映画『ショック・ドゥ・フューチャー』

素敵だ(うっとり)…

もちろん主人公のアナを演じるアルマ・ホドロフスキーは、素敵な女性だ。
しかし私にとっては美しい女性より、スクリーンいっぱいに映し出される機械の方が素敵に見えたのだ。

映画『ショック・ドゥ・フューチャー(原題 LE CHOC DU FUTUR)』(マーク・コリン監督、フランス 2019年公開、日本公開 2021年。以下、本作)は、テクノ音楽と女性音楽家が活躍する時代の起源を、主人公のアナの1日に凝縮して表現した物語だ。
本作、テクノ音楽好きはもちろん、機械好きの人にもお勧めだ。

1978年、パリ。若手ミュージシャンのアナは、部屋ごと貸してもらったシンセサイザーで、依頼されたCMの作曲にとりかかっていたものの、納得のいく曲が書けずにいた。

(パンフレットより)

午前9時9分(デジタル時計の909の表示だけでテクノマニアは大喜び)に起床したアナは、目覚めるためにお気に入りのテクノ音楽にノッて体を動かしたあと、奥の部屋へと向かう。
部屋の壁一面につまみやスイッチが付いていて、ケーブルなどが差さっている。21世紀の若者からすれば、古いSF映画にありそうな宇宙船のコックピット、あるいは現代芸術のオブジェに見えるかもしれない。
しかし、アナは何事もないように壁のオブジェのボタンを押す。壁のオブジェが光りだす。何か起動したようだ。

パッチを差し替え、つまみを回すと、機械が「ぶーーん」と音を発する。
様々なスイッチを切り替え、あちこちのつまみを回すと、「ぶーーん」が「うぃーーん」になったり「きゅいーーーん」になったり…
やがて「ぶん、ぶん、ぶん…」とビートらしきものを刻むようになる。

これはSF映画に出てくる宇宙船のコックピットや怪しい装置でもなければ、ただのオブジェでもない。
「Moog(モーグ。日本では「ムーグ」とも呼ばれる)」という、れっきとした「楽器」だ。

元々は、様々な波形を生成する回路や、つまみにより周波数や音量を可変できる回路をスイッチで切り替えたり、別々の回路をパッチケーブルでつないだりすることにより、ほぼ無限に波形パターンを生成できる「装置」だった。

その電子装置である「シンセサイザー」を『研究室からポップミュージックに移行させた』のがMoogの開発者ボブ(ロバート)・モーグ氏であるが、彼は元々音楽家でも楽器製造者でもなく、ただの(と言っては失礼だが)技術者だった。

アメリカで制作されたドキュメンタリーシリーズ「サウンドブレイキング レコーディングの神秘 (soundbreaking. Stories from the Cutting Edge of Recorded Music)」(2016年)のEpisode 4(Electric)でのボブ・マーゴレフ氏(レコード・プロデューサ、エンジニア)の証言によると、モーグ氏は『半袖の白シャツに鉛筆キャップを山ほど挿してるような人で、良い意味の技術者』だったという。

この楽器に見えない楽器に魅了された多くのミュージシャンたちにより、それまで誰も聞いたことがない斬新な電子音楽が作られ、後のテクノ音楽へと繋がっていく。
「Moog」という楽器について日本で思い浮かぶのは、たぶん「YMO(Yellow Magic Orchestra)」だろう。

映画の冒頭でMoogの電源を入れたアナは、そこから1分も経たないうちにCM曲の製作に取り掛かってしまうのだが、この、膨大な電子部品の塊がそんなにすぐに動くわけがない(当時のブラウン管テレビだって、ちゃんと映るのに数秒は掛かった)。

Moog Modular(復刻版)を所有するミュージシャン・プロデューサの浅倉大介氏によると『全てアナログなので、電源を入れてから音が安定するまで4時間掛かる』(2019年1月27日放送 テレビ朝日系『関ジャム 完全燃SHOW』)らしい。

まぁ、「CM曲の締め切りが過ぎていた」から、アナもそんなに待つ余裕などなかったのだろう。


さて、本作、日本人として嬉しいのは、日本のROLAND社製リズムマシン「CR-78」が登場することだ。
外形寸法 300(W)×205(H)×280(D)mm という結構ガッシリとしたボディのパネルには、様々な回転ボリューム、スライドボリュームが並び、ボタンも白だけではなく、赤・青・緑・黄色が使われており、これがケバくなく、むしろポップで恰好いいのである(黒一色のMoogパネルとの対比も素晴らしい)。
で、そのポップな箱が、「ポコポコ」「ポンポコ」と、これまたポップでクールなリズムを叩いてくれるのだ(音を聞いただけで、相当数のテクノマニアが泣いたことだろう)。


アナが作曲をしていたシステムは、Moogを眼前にして座り、手元にはキーボード、右側にミキサー、左側には4chのマルチトラックオープンリールデッキがある。オープンリールの左側には(たぶん)エレクトーン、そしてその傍にテルミンが置かれている(と思う)。
それに借り物のCR-78が加わり、1978年当時の電子音楽制作としてはかなり最新のシステムだと思われるが、21世紀の現在では掌に収まるスマホ1台でこれ以上のことができてしまう(たった40年で…)。

技術の進歩としては「たった40年」だが、モノから見た40年は「たった」ではない。
21世紀にこれだけの機材を集めるのは苦労したはずで、私はエンドロールを注視して「機材協力」を探したのだが、見当たらなかった。
それもそのはず、パンフレットに載っているマーク・コリン監督のインタビューによると…

偶然、撮影の数日前にシンセサイザーのコレクターを訪ねました。(略)世間話をしているうちに仲良くなり、数日後、彼の自宅での撮影の許可を取りつけました。
(略)
そのコレクターの住人がすでに1970年代風に住んでいたのです!彼の家にはすでにターンテーブル、ラウドスピーカー、あの壁紙、そしてもちろんアルマが作業するあの巨大なマシーンがあったのです。彼のCDを移動してもらうだけですみました。

…スゴい、スゴすぎる!! マニアの本気、恐るべし…


本作、スクリーンに映る機材や、劇中で流れる当時の音楽(主に初期のテクノ)などに意識が行きがちだが、物語の軸となるのは、「駆け出しのミュージシャンが認められるために葛藤する話」である。
さらに、時代性として音楽関係に限らず、「女性が一人の職業人として社会的に自立していく先駆者の話」でもある。

CMをアナに発注した男性担当者は、締め切りに間に合わなかったアナに対し『女に頼まなければよかった』と後悔する。
だが、締め切りに間に合わなかったのはアナ自身が問題なのであって、「女性だから」ではない。
しかし、彼はこう断言する。
『男なら絶対に締め切りを守った絶対にだ!

つまり、彼は「女性の職業音楽家」の存在自体を認めていない。
その晩のパーティーでアナの曲を聞いた大物プロデューサーも同様だ。
口では音楽を褒めつつ、「ここはフランスなのに英語で歌うのが気に入らない」とケチをつけるが、その言葉の裏には自立しようとする女性への嫌悪が隠れている。
結局自身の音楽が認められなかったアナは傷つくが、有名な女性ミュージシャンや理解ある男性に励まされ、挫折から立ち直ろうとする。

本作のエンドロールで何人かの女性たちの名前がテロップで紹介される。
彼女たちは当時、実際にそうやって男性優位の音楽業界と闘って、新しく生まれたばかりのテクノを牽引した(にも関わらず歴史に埋もれていた)先駆者だった。

本作はアナという人物を通して、彼女たちに讃辞を呈し、また彼女たちの後を受け継ぐ、未来の女性電子音楽家たちにエールを送っているのである。

(2021年9月1日。@新宿・シネマカリテ)


ところで、本作に登場する4トラックのオープンリールデッキ。
パネル色とVUメータの配置及び、1秒に満たないくらいの短時間映ったヘッドから推測して、ティアックの「2340」かもしれない。
違うかもしれないけれど、もしそうだとすると前述のCR-78と同様、日本社製の機材となる。

…それはさておき、本作では、上記オープンリールと共にカセットテープも登場するが、それらはいずれも「磁気録音テープ」である。

私が本作を観た2021年9月1日に国立科学博物館が、『科学技術の発達の歴史で大きな意義がある重要科学技術史資料(未来技術遺産)に、東京通信工業(現・ソニーグループ)の「Soni-Tapeシリーズ」(1950年)という日本初の磁気録音テープなど24件を新たに登録すると発表した』(同日付 朝日新聞夕刊)。
『ソニ・テープは、(略)録音用のテープ。酸化鉄の粉末を塗った紙のテープに、磁気信号に変換した音を記録・再生できる。磁気テープの技術は後に「カセットテープ」の誕生につながった。また、ソニーの携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」への応用など、音楽を携帯して気軽に楽しむ新しい文化を生んだ』(同日の讀賣新聞オンライン)。

日本の技術が、現在の音楽制作/観賞の礎になっているのである。

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