舞台『新・幕末純情伝』

「新選組の沖田総司は女だった」
舞台『新・幕末純情伝』(つかこうへい作、岡村俊一演出。以下、本作)は、この突飛な設定のもと、フィクションの魅力満載で展開される。
「魅力あるフィクション」は、観客を知らない世界に連れていってくれるが、それだけでなく逆に、「今現在の、自分の周りのリアル」に気づかせてくれたりもする。
しかし、2023年の本作、「魅力あるフィクション」から「魅力的なファンタジー」になった気もする。

確かに本作も、色々なことに気づかせてくれる。
たとえば、大きなところでいえば「(女系)天皇」もそうだろう。
だが、2023年現在でいえば、大きなリアルは「まつりごとの幼稚化」への義憤と、それに由来する「希望のなさ」ということになるのかもしれない。

たとえば、坂本龍馬(松大航也)や桂小五郎(関隼汰)の運命は、「かみ様」ではなく、「現人神あらひとがみ」や「(お)かみ」によって決められ、それに従う、或いは逆に操るために、勝海舟(吉田智則)が暗躍するといった、いわゆる「政治の裏側」の思惑や非情さが、良し悪しや是非の問題ではなく、「必然」としてのリアルさを、現代は失っている。
その思惑も非情も、ある意味「(凡庸な大衆では見られないほど遠くの)未来への展望」のためにされていた、と信じ(てい)られた時代がかつてはあり、だから、良し悪しや是非の問題ではなく「必然」だと大衆は思っていたのだが、2023年において政治は大衆と同じどころかそれよりも近視眼的になり、「国民より自分の身が大事」という身まで堕ちてしまったことが大衆に露呈してしまっている。

本作は、1980年代末、日本がバブルに踊っていた頃に初演された。
これからアメリカを抜き世界一の大国になることも夢ではなくなった(と錯覚した)希望溢れる時代において、そのための思惑や非情さは、ある意味「リアルな必然」でもあった。

だから、「魅力あるフィクション」に登場する龍馬のセリフが観客に希望を抱かせた。

国とは女のことぜよ。おまんの美しさのことぜよ。
明日とは男と女が額に汗して夢みる熱いまなざしのことぜよ

本当に辛いことに、2023年、このセリフは「魅力あるフィクション」から「魅力的なファンタジー」になってしまった。

もう我々は本作を、旬のアイドルや若手女優がキラキラ輝く「ファンタジー」でしか観られないのかもしれない。


メモ

舞台『新・幕末純情伝』
2023年2月4日。@紀伊國屋ホール

悲観的な本文になってしまったが、これは、本作や出演者への批判ではない。私は、この作品が好きだし(1998年「新~」になった時の藤谷美和子さんから観ている)、沖田総司を演じた菅井友香さんが主演した『飛龍伝2020』は劇場で2回観たし、今でもビデオで観なおす。
好きすぎて、まともな考察が書けないのである。

本作、改めて旬のアイドルや若手女優が演じる意味というのを考えていた。
芸能ニュースでは、彼女たちが胸やお尻を触られたり喘ぎ声を出したりという「体当たり演技」しか話題にならないが、本当にキツいのは、そこではないだろう。

つかこうへい氏は、稽古中、その場で俳優に色々なセリフを言わせて芝居を作っていく「口立て」という独特の演出方法で知られている。
実際に体験した俳優たちのインタビューなどによると、「言いたくないこと」「言われたくないこと」を俳優に言わせ、言った方/言われた方、双方の俳優の反応を観察して、双方にとって一番キツい言葉が採用されることが多いらしい。

最終盤、自分たちの処刑が免除されると知った新選組の隊士たちは、その条件となる、龍馬を斬ることを、総司に懇願する。
このシーンは、ほぼこれまで歴代の芝居を踏襲しているが、セリフを言った方/言われた方が共に傷つく印象的な場面であり、これを旬のアイドルや若手女優が演じるのは、相当に辛いと思う。

自分が生き残れると知った隊士たちは、躊躇なく、これまで尊敬し慕っていた龍馬を斬ってほしいと懇願し、それだけでなく、肺病(結核)持ちの総司に対しても、これまでの親密さが実は嘘・演技だったことを次々に暴露していく。
肺病を患っていることで差別を受けてきた総司は、全てを受け入れてくれる新選組を心から信用していたにも拘らず、それを利用して隊士たちは総司にばかり人斬りさせていたという事実(あくまで物語のセリフ上)を知って、深く傷つく。

ずいぶん長く説明したが、このシーンは観ていて辛い。
物語として、主人公が裏切られるのが辛いというのは、もちろんある。
しかし、それ以上に、「アイドルだから」とチヤホヤされていた裏で、周りの人たちがどう思っていたのか、そして何かあれば簡単に裏切り、さらには保身のためなら相手が傷つくことも厭わない、そんな現実に起こりそうな言葉を、演技とわかってはいても(毎日毎日、同じように)他人から浴びせられるのだ。
しかし、つか氏の「口立て」では先述したように、「言った方の反応」も見ており、このセリフは隊士を演じる俳優たちも傷つける。
言った方も言われた方も、傷だらけになりながら演じられるこのシーンを観るのは、本当に辛い。

好きなシーンがたくさんあるが、私は、頭の中で動いている芝居を文章で表すだけの力がない。

最終盤の土方歳三(高橋龍輝)の裏切りは本意ではなかったと信じたいし、桂小五郎の文字通りの「ハングリー精神」についても色々書きたい(本作の幕開けは、絶対に、土方が桂に「ジャリ、ジャリ」を思い出させるシーンでしかありえない)。
唐突だが何といっても理屈抜きで私は、本作の中で岡田以蔵が一番好きだ。


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