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自殺した人の命を奪ったのは誰か(何か)?

有名人や芸能人の訃報、自殺の報道に、あるいは友人や知人が自ら命を絶ってしまったために、ショックや悲しみを覚えている方も、そうでない方も。

表題に「自殺した人の命を奪ったのは誰か(何か)?」と書きましたが、これは犯人探しをしたくて書いたのではありません。

私たちが自分ごととして、自ら命を絶つ人がいるのは、社会に関わるすべての人がほんのちょっぴりずつ関わっていることなんだと。

責任を背負い込む必要はありませんが、決して他人事にしないことが第一歩だと思い、これを書かせていただきました。

日本の子ども・若者の死因トップが自殺という現実

年齢の区別をつけなければ、現代の日本での死因トップ3は、悪性新生物(24.6%)、心疾患(14.8%)、老衰(11.4%)だそうです。

一方、年齢別の統計を見てみると、結果は全く違いました。

男性は10代〜40代前半の、
女性は10代〜30代前半の死因のトップが、自殺。

死因を2位まで含めると、
男性は40代後半まで、
女性は50代前半までが、自殺が占めています。

2022年の小中高生の自殺者数は514人。
これは1980年に統計を取り始めてから、過去最多だそうです。

(厚労省「令和4年 人口動態統計月報年計の概況」の「死亡数・死亡率(人口10万対),性・年齢(5歳階級)・死因順位別 」より)

「死んではいけない」なんて、本人が一番わかっている

自ら命を絶ってしまうに至る理由は、人それぞれにあることでしょう。

私は過去に「死にたい」という相談を、小中高生から受けたことがありましたが、その時に痛感したのは、無力さでした。

「自殺はいけない」「死んではいけない」という言葉は、悩み苦しんでいる本人には、しょせん他人事の正論でしかない。

どんなに気持ちを込めて伝えても「死んじゃダメだ」は届かない。
そう思い知らされました。

なぜなら、死んじゃいけないことは「死にたい」と言う本人が一番わかっているから。

本当は生きたい。
死んではいけない。
死んだら悲しむ人がいる。

そんなことはわかっているのです。

だけど、だからといって、死ぬほどの苦しみが今すぐ無くなりはしない。

どのみち、生きていてもしょうがない。
自分は生きている資格がない。
この世から、いなくなってしまったほうがいい。
生きるのに疲れてしまった。
何もかも、もうイヤになってしまった。
これ以上生きていても、不幸しか待っていない気がする。
この世界で生きていても、幸せになれる気がしない…と。

本来「生きたい」という生存欲求は、人間が動物だった頃から持っている、強い本能です。

その生存本能をも上書きする勢いで「死にたい」という欲求が出てくるのは、普通のことではありません。

自殺願望がある人がおかしいと言いたいのではなく、そこまで一人の人を追い込んでいる、この状況が異常なのです。

自殺は「社会と個人の戦争」

情報元を紛失してしまったのですが、「戦争中は自殺者が減る」というのを目にしたことがありました。

これは裏を返せば、「戦争がない社会では自殺者が増える」ともとれます。

私はこれを聞いたとき、自殺とは表立って争わないテイだが、実は社会と個人の戦争ではないか?と考えるようになりました。

争う相手が、違う国や部族の人間ではなく、自国の国民になってしまっている状態です。

家庭、習い事、学校、部活、会社といった組織、小さな社会から、市町村、都道府県、国といった大きな社会まで。

これらの大なり小なりの社会、その人にとって大切なコミュニティが、
私たちを否定してくるとき、
愚弄してくるとき、
屈辱を与えてくるとき、
軽んじてくるとき、
悪人呼ばわりしてくるとき、

私たちは、心の拠り所の失い、人間関係の拠り所を失い、生きていく動機や意欲を失っていってしまいます。

「なにくそ!」と、たった一人の人間が、社会に勝つことは難しいでしょう。

実際、SNSでは、一人の人を大勢の人たちがよってたかって罵り、言葉で責め立て、炎上しています。

これも、社会が一人の人間を攻撃している状況。

まるで社会と人間の戦争と言わずして、なんと言いましょうか。

「あいつさえいなければ」

将来を担う若者たちを自殺に追い込む社会は、未来を否定しているのと同じ。

悲しいという感情を抜きにしても、社会にとっても、私たちにとっても、めぐりめぐって大きな損失のはずです。

もちろん、社会が一人の人間を直接手にかけることはありません。

本人に腹を切らせて、この社会は何もなかったかのように今日も明日も回っていきます。

あたかも、自殺した本人が勝手にやったことで、自己責任だとでも言わんばかりに。

そうやって他人事で考える人がいる限り、社会が一人の人間を殺す時代が終わることはないでしょう。

「あいつさえいなければ」と考える人がいなくならない限り。

SNSの炎上のように、言葉で他人の尊厳を奪う人がいる限り、自殺者が減ることはないでしょう。

そのうち、次に社会から否定されるのは、あなたの番かもしれないし、私の番かもしれません。

そんな社会は、世の中は、もうまっぴらです。

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