何故働くのか、何故本を読むのか~島田潤一郎著『古くてあたらしい仕事』~

2024年のGWが終わった。
世間は「最大10連休」と騒ぎ立てたが、職場はカレンダーどおりだった。
それでも3連休+4連休というのは、とてもありがたく……ではなく、何だか希望に満ちているというか「あれをやろう」「これもしたい」とウキウキしたが、蓋を開ければ何のことはない、例年どおり、ただ酒を飲み、昼間は二日酔いで動けず、夜また酒を飲む……この繰り返しで終わった。
10連休じゃなかったくせに、ちゃっかり五月病みたいになり、働くことが嫌になり、その言い訳のように「働く意義がわからない」と嘯く。

「夏葉社」という「ひとり出版社」を営む島田潤一郎氏が自身のことを著した『古くてあたらしい仕事』(新潮文庫、2024年)を開く。巻頭から数ページ読み進めたところに、こんなことが書いてある。

そのころは、とにかく仕事をしたかった。毎日、働きたいと願っていた。身を粉にして、なにかに従事したかった。
社会のため。自己実現のため。お金のため。
どれも当たっているようで、違う。
社会のためだけではない。
自己実現のためだけでもない。
もちろん、お金のためだけでもない。
(略)
いちばん近いこたえは、単純に「仕事をしたいから」だろう。
自分の頭と身体からだと経験のすべてを使うことができる仕事をしたい。
働いて、働いて、働いて、それで美味おいしい晩ご飯を食べたい。
夜は疲れ切って、ぐっすり眠りたい。

「だれかのための仕事」

頭をガツンと殴られたような気になる。
というか、この文章を読んで、一瞬、鼻で笑いそうになった自分自身の頭を殴りたいような気になった。

「連休は本を読んで過ごしたい」。
毎年思うが、満足に本を読んだ試しがない。
ところで、何故本を読みたいのか? というか、本当に読みたいのか?
ただ、休みを読書で過ごす自分の姿に酔いたいだけではないのか(先述したとおり、私は自分に、ではなく、きっちり酒に酔っていた)。

何故本を読むのか?

本を読んでいるあいだは、いつも、著者の言葉を借りて、その著者の文脈で、そのなかに書いてあることについて考えている。
だから、普段の自分の頭では考えられないことや、日々の生活とはほど遠い、大きな物事について考えることができる。
(略)
本の力を借りれば、どんな事柄だって、自分に引き寄せて考えることができる。
(略)
よい本を読んだあとは、物事が以前よりクリアに見える。その著者の言葉がまだしっかりと頭に残っているから、それらでもって、自分の身の回りのことや、これまで思い悩んできたことを相対化するのだ。
もちろん、しばらくすれば、そのほとんどは頭からすっぽりと抜け落ちて、いつもの平凡な自分に戻る。
けれど、おりのように何かは残っている。
その何かを手がかりにして、前に進む。

「好きな本から学ぶ」

『休みを読書で過ごす自分の姿に酔いたいだけ』、たとえば"note"に「GWに読んだ本」などと感想文を書いて「スキ」をもらいたいという気持ちで読んだ本で、私は何を考えたのか。何かが『澱のように』残るのか。
前に進む手がかりになるような『何か』を見つけられるのか。

本当の読書ができるのは、GWが終わった今かもしれない。


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