「雑貨」とは何か?
「デジタル大辞泉」には、『日常生活に必要なこまごました品物』とある。
「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」はもっと細かく定義している。
いずれにせよ「雑貨」は『日常生活』と共にあることだけは確かなようだが、それは本当か?
街中の「雑貨屋」と呼ばれるお店に並べられている品物は、本当に、日常生活と共にあるのか?
東京・西荻窪で雑貨店を営む三品輝起氏が著した『すべての雑貨』(ちくま文庫、2023年)の帯には、そう書かれている。
その上で店主(著者)は言う。
あらゆるものが雑貨化していく理由を、店主は『見えない資本の流れ』の先に生まれた「キッチュ感覚」に求める。
その昔、まだ貧富の差や家柄や職業への縛りなどによって、「持てる物」に違い(落差)があった。
つまり、下位文化の者が、それまで上位文化を想起(実際に上位文化の者になるのでなく『イメージを盗む』だけ)させるような「雑貨」を所有できるほどの経済発展が、「雑貨化」に帰結した、と。
さらに、この日本においては「カワイイ文化」が雑貨化に拍車をかけたのではないか。
サイモン・メイ著『「かわいい」の世界 ザ・パワー・オブ・キュート』(吉嶺英美訳、青土社、2019年)の中で、日本の「カワイイ文化」はこう考察されている。
つまり、自分を「自身がイメージした存在になること」を目的として、あらゆるモノを「カワイイ」という形容詞で「雑貨化」し、それらを所有する。
それは一種の「コスプレ」であり、「自身のキャラ化」でもある。
加えて、SNSなどが「自身のキャラ化」を容易に、過剰にさせる。
さらには、ネットによる商取引が過熱化した結果、「商材としての雑貨化」になり、雑貨は「ネット上の一つのデータ」として仮想化された。
店主は「文庫版あとがき」に、こう記している。
店主はいみじくも、『じぶんがほっとしたものごとが、目のまえのブラウザ上に』と書いている。
つまり、2020年代においてインターネットと資本主義の高度化により、「モノ」だけでなく「コト」までもが、「雑貨化」しているのである。