映画『ちひろさん』

あなたは、孤独を手放さないでいられる人だから。

映画『ちひろさん』(今泉力哉監督、2023年。以下、本作)の終盤のセリフを聞いて、冒頭から感じていた居心地の悪さの理由がわかった気がした。

居心地が悪かったのは、パッと見「孤独な人たちに寄り添う良い人」になりそうな有村架純演じる主人公「ちひろさん」を、何とかギリギリ「そうじゃない」と、まさに彼女が防波堤の上をバランスをとりながら歩くように、ファンタジーとリアリティーの境界にある緊張を感じていたからだ。
それが全くの誤解ではないのは、上映後のアフタートークに登壇した今泉監督自らが「最も気を使った」と話していたことからも明らかである。

「手放せない」のではなく「手放さない」。
「ちひろさん」が孤独を手放さないのは、自らに罰を与えているからではないだろうか?
何に対する罰なのか?
自分の母親を、家族を、愛せなかった事に対し、彼女は自らが背負った「原罪」だと責め続けているのだろう。

映画『茶飲友達 tea friends』(外山文治監督、2023年)についての拙稿で私は、『「家庭は温かい」という20世紀からの「嘘」が、21世紀に吐き通せなくなった』と書いたが、それは本作にも共通していて、一般的に云われる(或いは「保守」が声高に主張する)「普通の家庭」は登場しない(「ちひろさん」はもちろん、オカジ(豊嶋花)の家庭はズバリそのものだし、マコト(嶋田鉄太)は母子家庭で育ち、弁当屋の奥さん(風吹ジュン)は娘とうまくいっていないことを仄めかす)。

孤独を手放さないために多くの他者と関わるというのは一見矛盾しているように思えるが、劇中で彼女自身が何度も繰り返すように、他者は「バラバラな星から来た宇宙人」なのであり、だから、他者が何人いても「同じ星から来た人はいない」疎外感から孤独を感じる(疎外感を持っているが故に彼女は「寂しさ」を纏っていて、その気配は「同じ星から来た」弁当屋の奥さんにだけ感じられた)。
孤独を感じるために、彼女は他者といる。

「手放せない」のではなく「手放さない」。
弁当屋の奥さんは「手放さないでいられる人」と「ちひろさん」を評したが、本人にはその自信がなかった。
「ちひろさん」は、満月の下で月見団子を食べながら、「バラバラな星から来たとはいえ、結局、"地球にいる宇宙人"という仲間ではないか」と気づいたのではないだろうか。
さらにそこには、"お父さん"である店長(リリー・フランキー)と「同じ星から来た」"お母さん"である弁当屋の奥さんがいる。
疑似家族に寄りかかって自身の罰を赦そうとする自分に気づき、彼女は「孤独を手放さない」道を選んだ。
「家族」という「甘えた情」で己を赦さないために、彼女はあえて人を避けた……そういう結末だったようにも思える。

だから個人的には本作はハッピーエンドどころか、物語全般にわたり幸福感が薄い(だから居心地が悪い)と思っているのだが、それで終わらないところが今泉監督らしいところで、ラストシーンの、ラーメン屋での店主と「色即是空」タトゥーの兄ちゃんと「ちひろさん」の、「餃子の大きさ」を巡るトンチンカンなやりとりで、「現物を前にした、こ~んなにわかり易いことですら、結局、わかり合えない」という現実に、何だか救われる気がした。

メモ

映画『ちひろさん』
2023年3月3日。@新宿武蔵野館(アフタートークあり)

冒頭「Asmic Ace」の「前づけ」を観て、「Asmic Aceって久しぶりな感じ」と思った。
私は映画に詳しくないので「久しぶりな感じ」と思っただけだったが、上映後のアフタートークに登壇した今泉監督と映画評論家/ライターの森直人氏が「Asmic Aceらしい映画」と語っているのを聞いて「なるほど」と……
ちなみに、ラストシーンについて今泉監督は、「『ラーメン屋だけ今泉』とよく言われる」と苦笑していた……ていうか、そんなラストシーンだったっけ?

本文で「ファンタジーとリアリティーの境界にある緊張」と書いたが、今泉監督は「ちひろさん」が「男性の理想の女性像」と言われることに批判的で、特にホームレスのおじさん(鈴木慶一。彼の名前は「タケ」だったりして? あっ、それは、映画『ほとぼりメルトサウンズ』(東かほり監督、2022年)か……)を自宅の風呂に入れる「ちひろさん」は「理解できない。自分がホームレスの立場だったら、いきなり知らない女性の家に連れていかれて、風呂に入れさされるのは嫌だ」と言っている。
今泉監督の「ちひろさん」に対する距離感が私の居心地の悪さにつながっている。

何度か過去の拙稿に書いたが、私は本当に2020年に放送されたWOWOWのシリーズドラマ『有村架純の撮休』が好きで、それと本作を関連づけると、第1話「ただいまの後に」(是枝裕和監督)では「有村架純」の母親役が風吹ジュンで(この回は不倫がテーマで、だから雨の中の車中での「不倫しているみたい」というセリフにドキッとした)、第2話「女ともだち」(今泉監督)では「有村架純」を口説く男が若葉竜也で、第3話「人間ドック」(是枝監督)では再会する映画監督がリリー・フランキー(再会のセリフが「架純、何でいんの?」で、本作での「おう、ちひろじゃん」という店長のセリフと重なる)だったり……
(個人的には、第6話「好きだから不安」(今泉監督)の「有村架純」のめんどくささが好きで、本作も少しそれを期待したのだが、ちょっと違った(期待外れという意味ではない)。ちなみに、現在放送中の『杉咲花の撮休』シリーズの第3話「両想いはどうでも」(今泉監督)でも「そっちだってさっき、両想いを一旦横に置いたからね」などと秀逸なセリフが飛び出し、私を喜ばせたのだが、まぁそれは余談)

今泉監督は『有村架純の撮休』の第2話と第6話で監督を務めている(第6話は脚本も)が、その時は「1話を2日で撮影」が決まりだったらしく、だから計4日だけの仕事だったという。今泉監督は本作オファーの際の彼女宛ての手紙に、「もっと長い期間で仕事をしたい」と書いたそうだ。

本文で「ハッピーエンドではない」と書いたが、アフタートークに登壇した森直人氏がかつて、CSの日本映画専門チャンネルで放送された番組『いま、映画作家たちは2020 監督 今泉力哉にまつわるいくつかのこと』で、今泉作品についてこう語っていた。

(映画の)魅力的なテンプレとして「通過儀礼的な物語の構造」が鉄板としてあるが、今泉監督は映画の1.5~2時間の中で主人公が成長する構造を嫌う。「そんなに簡単に人間が成長してたまるか」

また同番組では、本作で「色即是空」タトゥーの兄ちゃんを演じた若葉竜也も『一歩も、誰も、成長しない』と評している。
考えてみれば、「ちひろさん」を始め本作の登場人物は、誰一人として明確な成長をしていない。

オープニング、「ちひろさん」が岸壁で伸びをするシーンを観て、「うわぁーエロっ」と思ってしまったのだが(バストショットというのがいい)、それ以降もホームレスのおじさんを風呂で洗ってあげているときの素足とか(お尻の部分が見えないのがいい)、鉄棒にぶら下がった時にチラリと見えるお腹とか、「うわぁーエロっ」と思ってしまった。

それにしても、有村架純の妖しさは一体何だろう?
「何を考えているのか、イマイチわからない」というミステリアスさ故か。
アフタートークでも今泉監督が「いろんな俳優に聞いても『有村架純は違う』と言う」といったようなことを語っていて、監督自身も本作クランクアップでの彼女の淡々とした様子を見て「俺のことどう思っているのか聞きたかった」と言っていた。
だから、その辺りが「ちひろさん」とマッチしているのだろう。

ひとつ、「ちひろさん」に教わったことがある。
それは彼女がお墓でビールを飲むシーン。
そうか、死者とだって「バラバラな星から来た宇宙人」とだって、静かに酒を酌み交わすことができるんだ。
酒飲みで良かったと、心底思った。

(本稿では「ちひろさん」と鍵括弧付きで統一しています。なにせ、"源氏名"なので)



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