映画『ドライブ・マイ・カー』+第13回 TAMA映画賞授賞式

2021年のカンヌ国際映画祭の脚本賞受賞のニュースで知って映画『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督、2021年。以下、本作)を観た人の中には、「何も起こらない」展開に戸惑った人も多いのではないだろうか。

いや、「何も起こらない」わけではない。
自分が不在の家に(愛し合っているはずの)妻が他の男を引き入れている現場を見てしまう、その妻が何かを告げようとしていた日に急死する、妻が引き入れていた男がオーディションを受けに来る、その男が本番直前に逮捕されてしまう……

これだけドラマ的要素が起こっているのに、観客が戸惑うのは、その後に「何も起こらない」からだ。
正確には、観客が「期待する」或いは「見慣れた」展開が「何も起こらない」と言える。
妻の不倫現場で取り乱すこともない、声を荒げて妻を責めることもない、妻の死後に真実を探ろうともしない、オーディションに現れた男を追及したり復讐しようともしない、男が逮捕されて上演の危機を迎えても周囲を巻き込む大騒動にならない…

さらに観客が戸惑うのは、「期待する」「見慣れた」展開が「何も起こらない」のに淡々と続く2時間59分の長編映画に飽きないどころか、何度も感情を激しく揺さぶられてしまうことだ。
しかも、スクリーンの中の人物はほとんど感情を出すことがなく、ともすれば「棒読み」とも取られかねない抑揚のないセリフ回しであるにも関わらず、観ているこちら側の感情を激しく揺さぶるのだ。

最近はさすがに少数派になってきたと思うが、それでも「棒読みセリフ」(と受け取れる)演技を即「下手」と断じる人はやっぱりいて、それはきっと「感情を(わかりやすく)表に出す」ことが演技であると思っているのだろう。

それについて濱口監督は、2021年11月19日付朝日新聞での万田邦敏監督(『愛のまなざしを』(2021年))との対談で、1990年代ごろの『即興』ムーブメントに言及し、こう発言している。

自然なようでいて、全く自然じゃないというか、引っかかることが多かった

朝日新聞2021年11月19日付朝刊「万田邦敏監督×濱口竜介監督 対談」

そこから、「濱口メソッド」とも言われる、本番前に役者に繰り返し「本読み」させる手法を確立した。

皆さん、別の仕事があるので、セリフを覚えてこなくても責められない(笑)。だから『本読み』を何度もやったんです。すると副次的効果としてだんだん声が変わっていった。普段言わないようなセリフだけど、繰り返し言ううちに体がリラックスし、人間性が表れてきた

(同上)

本作でも、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を演出する主人公・家福悠介(西島秀俊)が、何日もかけて俳優に「本読み」をやらせている。
本作の『ワーニャ伯父さん』はとても変わっていて、日本人・韓国人・台湾人などが、それぞれの役を母語で演じる。中には、韓国手話で「話す」唖者もいて、それらを障害として扱わず、「通じている」ものとして普通に演じられる。

これは「多様性」とも理解できるが、つまりは、「本読み」によって繰り返し体に馴染ませることとともに『人間性が素直に表れて』くる効果を狙っているのではないか。

こうした演出は「静か系」とも云われる演劇にも通じる。たとえば、岩松了の演出は何度も同じシーンを繰り返し稽古する「千本ノック」として知られているし、平田オリザは「俳優は演出家のロボットでいい」とし、感情の籠め方ではなくセリフのタイミングを時間で指示(たとえば「もう0.5秒早く」とか)したり、移動する歩数まで決められることがある。
また、上記演出家の意図とは若干違うが、俳優の古田新太は「役者に『気持ち』はいらない。監督や演出家の言うことに従うだけ」と公言している。

さて、濱口監督の「本読み」から見えてくるもの、それは、「言葉の真実味」である。
家福の車の中で妻と関係を持っていた役者(岡田将生)が彼女について独白した後、車を運転していたみさき(三浦透子)が「彼の言葉に嘘はなかった」と言う。
つまり、身体の動きはいくらでも嘘がつけるが、「言葉」では嘘がつけない、だから、「映画」「芝居」では徹底的に「言葉」に拘る。

本作が、観客の期待に反して「何も起こらない」のは、「嘘がつけない」言葉を発することを家福が怖れていたからだ。だから言葉にしないで、ひたすら「自分への罰」として内に秘めることにより自分を保ってきた。
それは、ドライバーのみさきとて同じことである。

言葉では嘘がつけない。
それを怖れた男は、言葉ではなく身体で関係を築こうとし、結果、不幸に堕ちていく。

言葉では嘘がつけない。
家福はみさきの運転を、みさきは家福の車(=妻)への愛情を、ちゃんと言葉に出す。
そこに「嘘がない」ことがわかったから、家福とみさきは信頼関係を築き、想いを共有できるに至ったのである。

大切なのは「言葉」であって、「文字」ではない点である。
家福は「本読み」を繰り返すことによって、台本の「文字」を「言葉」として立ち上げようとしている。

また本作自体においても、現代の物語でありながら、(事務連絡は別として)コミュニケーションツールとしてのメールやSNSが一切登場しないことが、それを示唆している。


第13回 TAMA映画賞授賞式

本作、「第13回 TAMA映画賞」の最優秀作品賞の受賞作であり、授賞式の前に上映された。

例年の授賞式は、主催の多摩市にある「パルテノン多摩」で開催されるのだが、同ホールの改修に伴い、隣の府中市にある「府中の森芸術劇場 どりーむホール」にて開催された。

当日の様子については、「映画ナタリー」などで報道されているとおりであり、特に詳細を書くこともないので、個人的に印象に残った点だけ書いておく。

登壇した俳優・監督のほとんどは、コロナ禍の映画界の窮状に言及していた。

たとえば、最優秀女優賞を受賞した尾野真千子氏は撮影に立ち会った人が「通常の半分くらい」だったとし、「今まで色んな人に頼っていた」ことに改めて気がついたと話している。
また、『ドライブ・マイ・カー』とともに最優秀作品賞を受賞した『あのこは貴族』の岨手由貴子監督は「毎日感染者数を確認して、上映可否を関係者と相談する毎日だった」と振り返っている。

映画界の現状を反映するということでいえば、『サマーフィルムにのって』『青葉家のテーブル』で最優秀新進監督賞を受賞した松本壮史監督が「セクハラなしで映画を作っていきたい」と今後の抱負を語った。
近年、映画製作の現場のみならず、上映する映画館でもセクハラ・パワハラの問題が取り沙汰されているのを受けての発言だと思われる。
また、岨手由貴子監督(記録を取りながら観ているわけではないので、もしかしたら、横浜聡子監督(『いとみち』で特別賞受賞)だったかも…)が、「忖度なしで」と抱負を語っている。

また、社会問題としては、不法就労で働く3人のミャンマー人女性を描いた『海辺の彼女たち』で最優秀新進監督賞を受賞した藤元明緒監督が、同作品について、「公開後、2週間ぐらい(満席で)チケットが取れない状態だった。世間の関心の高さを実感した」とコメント。

考え過ぎかもしれないが、最優秀女優賞を受賞した2人(尾野氏と有村架純氏)がパンツ姿だったことと、反対に最優秀男優賞を受賞した菅田将暉氏(もう1人は役所広司氏)がスカートを想起させるようなファッションだったのは、ジェンダー問題を示唆しているのかいないのか…


メモ

映画「ドライブ・マイ・カー」
第13回 TAMA映画賞授賞式

2021年11月22日。@府中市・府中の森芸術劇場 どりーむホール

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