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【毒親育ちの毒抜きの過程について】物理的距離→自身の精神的な癒しの時間→精神的距離→真の自立

こんばんは!

毒親育ちの在日コリアン
Yongheeです。

今日は子供と二人で
いつもと違う公園に
遊びに連れて行きました。

家から離れることで
気分が変わりますので
やっぱりいいですね。

日中の日差しは強いですが
心地よい風が吹いて
気持ちよかったです。

日本はまだ雪が降って
いますでしょうか?

寒い時期は特に
気が滅入りやすいので
温かくして過ごしてください。

今日はふとパソコンに向かって
こんなテーマが降ってきたので
書いてみようと思います。

私の親が毒親だと感じたのは
幼稚園の時期からでした。
(と言っても当時はそれが
 毒親と自覚できませんでしたが)

母が私に暴力を振るうように
なったことが決定的な出来事
だったと思います。

しかし、私は逃げることも
抵抗することもできずに
母のなすがままに生きて
きました。

一方の父はというと
肝心なときにはいつも不在。
私には味方なんていない。
そんなものなのだと
我慢しながら生きてきました。

時が経ち、
私が取ったのは
家出という方法。

母には告げず
秘密で部屋を借りて
妹と一緒に暮らしました。

その後、
日本を逃げ出し、
韓国、中国と遠く離れ
親とは物理的距離を取り
生きてきました。

でも、それだけじゃ
私の本当の自立にはならず
長年の間、苦しみました。

逃げても逃げても
親が追いかけてくる。
そんな感じがしていて
親からの電話があるたびに
ビクビクとしていました。

仕事がある程度安定し
自分の時間ができた
30代半ばから私は
自然と自分を癒すという
方向に向き始めました。

自己啓発本から始まり
心理学やセミナー。
カウンセリングに
コーチングなどと
本当にたくさんの
お金と時間を費やして
きたんです。

でもそれだけじゃ
一進一退状態で
何かどう変わったのかが
自分じゃ実感できなくて、
心の中ではいつになったら
自分は解放されるんだと
イラついていました。

そんな中、
私は結婚という道を
選びました。

結婚で旦那の家族の方の
家に入った私は
ある程度、毒親との距離が
グッと離れた感じがしました。

とはいえ、
精神的に親からの影響は
まだ続いていました。

それが感じられたのは
自分自身の出産や
子育ての過程ででした。

自分の母親と同じように
つい強く怒鳴ってしまったりと
母と同じような態度で
接してしまう自分が
いるんですよね。

そんな自分に
また自己嫌悪です。

そんな中、私は
産後半年ぐらいから
産後うつのような症状と
パートナーとの激しい喧嘩を
するようになりました。

あの時期は地獄でしたね。
もう二度と戻りたくない…。

何が地獄かって
自分の両親のあのずっと
嫌悪していた取っ組み合いの
喧嘩とそっくりなところが
です(涙)

そんなこともあって
私はもう今世?では
二度と子供は生まないと
決意しています(苦笑)。
(私からすれば
 あんな毒親の元で育って
 子供を一人でも育ててる
 だけでも奇跡なんです)

そんな数年前に
私に転機が訪れたのは
自分自身でその場で
瞬間的にネガティブな
感情を解放させられる
ゼロリセットに出会った
2年ほど前のことです。

今までの心理学などの
テクニックなども
学んだことはありましたが
私には合わなかったんです。

ゼロリセットを
体験して学んでから
少なくとも
2年以上は経ちますが
今でもずっと
自分自身でゼロリセットを
続けてきています。

本当に必死でした。

ゼロリセットを
繰り返したその過程で
ある変化がありました。

そうです。
「親との絶縁」という決断です。

それを後押ししてくれたのは
もちろん
ゼロリセットもありましたが
私の子供の存在も大きかった
と思います。

ゼロリセットに出会う前は
今までずっと
両親との絶縁までには
どうしても踏み切ることが
できずにいて、
ズルズルと生きてきました。

そんな自分が本当は嫌で
引きずられている自分に
潜在的な嫌悪感を
持っていたように思います。

親とは絶縁して
自分と自分の子供を
救うのだという選択をしてから
初めて自分自身に対して
自己肯定感を持てました。

人生で初めて
自分自身の味方となり、
自分の思う通りのことを
実践してあげたのです。

そこから数年の間に
誰にも邪魔されることなく
静かな時間を過ごしてきました。

その間、
私は自分の心の土地を
やっと更地にできたように
思います。

私はずっと
親から洗脳された
【親子の情】という
呪いの言葉や
文化的な暗黙の了解に
騙され続けていたんだと
改めて感じています。

今後、
親と会うのかどうかは
分かりません。
(今の時点ではノーです)

幼い頃の自分自身に聞いて
その願い通りに静かに
過ごしたいと思っています。

世間の人たちはきっと
あなたたちにこんな
心無い言葉を投げかけて
来るかもしれません。

「親なのになんで孫の顔を
 見せないの?」
「親とは和解した方がいいよ」

うちの旦那も
こんな類の言葉を言うことが
あります。

私がそんな人たちに
言い返したい言葉があります。

『毒親育ちの私たちだって
 普通の家庭のあなたたちと
 同じように
 親とは仲良くしたい
 家族仲良くしたいという
 基本的な感覚ぐらい
 持っています。

 分かりきったことを
 言わないでもらいたいし
 なぜ普通では考えられない
 絶縁という選択を
 したのかを考えてもらいたい』

こういう人に限って
平穏な幼少期を過ごした
違う世界の人たちだと
私は知っています。

でも、
彼らはこんな虐待という
別の世界があることを
知らない。

絶縁するほどの
想像を絶する生活をして
いたのだという想像力は
残念ながら持ち合わせて
いないのです。

だからそんな人たちの
どうでもいい言葉は
無視してください。

私の長く苦しい経験で
お伝えしたいことは
(何度も言ってますが)

「たとえそれが親だとしても
 苦しかったら逃げていい」

まずは自分自身の
生命を救うため
その場を離れてください。

そして自分自身を
立て直すためにも
時間を取ってください。

毒親育ちでも
幸せな居場所は創れる!

私自身の幸せを
そして毒親育ちの
あなたの幸せを
心から祈っています。

私の育った毒親との生活から
どのように海外に出たのかを
赤裸々に綴りました

ねぇ、日本を飛び出そうよ
17歳のあなたに伝えたいこと
(第6巻)

こちらから無料で
ダウンロードできます。

名称未設定のデザイン

毒親育ちのあなたと
分かち合いたい一冊です。

それではまた!!


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