだが、作者からクレームがつくのである。つまり詞が盗作だと問題になったのである。(略)
しかしこういってはなんだが、詩などの一部をちょいと失敬させてもらうということは確かにないとはいえない。(略)しかし詩を丸ごと拝借して、それに対する記述がなかったのはやはりマズかった。
新聞などにも大きく取り上げられ、それで加川は一時期、ちょっと意気消沈してしまう。だがこれは加川の責任というよりも、URCや事務所側の「そんなこと平気、平気」いうような、マイナー・レコード会社特有の体質がそうさせたことには違いないのだが、しかし安易といえばあまりにも安易だった。

(『日本フォーク私的大全』P120「加川良」)

「URC」って?

ここで出てきた「URC」という言葉について、坂崎幸之助著『坂崎幸之助のJ-POPスクール』(岩波アクティブ新書、2003年第1刷)で説明する。

このURCは、いまでいうインディーズの元祖です。当時のフォークの歌詞はラジオとかで放送禁止になったりするくらい、かなり過激で、大手のレコード会社からは出せないものがあったんですね。
それで、難しい言葉でいうと、表現の自由を守るためには、自分たちで出そう、ということになって、作られたレーベルです。最初はレコード店では販売せず、通販だけで売ったんです。しかも、会員制。千人限定(だったかな?)で会員を募り、毎月、LP一枚とシングル二枚が送られてくる。しばらくたつとレコード店でも売られるようになるんですが、最初は会員しか入手できなかった。その会員に、兄貴はなったわけです。

(坂崎幸之助著『坂崎幸之助のJ-POPスクール』P39 「兄貴があんぐら音楽祭に行った!」)

田川律著『日本のフォーク&ロック史~志はどこへ~』(シンコーミュージック、1992年初版)で補足する。

高石音楽事務所に始まる"関西フォーク"の"企業化"は、URCの設立でひとつの頂点に達する。
(略)
そして、このアンダーグラウンド・レコード・クラブ、略称URCは69年にスタートする。会員は年間一定の会費を払い、アルバム何枚かをもらうことができ、同レコードが主催するコンサートに優先的に参加できるというものだった。これはまさに、わが国では画期的なレコード販売システムであった。(略)
もっとも、会員制、という形は一年ほどでなくなり、レコード店もこれらが"売れる"ということで取扱うようになり(略)

(田川律著『日本のフォーク&ロック史~志はどこへ~』
P46-48 「URCレコード~表現の自由は守れたか?」)

加川良のスタイル

加川良に戻って、彼の音楽に対する姿勢について、前述の『日本フォーク私的大全』を再び引用する。

加川良の言葉に「音楽は音を楽しむと書く。だから自分も楽しんで歌うから、客も楽しんでもらいたい」というのがある。そのためには良い音を提供しなくてはならないと、やたら弦を張り替える。
(略)
機材も自分が持ってきたものでなければ納得しないという面があって(略)。
そうしたわけで、リハーサルも念入りに行なう。
(略)
しかし、この姿勢はおそらく一生変わらないと思うが、加川はパフォーマンスのできない人だと思う。先のリハの件一つ取っても妥協をせず、またかたくなに自分のスタイルを守っていることでも、それは分かる。
以前松山千春が「加川良に影響を受けた。みんなも加川良の唄を聴いてもらいたい」といったところ、千春のファンが加川のコンサートに殺到したことがあったが、あまりに堅いステージに、途中で席を立つ娘が多かったのを目撃した。そうした娘達を引き止めておくためにも、もう少しエンターテイナーであってもいいのではないかと思うのだが……もっと若い人達にも良さを知ってもらうために……。
しかしファンとしてはかたくなな加川良だから、良いのかもしれない。

(『日本フォーク私的大全』P127-P128「加川良」)

そして杏さんの弾き語りによって、また「教訓Ⅰ」に注目が集まった。
ただ、残念なのは、それが『命はひとつ/人生は1回/だから/命を/すてないようにネ』という歌詞が誰にとってもリアルに聞こえる状況下で、だったことだろうか。

追記

何やら、歌手が政治を語ってはいけないのだそうだ。

「教訓Ⅰ」は、まぎれもなく「政治色の強い反戦歌」である。

でも、よく考えれば、昔から「歌手は政治を語らないものだ」と思われていたのかもしれない。
そうでなければ、高田渡の「自衛隊に入ろう」を聞いて、本当に自衛隊に入ってしまうなどというコントみたいなことが現実で起こるはずがないのだから(だから高田は、自らこの曲を封印したのだ。Wikipedia参照のこと)。
ひょっとしたら「教訓Ⅰ」も初めから、「感染病で死なないでね」とか、あるいは「自殺しないでね」という歌だったのかもしれない。

それでも思う。
故・忌野清志郎が反原発ソングを歌って、庶民から喝采を浴びた時代は幻だったのか?、と。
「歌手は政治を語るな」と言っている人たちは、CMなどでよく耳にする「タイマーズ」の「デイ・ドリーム・ビリーバー」をどんな気持ちで聞いているのだろう…

(2021.01.07 追記)
2021年1月7日現在、「教訓Ⅰ」の『命』は文字通りの「生命」を意味するとともに、自分であるための「尊厳」「自由」「意志」をも意味すると考える。
『御国のため』などと言われて、『あわてて つい フラフラと』それらを簡単に明け渡したりしないよう。
世間から『バカ』だと罵られたくない一心で、安易に『神様』と言われる立場に回らぬよう。
生きている者を『バカ』と罵る側にも、回らぬよう。
罵る側と同じレベルまで堕ちぬよう。


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