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人間みたいな機械、機械みたいな人間

来てくださって、ありがとうございます。趣味の瞑想やマインドフルネスに関することとか、社会や思想、芸術的なことに関心があり、書いています。よろしくお願いいたします。


2045年問題というのをご存じですか。思想家であり、著名な技術者でもあるレイ・カーツワイル(Ray Kurzweil)が著書『シンギュラリティは近い』(The Singularity is Near)で、技術の進歩が指数関数的に進むと考え、人間の知性が機械的な知性を超越する可能性、いわゆるシンギュラリティ(技術的特異点)につながると示したことから、有名になった言葉です。

そのこともあり、AIに関する話では「2045年」がしばしば注目されます。もちろん、これらの議論は「人間」という定義も曖昧だとか、計算や記録など一部の機能であれば、ずいぶん前から機械のほうが優れていたという指摘もあります。少々乱暴な議論であることは確かですが、とにかく、人間か、機械か、というのは誰もが好きな話題です。

一方、日本の社会のほうに目を向けると、マニュアル文化、求人情報や就活のように、人間をより機械みたいにする傾向はいたるところにあるように思います。機械が人間を乗り越えるどころか、人間を機械のように。まさに、「人間みたいな機械」を開発し、「機械みたいな人間」を教育する。そのようにも感じます。人間は「スペック」で評価されがちですし、コスパ、タイパという言葉が象徴するように、近代的な合理主義は衰えることがなさそうです。これからも目指す方向は変わらないように思います。

いずれにせよ、私自身は現代の機械のように優れたスペックに恵まれていないですし、年齢で身体もガタがきてますので、旧式というか不良品に入れられそうです。はたして2045年まで「人間」でいられるのでしょうか。アップデートでもしてくれるならありがたいのですが。

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