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必要なのは理屈じゃねえ。信頼だ。

※画像は黒子のバスケの青峰。今日のタイトルの名言をはいた瞬間の顔(・∀・)


あれ、なんか目覚めはえー。5時台前半に起きたのは何ヶ月ぶりだろ。

昨日の刺激的な出会いのせいかな?単にやることMAXで起こされたのかはわからないけど、いつもどおり、起きてすぐこうしてnoteを書いてる。どんな状況でも体が自然と動くは最強だ。コロナだろうがパンデミックだろうが関係なく、おれの手はnoteを毎日書き続ける。


To continue is trust.

続けることが信頼だ。信頼の前には信用がある。

信用は、「過去、これだけのことをやってきた」という実績など。就職面接とか、仕事を外部に依頼するときなど、合否やお願いするかどうかは、信用で判断される。

でも、信用は、最初の入口でしか効力はないんだ。そのあとは、その人が信用できるではなく、信頼できるか。そしてその信用とは継続できる人かどうか、続けられるかどうかで決まる。

そう、続けることが信頼と書いたけど、「信頼=継続」、信頼とは、「未来の期待」なんだ。

信用は目に見える数字や物質的なものでしか判断しようがないんだよね。そしてそれがSNSのような仮想空間になるとモヤがかかって、真実かどうかもわからなくなる。

ネットの世界に13年いるけど、実績なんて角度を変えれば桁を一つ増やして見せられる。曖昧すぎて、信憑性なんてなにもない。SNS上で見える人間関係も同じで、本当は仲良くなくたって、ビジネスと割り切って付き合ってる人間なんて山程知ってる。

だから必然と、時がくれば離れてしまうのが、これまでのビジネスの在り方であり、人間関係だったと思う。

でも、もういよいよ嘘がつけない時代になってきたね。

これはものすごく感覚的な話しなんだけど、もうみんな過去の実績とかそんんなのどうでもよくなってきてるよね。それは、人付き合いを決める要素で、信用が占める割合がどんどん少なくなってきているんだと思う。

文字通り、過去は過去なんだよね。

大切なのは今この瞬間を、刹那を、チカラを抜いて、ときに全力で、自分らしく生きている。

仲間を大切にする、笑顔が素敵、ぶっとんでるけど他者に配慮できる、自分をいたわっている、仕事と遊びの区別がつかないくらいどっちも本気で楽しんでることだよね。

たとえば過去に色々あって、いつも目の前には霧がかかっているような感じがする。そんなとき、過去を癒そうとするより、今の自分を信じること。信じるためにできる最善を尽くしたほうがいい。

それって誰かに癒やされることじゃなく、自分の意思で行動で自分を癒やすってこと。なんで意識体だったぼくらが、肉体を借りて今ここに存在しているかってこと。体があるうちにできることってなんだろ?それって動きながら何かを創ること、感じること、本当は何も手にしなくても、生まれる前から完璧だったってことを思い出すってことだと思うよ。

昨日、親友の太郎さんてスーパーディレクターに、ぼくの出版前記念イベントのディレクションを任せたときのエピソードでプチ盛り上がった。

人数は70名くらいだったけど、それなりの会場で普段なら1ヶ月位前から準備するんだけど、色々トラブルもあって、当日の全体ディレクションをお願いしてた太郎さんに全体像を伝えたのが開催3日前だった。

全体像と言っても、「こんな感じー」って言っただけで、実際、他のスタッフとか顔合わせしたのは当日だったり、機材何が揃ってるかとかも本人が知ったのは当日だった。

まあ、あれは無茶振りすぎたかもだけどw、あれって信頼してるからなんだ。ポイントは信用からじゃないってこと。彼が過去2〜3000人のイベントをまわしてきたという「実績」や「実力」から安心していたわけじゃないってこと。

そうじゃなく、彼がそうしたとてつもない実績を全部手放してから、ただ一人の男として再スタートしはじめてからその日まで一緒に歩んできた中で育んできた信頼が根底にあるから。

何があっても、たとえ失敗しても彼は投げ出さない。ぼくも彼に依存していない。究極、投げ出されてもおれは彼を恨まない。それが自分の深いところにあるから。

信用でもない。当然、理屈なんかでもない。

人が人と繋がるチカラ、継続するチカラの根底にあるのがTrust. 信頼だ。



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