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人文系の研究者をしていた時期もありますが今は別の道へ。コロナ禍や仕事で苦労した経験から…

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人文系の研究者をしていた時期もありますが今は別の道へ。コロナ禍や仕事で苦労した経験からウェルビーイング、心に関する記事執筆中。youtubeも同コンセプトで奮闘中。フォローお願い致します!https://bit.ly/4bD3BgH

最近の記事

言葉の難しさ

言葉を使うことが本当に難しいと感じます。これは私が年齢を重ねてきたからそう思うのか、わかりません。しかし、言葉で表現しようとしても常にズレる感じがあり、誤読・誤配を起こしている感覚があります。 ですが、見方を変えると「伝わらない」ことは、ある意味仕方がないことかもしれません。他人は分からない、理解し尽くせないということが根本的にあるからです。そして、自分自身も突き詰めれば、未知がある。自分もまた「他人」とも言えます。 伝わらないこと、誤読・誤配を繰り返しながら、世の中は回

    • 風化するスピード

      私が年齢を重ねてきたこともあるのは確かですが、明らかに人々の認識の風化のスピードが加速していると思っています。 アメリカの大統領選挙の動向を見ても、ガザとイスラエルの紛争、ウクライナ戦争の残虐行為、東日本大震災での悲惨なこと。当初は世界中で大きな注目を集めましたが、情報は新しい出来事で埋没し、人々の記憶から薄れていきます。とはいえ、速すぎるように思います。 これほどの速さで私たちは熟考できるとは思えません。メディア環境の著しい進化に、孤独は紛れるようになったかもしれません

      • 楽しむために必要なこと

        人生の楽しみを見出すことはなかなか難しいことかもしれません。 次のような例を考えてみましょう。おいしいものを食べて「おいしい」と感じるには、どんな条件が必要でしょうか? まず第一に、体調が挙げられます。健康であるからこそ、「おいしい」と感じることができるのです。十分な睡眠や規則正しい生活などがそれに関係しています。 次に、精神的な安定も重要です。心が落ち込んでいるときは、何を食べても美味しく感じないという経験があるかもしれません。食事を家族と共にすることも、その満足感を高め

        • 言いたいことが言えないこと

          私は世間でいう「いい年」ですが、こころは、恥ずかしいぐらいに不安定です。ですので、上手に振舞えず限界だと感じるまで我慢してしまう。すべてを捨てようと仕事をやめてしまった経験もあります。それは、ある種の危機回避なのかもしれませんが、我慢をしていた自分、そして、言いたいことも言えているようで言えていない自分に気付いたとき、自分が心から嫌になりました。 昨日、ロシアのプーチン批判をされていた方が亡くなったという報道を目にしたとき少し考えていました。それは言いたいことが言えないのは

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          私は政治家を批判しない

          政治家批判はエンターテイメント的な側面があり、テレビでもまた世間話の場でも人気のテーマです。 若いころは政治家を熱心に批判することがありましたが、最近あまりしなくなりました。連日報道されている政治家の問題も大きな問題でしょうが、真剣に追いかけていません。 それは単純な理由で、政治家に期待していないからです。 もし何かしてくれそうな人がいたらしっかり批判したいと思っています。

          私は政治家を批判しない

          一人で考えられない人

          新しいアイデアや視点を生み出すためには、しばしば一人で考える必要があると思います。AIの能力も確かに進化していますが、根本が過去情報の集積からか、それもやはり物足りない。そのため、何かを生み出そうとするとき、自分に向き合う時間を取ることが必要なのですが、そう言うと「それが難しい」と言われそうです。 その難しさは現代社会があまり多忙だからという見方もできます。しかし、年齢を重ねて思うことの一つですが、一人で物事を考えられない人が意外に多いように感じます。そして、他人の考えを盗

          一人で考えられない人

          時間の多様性

          私たちは時計を見て生活しています。1分、1秒という単位を誰もが同じものだと疑わないでしょう。しかし、時間も近代の産物だという指摘もあります。 このような話をするときによく指摘される実例は、ヨーロッパの話です。ヨーロッパには必ず広場があり、時計台があります。その時計を基準にして生活をしています。それはだれもが同じ時間、すなわち時間の均等性を示しています。 そのため、揺るぎないものとして考えられている「時間」ですが、時間を共有してきた歴史はそれほど長いとは言えません。社会・集

          時間の多様性

          葛藤なき人々の中で

          大学や専門学校は無数にありますが、少子化が進む中で経営は厳しいものになっています。様々なところで大学の広告を見るたびにそう感じます。最近では外国人留学生がターゲットになっているという記事をちらちらみますが、その辺は詳しくないのでまた調べて述べたいと思います。いずれにせよ、学生が「お客様」になっていて、学生もサービスを受ける感じで…なんだか諦めたくなる気分です。 私がここで「諦め」と表現したものは、大学のランキングとかレベルの高さとかというものではなく、忖度なく自由に物事を考

          葛藤なき人々の中で

          「幸せ」になろうとすると反対にしんどい

          幸せを追い求めることが負担に感じることはあります。その理由はさまざまですが、一般的には社会の期待や他人との比較、自己の達成感の欠如などが影響するのかなと思います。 そう考えると「幸せ」は「外」にある社会的のものが多分に含まれた概念と言えそうです。ですので、それを追い求めてもゴールはありません。自分自身のちょうどいい居心地のよさをまず考えます。自分自身と向き合い、自分にとって本当に大切なことは何でしょうか?自分の「内」からの声に耳を傾けることが重要です。 無理せず、自分自身

          「幸せ」になろうとすると反対にしんどい

          プライドの高い人

          わざとやっているのかなあと思うぐらい、典型的なプライドの高い人を見たことがあります。絶対に「知らない」と言わない、「すべて知っている」と振舞うのですが、ときおり、隙が見えて、私からは苦しそうに見えました。 プライドもいろいろな面があり、すべてが悪いとは思いません。成功や成果によって高まるプライドは、自信ややる気を高める効果があるからです。しかし、それのみが過剰に肥大化すると、傲慢になり他人との関係を損ないます。そのためバランスが大切だと思います。 プライドのみで固められた

          プライドの高い人

          自分第一主義

          私は「自分はダメだな」と、しばしば強く感じます。つまり、自己評価が低い傾向があるということですね。自己評価が低いと感じる場合よく指摘されるのが、幼少期に学んだ人間関係のパターンの影響です。幼少期の関係性は、大人になっても持続する傾向があるからです。 自己評価が低い人は、「私なんて」という意識が強いために、自分を大切にしてくれる人を選ぶ能力が低くなる傾向があります。むしろ相手を利用しようとする人が近寄ってきます。そして、自分を大切にしてくれる人に気づいていないこともあります

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          移動する自由

          ジョルジュ・アガンベンというイタリアの哲学者がコロナ禍の際に指摘した有名な批判があります。そのポイントは、イタリア政府の「移動の制限」についての批判でした。しかし、この指摘は、特にイタリアが多くの犠牲者を出したこともあり、多くの人々に否定的に受け止められました。 とはいえ、「移動できない」こと、それは人間の根本的な自由を奪うという指摘は、現在の私たちも考えるべき問題です。日常的に「自由」という言葉を口にしますが、私たちは「自由」なのか、移動の自由は与えられているのかとちょっ

          移動する自由

          成果までの気持ち

          新しいことを始めたり、何かを習得しようとすると、すぐに成果が出ないことによって心が折れてしまうことがあります。このような状態のことを「沈黙期間」と呼ぶこともありますが、それはだれでも経験することです。 ただ、この状況は辛いですね。とはいえ、仕方がないことでもあるので、まずはそういう時期があることを意識するだけで、少し気持ちが楽になります。そして、一喜一憂せずに、「仕方がないかな」と受け入れるが必要に思います。 ただし、無理をして続けることもよくありません。自分自身が辛いで

          成果までの気持ち

          言葉は情報交換ツール?

          テレビやネット界隈では、議論がエンターテインメントになっています。論破することがもてはやされています。SNSでも無名をいいことに誹謗中傷が後を絶ちません。 昔から言葉は武器になるという言い方がされます。攻撃力があり、社会を変えることもあり、また人を傷つけることもあり。とはいえ、これほどの威力を持つという認識が多くの人にあまり共有されていません。 その認識を支えている一つの理由は、言葉が情報交換ツールだという認識ではないかと思います。いわゆる、ただの記号のような認識ですね。

          言葉は情報交換ツール?

          焚き火の癒し

          私は昔から焚き火にひかれます。映画などでも、洞窟のシーンや川辺で焚火をして暖をとるのをよく見ます。実際にそうなると大変ですが、サバイバル中の癒しのひとときみたいな感じで。焚き火を囲んで主人公の身の上話をするみたいなシーンよくありますね。癒され、そして心を開く場としてのシンボルみたいなものでしょうか? 焚き火には、炎や音の癒やし効果があると言われています。ある調査によれば、焚き火の炎や音には「1/fゆらぎ」と呼ばれる特別なリズムがあり、これが人間の脳をリラックスさせるそうです

          焚き火の癒し

          何を頑張る?

          あたかも慣用句かのように、会話の最後に「がんばってください」という人は少なくありません。とにかく日本人は「がんばる」という言葉が好きで、その意味とは別に、気軽に使っています。変な習慣です。 この言葉は、向上心、あるいは競争心を煽るものです。とはいえ、みんなすでに「がんばっています」から、これ以上何を頑張るのでしょうか、とも思います。むしろ過剰な向上心や競争で、社会が疲弊しているのではないでしょうか。 頑張る姿は対外的に美しく映るのですが、本人が無理していては意味がない。他

          何を頑張る?