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"一人"だけど"独り"じゃない~映画『とりつくしま』~(2024年9月劇場公開決定)

この世に未練がありそうな死者を見つけて、何かに「とりつく」ように取り計らってくれる「とりつくしま係」さん。「とり憑く島」ではない。イントネーションはなく平板。『"石焼芋"と同じアクセント』。
だから、「とりつく」のは「モノ」に限る。

モノになって、もう一度、この世を体験することができるのです。(略)ただし、生きているモノはダメですよ。生きているモノには魂の先住民がいますからね。

そうやって"モノ"になった死者たちを描いた物語、東直子著『とりつくしま』(ちくま文庫、2011年。原著は2007年刊。以下、原作)を、著者の実の娘(東かほり監督)が映画化(2024年。以下、本作)した。
しかも、原作では「曖昧な何か」として描かれていた「とりつくしま係」さんを、小泉今日子さんが演じるという。

原作文庫版に所収された11の物語の内、本作では「トリケラトプス」「青いの」「レンズ」「ロージン」(本作登場順)が描かれている。
ほとんどが原作をそのまま踏襲していて、原作ファンががっかりすることは恐らくないほどの出来だ。
唯一「青いの」だけは、舞台が公園ー様々な遊具があり雑多な人が集い往来する場所ーという特性を生かした素敵な話になっている(原作とは違うが、すべり台は「くちびる」を、女性漫才コンビは「日記」を、(私見ではあるが)想起させる)。

ただ、もしかしたら、一部ファンの方ががっかりするかもしれない点として、原作にある「毒」というか「痛み」というか、ある意味、ネガティブな雰囲気はほぼ排除されていることが挙げられる。
これについては、アフタートークに登壇した原作者が『「東さんは怖いモノが書きたいんじゃないですか?」と雑誌者の方に言われて書き始めたのだけれど、結果的にそうならなかった』と明かしていて、だから本作は、ある意味において『結果的にそうならなかった』ことへのアンサーとなっている。

さらに言えば、恐らく東監督の作風というかポリシーみたいなものも大きく影響しているだろう。
その「作風というかポリシー」は、2つある。
1つは、『"一人"だけど"独り"じゃない』ということ。

まず原作の物語自体が「一人の死者と一人の生者」の関係を描いているが、上述のとおり原作にある「ある意味ネガティブな雰囲気」が排除されている。
たとえば「トリケラトプス」では、主人公の死後、遺された夫のもとに策略的に押しかけてきた女との顛末について、原作にはこうあるのに、本作では何も言わない。

あの女、もう二度とここへ来ることはないわ。あたしは、確信した。(略)あたしは、カタカタと震えながら、勝った、と思った。

「レンズ」は、孫に買ってやったカメラにとりついたはずなのに、孫は主人公の死後、さっさとカメラを売り払ってしまっていて、主人公はそのカメラを買った独居の老男性と暮らすという話だが、老男性の孤独は描かない。
というか、老男性は一人でそれなりの日常を送っている。

「青いの」も同様で、以下のシーン/セリフはカットされている。

だれもぼくのことなんか、ふりむいてもくれなかった。ぼくの声は、だれにも聞こえないんだ。もう、だれにも。
また、みんないなくなっちゃった。おまけに、くらくなった。(略)ひとりぼっちだと、こんなにつめたくて、こわいんだ。

この公園に集いし「とりついた者」たちは”一人"だけれど孤独ではない。皆、誰かに寄り添われて、或いは気に掛けられて(リップはまさにそう)、そこにいる。

ちなみに「青いの」で、5時のチャイムが聞こえた時、ほとんどの人は東監督の前作『ほとぼりメルトサウンズ』(2022年)の印象的なセリフを思いだしたのではないだろうか。

心が優しい時にしか聞こえないんだよ。5時のチャイムは

そう、5時のチャイムがしっかり聞こえる本作は『心が優しい』。
それが、「作風というかポリシー」の2つ目だ。
『ほとぼり~』では(本作でも声の出演をしている)鈴木慶一演じる「タケさん」が「5時のチャイム」を含めた、日常の音をカセットテープに録音していて、それが逆説的に「いかに日常がかけがえのない大切なものか」を教えてくれる。
本作中の4つの物語も全て、死者が(「とりついた」モノを通して)「かけがえのない日常」を我々に教えてくれる。

その物語は逆説的に、死者は「かけがえのない日常」を失った者、ということを明示している。
結局、死者は生者ではない。死者は「生者が所有するモノ」ではなく「の中」で生き続ける存在である。
そういった意味で、原作では冒頭に所収されている「ロージン」が最後に来る、というのは、素晴らしい構成だった。

「ロージン」の主人公は言う。

あまり、長くいない方がいいんです。長くいすぎると、あとできっと、すごく辛くなると思うんです

そしてラスト、ロージンの粉が宙に舞って主人公は「とりつくしま」を失う。

あの子は、勝ったの?負けたの?
ああ、でも、どっちでもいいな。陽一は、とてもよかった。いい球だった。いい試合だった。これからも、自分で考えて、自分で球を投げるんだ。あの子は

(太字は引用者)

その言葉を受けた物語は、最初の「トリケラトプス」に還ってくる。
遺された夫は、自分で考えてトラックの助手席に乗り込んだのだ。

メモ

映画『とりつくしま』
2024年4月1日。@K's cinema(アフタートークあり)

毎月1日は全国の映画館が割引になる。
こんな日に、東監督と実母であり原作者である東直子氏……だけでも豪華なのに、なんと!「とりつくしま係」さんである小泉今日子さんまでもが登壇。
ということで、発売時間の十数秒後にWebサイトにアクセスしたら、既に残り僅かという状況で驚いた。
チケットが取れたのは、本当にラッキーだった。

なお、本作は2024年4月4日、5日の上映を残すのみとなった。
同月2日、3日は、東監督の前作『ほとぼりメルトサウンズ』が上映される。



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