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価値ある無駄な時間

利害関係のまったくない時間。僕にとってのそれは、宝物だ。毎月か二ヶ月に1回くらい、そんな仲間たちとの時間を楽しんでいる。

その時間は毎月じゃなくていいと思ってる。2ヶ月に1回か、3ヶ月に1回か、それぞれのタイミングがあったときに集まって、何も仕事につながらない、生産性のない話をする。でもそこで生まれる何かがシゴトのエネルギーになったり、疲れている自分を癒やし、鼓舞してくれる。

昨日はそんな時間だった。その日の夕方に高校時代からの友だちで24年来の仲間から、LINEグループに「今日飲まない?」って連絡が入った。みんな40代に突入して、一人をのぞいて家族もいるし、普通の人間ならとてもじゃないけどスルーするところだと思う。

でも、おれたちは集まる。マジで意味なんてなにもないけどそれぞれのシゴトを終わらせ、集まる。そんな仲間意識の強い、奇跡的な関係に、バカばっかだなとおもうと同時に、妙に誇らしくなる。

経営者・経営者・大御所芸能人マネージャー・個人サロン経営の美容師、そんなメンツで飲んだ、昨日の5時間もまあくだらなかった。16歳のころと何も変わらない。目標に突っ走ってる人たちからすれば、無駄な時間の極みなんだろうなと思う。

でも、そんな寄り道に価値があるとぼくは思う。それを楽しめる精神的余裕が、また新しい出会いや奇跡を連れてくる。こうした時間は、彼らとだけしかやるつもりはないんだけれど、このどうしようもない無価値な時間は、実は人生の中で最高に価値のある時間だよなって思ってる。


昨日の飲みの場面場面の詳細が、死ぬ前に蘇ってくるといえば、ぜったいに蘇ってこないと思う。でも、彼らの顔は浮かぶだろうなと思う。そんな風にイメージできる仲間を大切にしたい。

24年も付き合ってると、互いにいろんな修羅場を経験する。おれは昨日、全財産が49円になるという、人生のコントを演じたし、空間設計で大成功してる仲間は、つい最近1億越えの案件を大手から受注したにもかかわらず、色々あって利益は0らしい。色々ってなんだよ笑

こういう話を笑いながらできる相手が一人でもいると、人生はずいぶん楽になる。欠けている、いびつな自分を、それでいいって受け入れることができる。シゴトになるとおそろしくできるやつになる人間がみせる、隙が好きだ。そのギャップがつながりを持続させているのかもしれないと思った。

シゴトができると言ったけど、別に人間的にいいやつからできなくていいとも思う。ただ、大人になったおれたちのメインはシゴトだから、その話や感性や思いがまったく合わないのは互いにいらない気遣いをしてしまうことにつながる。だからシゴトの話もまたフラットにできる仲間として互いにいられるように、ベースの生きかた、働きかたをアップデートしていく意識は大事だと思う。

今日は朝から五連チャンで人と会う。人と会うことに対してネガティブになることは全くない。それは会う人がみんな好きな人か、ぶっとんでいて魅力的な人だからだろうな。

昨日は朝5時に家に帰り、2時間寝て起きた。色々準備して、note書く時間なくて満員電車の中で書いた。無事書けてよかった。

さて、いこうか。





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