金井真紀著『酒場學校の日々』
金井真紀著『酒場學校の日々 フムフム・グビグビ・たまに文學』(ちくま文庫、2023年。以下、本書)を読みながら、私は本書の登場人物たちではなく、自分の記憶の中にある人たちのことを思い出していた。
「酒飲み」を自認する人は、それぞれ「酒の飲み方を教わった学校」と言える、居酒屋や小料理屋、或いはスナックやバーといったお店を持っているのではないだろうか。
私は、入社2年目に支給されたなけなしの夏のボーナスを握りしめて、会社近くの小料理屋に勇気を出して入り、そこで一人飲みと日本酒の楽しみ方を教わった。
20代半ばから10年以上、地元のスナックの「金曜レギュラー」だった(週末の夜にスナックに通い詰める時間的余裕があった、ということが、50歳を超えた現在に至るまで独身であることを物語っている)。
平日は、会社帰りに途中下車して焼き鳥屋に通っていた(その御縁で、現在はその街に住んでいる)。
振り返ると、今はもうない、その3軒が私にとっての「酒飲み学校」だった。
本書は、著者にとっての「酒飲み学校」のことを綴っている。
もちろん、「学校」というのは比喩ではあるのだが、本書及び著者にとっては別の意味合いがある。それは、その飲み屋そのものが「學校」という名前だからである。
カウンターがたった5席しかない「學校」。
しかし、ただの飲み屋ではない。
著者が「學校」の存在を知ったのは、2008年。
そう、『知らない土地、知らない風景こそ一人で見に行くべきなのだ』。
それは、各々の「学校」を持つ酒飲みなら誰でも経験的に知っていることだし、まさに実践してきたことだ。
それはともかく、そうして著者は、『學校という名の酒場にたどり着いて、そこで半世紀近くママをしている禮子さんに会った』。
著者が「學校」を気に入ったのと同様、禮子さんや常連客たちも著者を気に入り、やがて彼女が初めて「登校」した時には既に76歳だった禮子さんの代わりに、水曜日限定ではあるが、カウンターの中に立つようになった。
本書は大きく5章に分かれている。
1章は、著者の「初登校」から水曜日にカウンターの中に立つまで。
私は著者が一人でお店に入る様子に、若かりし頃の自分を重ねながら読んだ。
2章は、水曜日にカウンターの中から見た「學校」と個性豊かな「生徒」たち。
本章を読みながら、冒頭に書いたとおり、登場人物たちではなく、自身が「私の学校」で出会った人たちを思い浮かべていた。
お店がなくなって疎遠になった人の方が圧倒的に多いが、その人たちやその人たちに纏わるエピソードを懐かしみ、今もどこかのお店で元気に飲んでいてほしいと願いながらページを繰った。
3章は、「學校」創立者の草野心平氏を中心とした戦前~戦後の作家・芸術家のエピソード。
これが本当に興味深いほど、当時の芸術家たちの評伝になっていて、読みごたえがある。たとえば……
太宰がらみで云えば、筑摩書房の創設者・古田晁氏も「學校」の常連で、その古田氏が太宰の自殺を止めようと奔走する様子も紹介されている。
4章は、禮子さんの生い立ちから「學校」の3代目「校長」になって現在に至るまで。
この章も、物凄く興味深くて面白い。
3章と4章をさらに面白くさせているのが文章のスタイルだ。
各エピソードが、お客さんが来ない暇な日や、お店の看板を仕舞ってから、カウンターの中の禮子さんと、カウンター越しに座る著者の他愛無い思い出話のやりとりのように描かれていて、そんな夜を何度も経験した「酒飲み」には、ありありとその情景が浮かび、思わず遠い目をして自分の過去を振り返ってしまうだろう。
ママと飲みながら爆笑したり、或いはしんみり終わる夜もあれば、延々と客の愚痴を聞かされたり、またある時はママや自分が号泣したり、大喧嘩したり……
我々「生徒」は、日本のどこかで、そんな夜を何度も何度も、飽きることなく繰り返している。
著者にとっては、それが新宿ゴールデン街の「學校」だった。
そんな「學校」が閉校する様子が描かれるのが最終章。
高齢になり少し認知症気味の禮子さんが、いよいよお店に出られなくなってきたのだ。
常連の「生徒」たちは著者が4代目「校長」になることを切望した。著者自身も「継ぐなら自分しかいない」と思った。
しかし、最終的に「學校」は閉校を決めた。
筆者は、その逡巡を正直に綴っている。
それでよかったのか、誰にもわからない。
そもそも、誰にとっても正しい結論なんてないのだ。
本書は2015年に単行本として刊行され、2023年に文庫化された。
その文庫版あとがきに、著者が綴っている。
21世紀。
前世紀末からの不況でお店が流行らなくなり店主も高齢化してきたところに、新型コロナウィルスの世界的蔓延が追い打ちをかけた。
「學校」はそれ以前に閉店していたが、このコロナ禍にあって全国で「閉校」を余儀なくされたお店も多い。
我々酒飲みは、通い慣れた「学校」が突然閉じてしまった現実に、成す術なく只々立ち尽くすしかなかった。
これをきっかけに「卒業」を決めた人の話も聞く。
もう我々の「学校」は、本書のような書籍の中にしか存在しないのかもしれない。
と、50歳を過ぎて昔のような飲み方ができなくなった私は弱気になりかけたが、文庫あとがきを読んで、著者の現在に希望を得た。
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