「師」の言葉で自分の道を確かめる~太田和彦著『超・居酒屋入門』~

人間も五十を過ぎれば、時折、自分は昔自分が思い描いていたような人間になったのだろか、と考える時があると思う。(略)出世も地位もどうやら先が見えたのなら、せめてこれからの人生を、昔思った自分、こういう人間になりたいと考えていた姿に近づけてみようと願う気持ちがおきてこないだろうか。
そのひとつが<残りの人生、居酒屋でゆっくり酒飲んですごそう>ではお笑い草だけど、まあよいではないか。(略)居酒屋で本来の自分をみつけてゆく、これは自己再生の第一歩なのだ。

「家を出て居酒屋へ」

太田和彦著『超・居酒屋入門』(新潮文庫、2003年。以下、本書)を久しぶりにパラパラと捲って上記文章に出合い、暫し感慨に耽った。本書が刊行された当時、私は30代前半だったし、親本となった単行本『居酒屋の流儀』(講談社、1998年。以下、親本)を読んだときは、まだ20代だったのだ。
当時の私が上記文章を読んで「そんなものなのかなぁ」と漠然と思っただけだったのは、もちろん、『人間も五十を過ぎれば』という文言に現実感がなかったからだ。

本書になぜその文言があるのかというと、「あとがき」にあるとおり、親本が『中高年向け居酒屋のすすめ、という要請で』書かれたからで、親本及び本書を読んだ当時の私は、まだ対象年齢に達していなかったし、対象年齢に達した時には親本から四半世紀近く経っていて、世の中も変わっていた。
だから、私にとって本書は「実用書」「指南書」ではなく、「参考書」という位置づけに近いが、でもやっぱりそれとも違う。

私は20代前半から飲み屋さんでの「一人飲み」に憧れ、50代となった現在では「外飲み」の9割以上が「一人飲み」になり、それなりに行きつけのお店や常連として接してくださるお店も出来たが、思い返してみても、その過程で本書の指南を参考にしたことは(おそらく)ない。
「一人飲み駆け出し」の頃、太田さんの他の著書を含めて、それらで紹介されていたお店に行ってみたことはあるが、何度も繰り返し訪問するようなお店はほとんどなかった(おそらく、「酒菜亭(現・酒とさか菜)」が唯一のお店だと思う)。

現在の私が実感するのは、自分に合うお店を見つけると同時にお店側から認められる(或いは歓迎される)ためには、太田さんの著書を含め巷に出回る指南本・紹介本、著名なブロガーの記事などに書かれたことをそのまま実行してみてもダメで、結局のところ、とにかく「場数を踏む」しかないということだ。

違うお店はもちろん、同じお店に通っていても、その時々によって対応や印象が違ってくる。その中で、良い体験・悪い体験を幾度となく繰り返し、「場数を踏む」ことによって経験値を上げ、自分だけの「一人飲みスタイル」を見つけていくしかないのだ。

なぜ「スタイル」を見つけなければならないのかといえば、これも太田さんが多くの著書で書いているが、「居酒屋は居ることを愉しむ場所」だからだ。

居酒屋が他の食べもの店と一線を画すのは、気に入れば毎日でも行くことだろう。(略)居酒屋とは「居心地」を愉しむ所なのであり、良い居心地は毎日でも味わいたい。居酒屋の「居」は居心地の居で、そこに居る時間を愉しむ。

「居酒屋とは」

経験値が低く未熟な時期には、様々勝手がわからず、自分に合わないお店を選んでしまったり、お店で上手く立ち回れなかったりと、全く愉しめず、後悔ばかり募らせてしまう。或いは、どんなに良いお店で良い経験をしても、それがわからず、些細なことをあげつらってしまい、自ら愉しむのを拒否するかのような勝手な想いにとらわれたり、ということも往々にしてあった。

そんな時期の私にとって、「居酒屋は素敵で愉しい場所だ」「一人飲みは愉しい」と繰り返し書かれる、本書を含む太田さんの著書は、未熟故に落ち込んでしまった自分自身を励ましてくれるものだった。
太田さんの著書のおかげで、未熟さにも、二日酔いや泥酔による失敗にもめげず、「一人飲み」を続けてこられたのだ。

そうして徐々に経験を積んでいき、ある時私は「太田学校」を自主退学した。
それは、「太田さんから学ぶことはもうない」といった慢心でもなければ、「太田さんは間違っている」という反抗・反逆でもない。
自主退学は、私自身が「自分なりのスタイル」を見つけたからで、それは「たもとを分かつ」ということではない。

たとえば、太田さんは『居心地のよい居酒屋は古い店が多い』と考えている(飲兵衛でおなじみのなぎら健壱氏も、「すがれた(古びた)店」がいい、といった発言をされることがある)。

古くから続いているのは、地元の客を相手に、正直な商売を誠実に続けてきたからだ。そこには、親父の代から通ってきている客もいて店に自然にひとつの雰囲気をつくっている。

「居酒屋とは」

私もその考えに異論はない。
ないからこそ私は、「今、古い店」ではなく、『古くから続』きそうなお店の『親父の代から通ってきている客』になることを選んだ。
私が40歳前後の頃、同世代やその下の世代の料理人たちが、各々修行を終え、志を持って独立した。
つまり、それらのお店は「古い店」ではない。
しかし、『地元の客を相手に、正直な商売を誠実に続けて』いきそうなお店たちだった。だからこそ私は、初代店主となる若い彼ら/彼女らのお店に通うことに決めたのだ。
もちろん、それら全てのお店が順調だったわけではないが、中にはすでに彼ら/彼女らの子どもが「二代目候補」として修業し始めたお店もある。
私は、そんな『店に自然にひとつの雰囲気をつく』る客の一人であり続けたいと思っている。
誤解なきよう念押ししておくが、それは太田さんと「袂を分かつ」ということではない。

勝手に自主退学した後、私は太田さんの新刊を購入しなくなった(申し訳ありません)。しかし今でも、太田さんが「師」であることに変わりはなく、本書を含め購入した本は今でも時折、パラパラとではあるが読み返している。
それは、泉谷しげる氏の名曲『春夏秋冬』の歌詞(泉谷しげる)になぞらえれば、『となりを横目でのぞき/自分の道をたしかめる』ためである(もちろん太田さんの著書を読み返すのは、『となりを横目でのぞ』いているのではなく、「師の言葉を思い出す」ためである)。

『昔思った自分、こういう人間になりたいと考えていた姿に近づ』いているだろうか?
居酒屋を愉しめているだろうか?
お店や周りに対して横柄な態度をとったり、迷惑をかけたりするような、独りよがりの愉しみ方をしていないだろうか?

頻繁ではないが、私は事あるごとに、自戒のために太田さんの著書を開く。

そして、「一人飲み」が日常的に出来るようになり、しかも、『人間も五十を過ぎ』てしまった今、私はまだまだ『残りの人生、居酒屋でゆっくり酒飲んですごそう』という気持ちにはほど遠いところにいるが、時折「師」の言葉を思い出し自戒しながら、少しずつ『居酒屋で本来の自分をみつけてゆ』こうと思っている。
そして、これから先、二代目・三代目と続いて古くなったお店に歓迎され、カウンターの端に機嫌よく座らせてもらえる客であり続けたいと思っている。

※「自主退学」などと上から目線の失礼な表現を用いていますが、もちろん私は太田和彦氏とは面識がなく、本稿は、ただの「いち読者・ファン」の個人的な想いを表現したものです。ご容赦ください。



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