「心の塀」を壊す~桜井美奈著『塀の中の美容室』~

日本には女性専用の美容室を備えた女子刑務所がある。
だが、その美容室を利用するのは受刑者ではなく、「塀の外」で暮らす市井の女性である。
そこでは、美容師資格を持つ受刑者がカットを行う。
彼女たちは、出所後に生計を立てる手段として、この「塀の中の美容室」で美容師の技術と経験を習得しようとしているのである。

桜井美奈著『塀の中の美容室』(双葉文庫、2018年)は、ノンフィクションではなく、架空の美容室(モデルは実在の笠松刑務所)を舞台にした短編物語集である。

物語の軸となる「塀の中の美容室」に立つ美容師(受刑者)は1人。
各短編の主人公は、普段の生活に迷いや悩みを抱えた女性たち。
子どもも巣立ち夫にも先立たれて独り暮らしの初老の女性、抗がん剤治療で抜けてしまう前に自慢だった長髪をカットしにきた「(広告やCMで「髪」だけを映される)パーツモデル」の女性、本当は保護者の付き添いなしに美容室に入れないのに興味本位で来てしまった女子中学生…
そういった女性たちが、この美容室でカットしてもらうことによって、迷いや悩みに向き合い、明日への希望を取り戻す。

各短編の配置と展開が上手い。
この効果により、読者は無理なく物語世界に入り込め、本を閉じる頃には各主人公たちを同じく、明日への希望を見い出すことができる。

1話目、テレビ番組制作会社のドラマ班でブラック企業以上にコキ使われる女性が、「次のドラマの舞台候補」として「塀の中の美容室」を事前取材に訪れる。
「ある処にこんな美容室があります」と唐突に物語を始めると、一般に馴染みのない場所である「塀の中の美容室」の存在自体が架空のものと思われてしまう可能性がある。そこで、取材目的である設定にして、その美容室の情報を書くことにより「実在する」ということを読者に伝えているのである。
同時に、主人公を通じて「この物語は迷いや悩みを抱えた女性が癒される話ですよ」ということも読者に伝えている。
さらに、美容室を出た後に主人公と「袖すりあうも多生の縁」的に出会った女性が次の物語の主人公になることで、物語の推進力を失わずに展開させる効果を出し、読者を物語世界に留めている。
3話目以降はそれぞれ無関係の女性が主人公となるが、2話目の主人公が「常連さん」として登場し、物語の一貫性を保っている。

さらに、美容師を目指す受刑者を指導する女性をも主人公として登場させ、実際の講義風景や、受講する受刑者の態度・葛藤といったこともさりげなく紹介している。

そして美容師の身内を主人公にした最終話で、彼女が服役している事情が明かされ、その後の人生が示唆されるという、見事な物語構成だ。


物語の主人公たちは受刑者である美容師によるカットを通して自身の「何か」が変わるのを知るが、そのカットしている彼女について作者自身は何も語らない(彼女の内面は一切書かれない)。
受刑者の彼女は言動が厳しく制限されており、自身を語ったり自己表現のための動きはほぼしないのだが、それでも各話で主人公たちの言動に微かに反応させることで、作者は彼女の人物像を読者に伝えている。


何故、物語の主人公たちは「塀の中の美容室」で癒され、明日への希望を取り戻すのか?
何故、それを読んでいる読者も同じように癒され、感動するのか?

確かに美容室は「塀の中」にある。しかし、本当に「塀の中」にいるのは各主人公たちであり、読者ではないだろうか?

この美容室、料金は安いが、実際に利用するにあたり、その料金には見合わない様々な制限がある。
守衛所での入門許可が必要、スマホなどの通信機器の持ち込み不可、美容師への物品の授受や雑談は不可…

いや、そんな事務的な規則ではなく、心理的な「塀」の方が障害になる。

まず「人の目」だ。「美容室を利用する」だけだが、そのためには「刑務所に入る」必要がある。事情を知らない他人が見たら、きっと誤解するだろう(物語にも近所で噂になった人が出てくる)。

そして美容師が「犯罪者」である事実。
我々は普段、「犯罪者」と間近に接する機会はほぼない。刑務所に収監されている「受刑者」だと尚更だ。
どんな罪かはわからないが、収監されているということは、それなりの「重罪」なのだろう。
そういった受刑者(犯罪者)に対する恐怖にも似た不審感は、どうしても拭えない。

さらに、その「犯罪者」が刃物を持って自分の後ろに立つことによる恐怖。
もちろん受刑者全員が殺人や傷害で収監されているわけではないし、近くに刑務官が付いている、ということは頭では理解できているのだが、「受刑者(犯罪者)」という先入観から、普段の美容室では当たり前の行為に逐一恐怖を覚えてしまう。

これらは全て「偏見」である。
その「偏見」が自身の中に「心の塀」を作り、その中に閉じこもってしまう。
そして、その「心の塀」は、各物語の主人公たちの「迷いや悩み」を表してもいる。
同様に、美容師の内面が語られない以上、我々読者も同じように「心の塀」の中から読み進めてしまうだろう。


では何故、「塀の中の美容室」で癒され明日への希望を取り戻すのか?
それは美容室を利用する勇気を出すことが即ち、「偏見」「迷いや悩み」で構築された「心の塀」を自身で壊したことの証しだからである。

「心の塀」を壊せた自身の力と、壊れた塀の外側に見える世界に驚き、主人公(と読者)は呆然と立ち尽くす。
その背中を美容師がほんの少しだけ押してくれ、主人公(と読者)はおずおずと壊れた塀を乗り越え外側に歩を進める。

塀の外側は広く、どこへでも行けそうな気がする。それが「希望」だ。
その希望は刑期を終えた美容師や他の受刑者たちとも通じている。

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