何故働くのか、何故本を読むのか~島田潤一郎著『古くてあたらしい仕事』~
2024年のGWが終わった。
世間は「最大10連休」と騒ぎ立てたが、職場はカレンダーどおりだった。
それでも3連休+4連休というのは、とてもありがたく……ではなく、何だか希望に満ちているというか「あれをやろう」「これもしたい」とウキウキしたが、蓋を開ければ何のことはない、例年どおり、ただ酒を飲み、昼間は二日酔いで動けず、夜また酒を飲む……この繰り返しで終わった。
10連休じゃなかったくせに、ちゃっかり五月病みたいになり、働くことが嫌になり、その言い訳のように「働く意義がわからない」と嘯く。
「夏葉社」という「ひとり出版社」を営む島田潤一郎氏が自身のことを著した『古くてあたらしい仕事』(新潮文庫、2024年)を開く。巻頭から数ページ読み進めたところに、こんなことが書いてある。
頭をガツンと殴られたような気になる。
というか、この文章を読んで、一瞬、鼻で笑いそうになった自分自身の頭を殴りたいような気になった。
「連休は本を読んで過ごしたい」。
毎年思うが、満足に本を読んだ試しがない。
ところで、何故本を読みたいのか? というか、本当に読みたいのか?
ただ、休みを読書で過ごす自分の姿に酔いたいだけではないのか(先述したとおり、私は自分に、ではなく、きっちり酒に酔っていた)。
何故本を読むのか?
『休みを読書で過ごす自分の姿に酔いたいだけ』、たとえば"note"に「GWに読んだ本」などと感想文を書いて「スキ」をもらいたいという気持ちで読んだ本で、私は何を考えたのか。何かが『澱のように』残るのか。
前に進む手がかりになるような『何か』を見つけられるのか。
本当の読書ができるのは、GWが終わった今かもしれない。
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