多重的な自分。
自分がどんな人間かって意外と自分ではわからないものです。
玉ねぎを剥いて行くように、階層化しているとも言えますし、対象に応じて多元的に少しずつ別人格として存在しているとも言えます。(←自覚の有る無しに関わらず、相手に応じて少しずつ違う人格を演じているとも言えます。)
厄介なのが、自分で無自覚に多層的・多元的な無数の演じられた私がいることを知らずに生きていることでしょう。自分がどんな存在なのか、自分が一番わかっていないと言うわけです。
ここで己を知ると言うことは、自分がそう言う複雑な顔を演じ分けている存在だといちいちわかると言うことだと思います。その事に良い悪いもあるわけではなく、ただそうであると気づき、多重的な私や多元的な私がそれぞれの文脈で何を経験しているのか・感じているのか、それを知覚するのがいわゆる気づきだと思います。
気づきながら生きて行く、でもそれは悟るとかそう言う事ではなくて、気づいて本当の希望を実は叶えて行く事にグイグイ近づいて行く事、それが意味あることのように思うのです。
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