まずは「児童相談所」を知るところから~映画『ほどけそうな、息』~

「あんたに何がわかる。結婚もしてないくせに。子どももいないくせに」

こう言われると、口を閉ざしてしまうしかない。
確かに、私は50歳を過ぎているが、これまで「家庭」というものを持ったことがない。
しかし、映画『ほどけそうな、息』(小澤雅人監督、2022年。以下、本作)を観た今、「何もわからない」ということはない。これだけは言える。

本作のチラシには、こう書いてある。
『児童相談所の光と影。児童虐待、家庭崩壊。傷ついた子どもたちを救うために奔走する、児童福祉司の苦悩と実態』

本作は、40分強の短編ながら、とても強烈な印象を残す。
フィクションではあるが、小澤監督の入念な取材により、本職の児童福祉司の方々が「リアルだ」というほどの作品になっている。

冒頭、明るい病院の診察室で、赤ちゃんを抱いた女性が診察を受けようとしているだけの穏かな光景の中、主人公のカスミ(小野花梨)の激しい息づかいが響く。
医者が女性の血圧を測ると言うので、カスミが女性から赤ちゃんを預かる。
と、その瞬間、カスミが赤ちゃんを抱いたまま診察室から走り去り、待っていた車に乗り込む。
車中、赤ちゃんを抱いたまま、カスミは激しく嗚咽し続ける。

カスミは赤ちゃんを誘拐したのではなく、児相職員として赤ちゃんを保護したのである。新卒で児童相談所に入所した彼女が嗚咽していたのは、こんな強引な方法で母親と赤ちゃんを引き離すやり方に、納得がいかなかったからだし、赤ちゃんを引き離したのが自分だという自責でもあろう。

そういった、観ている我々もショックを受ける始まりをした物語は、9歳の娘をネグレクトしていると疑われるキッチンドランカーの母親(月船さらら)と、彼女の担当になったカスミの関係を中心に展開する。

酒浸りでゴミ屋敷と化している部屋で、「娘を返して欲しい」と懇願する母親に対し、カスミはつい感情的になって「こんな部屋に返せない。あの子が可哀想です」と言ってしまい、母親の信頼を失ってしまう(その時、母親がカスミを責めたセリフが冒頭の言葉だ)。
母親が心を入れ替えない限り、娘は返せない。
果たして、カスミは母親の信頼を取り戻すことができるのか?

冒頭に書いたとおり、家庭を持ったことのない私は、「あんたに何がわかる」と言われれば、確かにわからない。
しかし、信頼を取り戻すためにカスミが起こした行動を見て、わかったことがある。

まずは、手を伸ばしてみること。

母親だって、自分が悪いことくらい知っている。
知っているが、どうしていいかわからないのだ。
わからず迷い、目を逸らし続ける間にも状況は悪化する一方で、だから更にどうしていいかわからなくなる。

入所2年目で経験の浅いカスミも、一度失った信頼を回復するすべがわからず、迷う。迷い、落ち込んで、恋人にイライラをぶつけたりもしてしまう。
そんな中で、カスミは、とにかく母親に手を伸ばしてみようと決意する。
そして、母親にも、共に手を伸ばしてみようと訴える。
部屋に散らばったゴミの一つに、とりあえずは手を伸ばしてみよう、と。

別にゴミに限らない。
日常の悩みの多くは、ただ自分の頭の中で混乱しているだけなのかもしれない。ゴチャゴチャになって「どうしよう……」と迷っているだけで、とりあえず手を伸ばして、何か触れたり掴んだりしたら、「あれ?意外と触れるじゃん」と心が軽くなるかもしれない。
「かもしれない」と書いたが、きっともっと確実なものだ。
その確実性は、本作の母親の見違えるほどに変わった表情が保証してくれる。

メモ

映画『ほどけそうな、息』
映画『一瞬の楽園』(日替わり同時上映)
2023年2月22日。@UPLINK吉祥寺

2本上映後、イラストエッセイストの犬山紙子さんと現職の児童福祉司の女性とのアフタートークが行われた。

本稿本文の中で、「カスミが恋人にイライラをぶつける」と書いたが、カスミは恋人に「指輪買ってよ」と、ねだるのだ。
それは結婚したいということではなく(だから恋人は怒るのだが)、冒頭に書いた「あんたに何がわかる」と母親になじられたからだ。
アフタートークでの発言によると、これはリアルらしくて、「(母親の信頼を得るために)自分で指輪を買ってはめている若い独身女性もいる」とのこと。

また、数年前までは、児童虐待がニュースになると必ず児童相談所(職員)が責められていたが、最近は報道等により、児相への理解が深まって責められることが減ったとのこと。
一方、本作でも登場する「一時保護施設」への認知が進まず、施設不足・職員不足も深刻なのだそうだ。

「あんたに何がわかる。結婚もしてないくせに。子どももいないくせに」
確かにわからない。
しかし、知って、思いを巡らすことはできる。
出来ることを考えることはできる。

とにかく、つべこべ言わず、老若男女、子どもがいる/いないに拘わらず、まずは本作に手を伸ばすところから始めてみませんか?

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