虚構の劇団解散公演『日本人のへそ』

劇団・第三舞台の主宰者・鴻上尚史氏が2007年に素人の若手を集めて旗揚げした「虚構の劇団」が15年間の活動を終え、解散する。
その解散公演に鴻上氏が選んだ作品は自身のものではなく、井上ひさし氏の劇作家デビュー作『日本人のへそ』(鴻上尚史演出。以下、作品自体を本作、今回の上演を今作と称す)だった。

私自身が本当にその時々に観たいものを脈絡なく観ているだけだと痛感するのはこういう時で、何度も様々な形で上演されている本作を私は観たことがなかった。

しかし幕が開いて少しした頃、唐突に「やっぱり、井上ひさし作品だなぁ」と思ったのは、もちろんその猥雑さもあるが、観劇直前、朝日新聞夕刊(2022年11月30日付)に氏の大長編小説『吉里吉里きりきりじん』(1981年刊)についての記事が掲載されていて、読み返してみようかと文庫本の上巻(同記事によると単行本で834ページあるらしいが、私が持っている新潮文庫版は上・中・下巻に分かれている)を久しぶり(奥付には平成3年の15刷とあるから、たぶん1990年代前半、20歳代前半に読んだのだろう、だから30年弱ぶり?)に本棚から引っ張り出して、パラパラ捲っていたところだったからで、そこにこんな記述があって「ヘレン天津」を彷彿させる。

「きみの姉さんはいくつなのかね」
二十三歳ぬじゅうさんさえす。集団就職すうだんすうそく東京とうちよって下着すたぎ工場こうばさ勤めでたんだけっとも、一年ばっかで工場こうばめて、あっちこっちさ勤め変えて、二十歳はだづのときにヌードさなったのす」

『吉里吉里人』より前、劇団「テアトル・エコー」で1969年に初演された本作は、上述したように井上ひさし氏の劇作家デビュー作になる。
その舞台を観た演劇評論家の扇田せんだ昭彦氏は、『よく「処女作には作家のすべてがある」といわれるが、『日本人のへそ』はその典型で、井上ひさしはこの喜劇に自分の「原点」をいくつも書き込んだ』と評している。
脈絡なく芝居を観ているだけの私より、扇田氏の説明の方が何万倍も簡潔でわかりやすいので、そちらを引用させてもらう。

劇は、教授の指導を受けた吃音症の患者たちが治療のために、東北出身の浅草のストリッパー「ヘレン天津」の一代記をミュージカル仕立てで上演するという趣向で始まる。岩手県の遠野から夜行列車で上京したヒロインは、クリーニング店の店員、トルコ嬢を経てストリッパーになり、さらにやくざ、右翼、政治家の愛人として社会の裏階段を駆け上がっていく。
(略)
井上自身が東北出身(山形県生まれ)だし、「遠野」は上智大学を一時休学して岩手県の治療所で事務員をしていた井上が親しみ、のめりこむほど通った土地だった。
よく知られているように、1956年から約一年間、浅草のストリップ劇場「フランス座」で文芸部員兼進行係をしていた経験もあった。当時は浅草の「最後の黄金時代」で、フランス座では渥美清、長門勇、谷幹一、関敬六らの専属コメディアンが「お客を笑い殺しにしていた」(井上)。(略)
劇中に出てくる吃音症も、井上自身の体験に根ざしている。冒頭に登場する「アイウエオ文」は、井上少年が吃音を直すために毎日音読していた練習文がもとになっているのだ。
(略)
ミュージカル仕立てで始まったこの劇は後半、一転、推理劇仕立てになり、劇構造が次々にひっくり返っていく。天皇制と同性愛との密接な関係など、どきりとするような問題も笑劇スタイルで描かれる。

『こんな舞台を観てきた 扇田昭彦の日本現代演劇五〇年史」(河出書房新社、2015年)

もうこれ以上の説明は不要だ。ちなみに、周知のとおり『吉里吉里人』も、岩手県大槌町に実在する「吉里吉里」が舞台である。
井上氏の強い想いは1幕に現れていて、女性は虐げられた存在であり、自身の立場は自身を庇護してくれる男性で決まり、しかし、その男性も天皇制・家父長制を基軸としたヒエラルキーのある「日本のボス社会」に支配されている、と歌い上げる1幕最後のシーンは井上氏の憤りが満ちて圧巻である。

さて、今作は、6人の劇団員と3人の客演、4人の外部若手俳優に1人のピアノ奏者(絶対に生演奏でなければならない)で演じられるが、解散公演に自身の作品でなく、井上ひさしの劇作家デビュー作を選ぶというのは興味深い。

私は、「ヘレン天津」の劇中劇が始まってから、変な混乱を起こしていた。
旗揚げ時には「本当の素人芝居」だった劇団員たちが、15年のキャリアを積み、その解散公演で「素人芝居を演じている」のだ。
私は、目の前で何が行われているのか、暫しわからなくなってしまった。
少し冷静さを取り戻した私は、その混乱が、劇団員個人個人の成長の証しであり、その過程で、各々が(劇団内、或いは私の中での)立ち位置が明確になっていた証しでもあるように思えて、何だか嬉しかった。

もう一つ混乱したのは、私が本作初見だったからなのだが、2幕に入ってから、これが井上氏の戯曲そのままなのか、鴻上氏の翻案なのかわからなくなったことだ。
上記引用で扇田氏が書いているように、『後半、一転、推理劇仕立てにな』るのだが、その構造が、鴻上氏作の『トランス』(1993年初演)を彷彿させたからだ。
『トランス』は男性2人・女性1人による3人芝居で、「自分こそ本物の天皇だ」と思い込んでいる精神病患者が、女性精神科医のもとに連れてこられるところから物語が始まる。2人は学生時代の親友で、もう一人の親友を巻き込んで彼の治療に当たるのだが、途中で、実の患者は女性であり、「自分は『自分こそが天皇だ』と思い込んでいる親友を治療している精神科医だと思い込んでいる」という状況が示唆される。
しかも、自分を天皇だと思い込んでいる男は、巻き込まれた親友を「宦官かんがん=中国などを中心に東アジアにいた『去勢を施された官使』(ただし日本にはそのような者の記録はないとされる)」と思い込んでいる(これが、今作2幕の男色家による天皇への言及に通底している)。
この辺りの劇中劇が複雑な入れ子構造になっていくあたりも、本作と似ている(ただし、最終盤に「天皇」と思い込んでいる男も、女性精神科医も、「宦官」の男によって治療されている、と示唆するという複雑さに至り、結論が提出されないまま終幕となる……というところが、『トランス』が名作である所以でもある)。

つまり、「解散公演と処女作」「成長前後の俳優の倒錯」「自作と他作の相似形」という入れ子構造が、解散公演が『日本人のへそ』である所以……なのかなぁ?
というのは、もちろん私の想像でしかないのだが、とにかく、劇団員の15年の成長をちゃんと観客に見せて解散できる、というのは本当に素晴らしいことだと思う。
15年間、お疲れ様でした。
今後、皆さんがどんな道を歩まれるのかはわかりませんが、どこであっても、そこでご活躍することを願っています。


メモ

虚構の劇団解散公演『日本人のへそ』(東京凱旋公演)
2022年12月2日。@東京芸術劇場シアターウエスト

私が虚構の劇団を観始めたのは、第2回公演『リアリティー・ショー』から(ただし、旗揚げ公演の前に「旗揚げ準備公演」あったため、劇団としては3回目の公演)で、以降は毎回、と思って念のため調べたところ、第4回公演『監視カメラが忘れたアリア』を観ていないらしい。これは、「旗揚げ準備公演」で上映された作品で、たから私は、『監視カメラ~』に縁がなかったことになる。

今作のパンフレットの巻末に、鴻上氏による全公演の思い出が掲載されている。
私が少し驚いたのは、『(劇団員だった)大久保綾乃に「辞めます」と言われたときは、劇団の主宰者としても劇作家としても、どちらも辛かった。綾乃の個性は、(旗揚げから解散まで在籍の小野川)あきのような主役系の持ち味ではなくて(略)』と書いてあったことで、私は観劇は好きだが劇団や俳優に興味がなくホームページやSNSもチェックしないからわからなかったのだが、私のお気に入りは大久保綾乃さんで、彼女が看板女優だと思っていたので退団したと知った時はショックだった。

それから思い出したのは、私が根本宗子さんを初めて観たのは2014年の第8回公演『グローブ・ジャングル』で、『俳優・根本宗子の個性は、もし大久保綾乃が長く俳優をやっていたらたどり着くであろう、したたかなキャラクター』という鴻上氏のコメントも、先の辛さを感じさせて、切なくなった。

観た作品はどれも思い入れがあるが、2018年の第13回公演『もうひとつの地球の歩き方~How to walk on another Earth.~』は、当時の個人的な状況もあって、何故かずっと「AI天草四郎」のことを考えていた記憶がある。

作品自体ということではないのだが、今でも心に残っている、というか、衝撃だったのが、第12回公演『天使は瞳を閉じて』の幕開け。
第三舞台で初演されたこの作品は、核戦争後や何かの実験などを想起させるシェルターで閉ざされた世界の話なのだが、2011年に上演された第12回公演は、明確に「原発事故の除染処理作業員として集まった者たちが中にいる状態で、放射能を遮断する大きなシェルターが閉じてしまう」という幕開けだった。
それは、その年の3月以降さんざん語られてきた「現実がフィクションを超えた」という言葉の具現化に思えたし、「もうこれで、『核戦争後の未来』はフィクションたりえず、この先文学や芸術がフィクションを描くことができなくなったのだ」という自身の諦観に繋がっている(それから11年後の2022年現在、「核戦争後の未来」が本当に現実のものとなりつつある)。

今作観劇後に劇場を出ようとしたらロビーに鴻上氏がいらしたのが見えた。
虚構の劇団に限らず、鴻上氏はたいていの場合、公演中のロビーにいたりするのだが、それを見て、私はたまたま先日15年ぶりぐらいに読み返した小森収著『小劇場が燃えていた【80年代芝居狂いノート】』(宝島社、2005年)を思い出した。
1983年当時、雑誌「噂の真相」の編集部にいた著者が、編集部に送れられてきた招待券を手に、まだ駆け出しだった第三舞台の公演を観に行った。

受付で招待券を渡すと(略)すぐに愛想のよい主宰者が現れ「昼は役者の調子がイマイチなんだけどなあ、まあ、見てって」と言った。鴻上尚史との初対面である。それから二十年、いろんな劇団から招待券を送られたが、劇場入口に主宰者が挨拶に現れたのは、後にも先にもこれきりだ。

鴻上さんは変わらないんだなぁ、と、面識などまったくない私は無言で劇場を出ながら、でも少しほっこりした気持ちになったのである。

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