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ずっと信じたかったもの。

雨が降ると人は「天氣が悪いね」と言う。でも、植物たちの世界ではたぶん「やった!雨だ!」ってなってると思う。

金持ちになってしあわせな人もいれば、金で滅びる人もいる。

出来事には無数の解釈があり、この世界は壮大な勘違いで創られている。

だからこそおもう。
「自分らしく生きる以外生きてる意味なんてねーだろ」って。



相手を信じることをやめるチャレンジをしてる。
俺が今やってるのは、相手を信じた自分を信じるチャレンジ。

ずっとできなかった。長い間、相手を信じることで自分を信じることから逃げてきたから。


でもここ1ヶ月くらい、まわりからたくさんの愛を受けた。それは俺が信じたい仲間たちからの叱咤激励だった。

かけられた言葉は「もっと前にでてほしい!」「想いを語ってほしい!」「もっと自由に羽ばたいてほしい!」だった。


言われた翌日、ふと氣がついた。それは俺がずっと俺に言いたくて言えなかった言葉たちだった。 #I am you.You are me.



長い間、自分を信じられなかった。だから相手を信じようとしてた。

かなり前から、会社やコミュニティを通じてその人たちが好きになればなるほど、自分を押し殺して誰かのためになるようなことをやり続けてきた。

その奥底にあったのは恐れだ。男として、代表として、言い出しっぺとしてその人たちにないものを俺が埋めないと自分の存在意義がなくなる、人が離れるという恐れ。


約1年前から相方の麻衣にはずっと言われてきた。それを実感してこの1年、「恐れからの行動を手放す」をずっとやってきた。

以前に比べたらすごく軽くなった。経営やコミュニティ運営でも自分が手放したところを担ってくれる仲間たちが現れはじめた。


こういうことを以前までは全部自分ひとりで背負ってた。

誰も動かないのなら自分がやる。売上あげるのもコミュニティ運営も盛り上げも、裏でメンバーの応援、サポートも。それを少しずつ手放してきた。

広く視野を拡げなければ以前は氣づけなかった「本当の仲間」という存在が、横を向けばいつもいる。マジで世界が変わった実感がある。


ただ、まだ恐れもある。いろんな会社、コミュニティをやってきてそれをある日手放す動機にもなった負のエネルギーがまだ残ってる。

五流のメロドラマみたいだけど、「これ以上好きになって愛してしまって、でもその先にもし別れがあるなら、自分からいなくなってしまえばいい。」というやつ。これが俺の中にマジで残ってる。


かけがえのないものが増えること、それを失うことがすごく怖い。これは俺の人生のテーマで、両親というかけがえのないものを早くに失った反動からきてることは十分にわかってる。


あらゆるシーンで何度も確認してきた。本当に愛されてるか、必要とされてるか、俺が創ったものでみんなが喜んでいるか。

そしてもうそんな自分に嫌氣がさした。「確認の世界」から「確信の世界」へヘラヘラしながら移行したいとおもった。



愛されているの確信じゃない。
必要とされているの確信でもない。


おれは、あいつらを愛してる。おれはあいつらを信じてる。以上!
その一方通行だけでいい。

今の俺の近くにいる仲間とこれ以上、不安や恐れで付き合うことはしない。


「信じるだけ」は「不安や恐れを埋めるための行動」よりも俺にはしんどい。でも、おれはあと3ヶ月でここを軽やかに超えていく。


才能、エネルギー、天才性、不完全性を全部だす。

おれが創った世界でおれは主人公を生きる。


大切なものを大切にしてきた人生から、
大切なものを大切にしたい自分を大切にする人生への方向転換は、

俺に新しい世界をみせてくれるだろう。

おれはこの自分で講演会と、IWCと、イノセントワールドと関わっていきたい。


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