見出し画像

許されないA面・許されたB面。その狭間で揺れる私とわたし①

またまた、
深夜にこんばんは!

よんよんです。

気がついたら週末ですね。

今日は子供の深夜の呼び出しが
ないことを願うばかり…。

…と願った矢先に呼び出され、
今、寝かしつけた子供の隣で
これを執筆しています。

私にとって週末は
以前、仕事をしていた時とは違い、
ウキウキするどころか
むしろ憂鬱だ。

そもそも母親業に
週末も何もあったもんじゃない
いわゆる「コンビニ営業」。

むしろ、週末の方が忙しい。

私は365日、
絶え間なく、忙しく、
トイレを我慢しながらも
子供の面倒を見てるというのに、
そんな私の目の前で、
旦那は無神経な言動をよくする。

基本、子供の面倒は見ないし、
どこに出かけようという
提案も全くしない。

提案しても難癖つけ、
行かない方向に持って行ったり
行ってもブスッとされたするから
本当に嫌になる。

休日の彼はというと、
我関せずと二階で
ゴロゴロ寝そべり携帯をいじり、
優雅に「自分のタイミングで」
庭いじりをして見たり、
自分が行きたい買い物は
一人でそそくさと出て行き、
自分の行きたいサッカーに行き、
一人、愉快に帰って来れば、
一人、優雅にお酒を飲み、
一人、のんびりと
独身の時と全く同じような感じで
自己中心的な旦那を見ると
どうしようもなくムカっ腹が立つ。

それに加えて、
数ヶ月前に始まった
コロナをきっかけに
週末に出かけようとすると
旦那は不機嫌になり、
私たちにあれこれ制限もして、
口を出すことも増え、
余計にストレスが溜まっている。

そんなこともあって、
週末は喧嘩する確率が高く、
私は週末の方が気が重い。

また、数ヶ月前からコロナが流行り、
旦那が家で仕事をしている時に
痛感したことなのだが、
旦那が家にいる時間が長いと、
おのずと私たちへの監視の目が光り、
「A面世界」の時間が増え
私はだんだんと
息苦しくなっていた。

A面世界はこうだった。

「なんでここぶつけたんだ。」
「なんで早く着替えさせないんだ
 風邪引くだろ。」
「なんで泣いてるのにあやさないんだ。」
「なんでテレビばっかり見せるんだ。」
「なんで読み聞かせさせないんだ。」
「なんで服をもっと着せないんだ。」
「なんで抱っこしないんだ。」

旦那の口から出てくるのは、
彼の幻想の中の
「完璧な母親像

それは無限に存在続ける
厳しすぎるルールたち。

そのルールに
全く当てはまらない私に、
彼は百万回の「なんで」という
小石を無差別に投げつけてくる。

そして「アドバイス」
という言葉でオブラートに包んだ
批判の言葉たち。

私は毎日、旦那から
この小石を投げつけられ、
私の心は、なかなか治らない
小さな擦り傷だらけで
いっぱいになっていた。

私は彼のこの日常的に
仕掛けてくるボディーブローで
私にじわじわと罪悪感を
埋め込んでくる。

目に見えない陰湿ないじめ。
私はそう感じている。

一番厄介なのは、
彼は自分が
この小石を投げていることに
全く気づいていないということだ。

そんな生きづらいA面世界。

そして今日の夜も、
また別のところから
いきなり小石を投げつけられた。

それは彼の両親だった。

夕飯後に旦那のご両親に
電話をかけるのは日課だ。

今日も少しだけ話をしていたが
おじいちゃん、おばあちゃんが
テレビ電話越しに
子供に話しかけている会話内容に
私は実はゾッとしていた。

「(子供が)本を読んだら
 おじーちゃん、おばーちゃんは嬉しいよ」

どこにでもある何気ない言葉。

きっと、
そう感じる人も多いかもしれない。

でも私の視点は全く違っていた。

「本を読む子は良い子」
(だから、本を読まない子は悪い子)

実はこの良い子の裏側には
「悪い子の基準」もセットで
相手に教え込んでいる。

私はそれに対する違和感を
ずっと感じていた。

旦那は両親と全く手法だった。

例えば、旦那は私に、
「子供を怪我させないあなたは良い母親」
「子供に病気をさせないあなたは良い母親」
(そもそもこんなの不可能だろ!!)

こんな幻想…
いや、妄想に近い母親像を
私に押し付けてきて、
自分は我関せず
…と高みの見物。

そして現場で怪我をしたら
私を責め立てる。

あまりにも理不尽なA面世界。

そんな無数の暗黙ルールが
彼の頭の中には存在していて、
私はそんな彼の妄想に
付き合っていられないと思ってる。

そんな理不尽なA面世界で
潜在的な生きづらさを
抱えている私…。

画像1

でも、この厳しいA面の裏側には、
B面も確かに存在していた。
(次回に続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?