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境界線とは何か?

こんばんは、ジョティです。
ゴールデンウィークは、いかがお過ごしですか?

ゴールデンウィークになるといつも思い出すのが、ゴールデンウィーク中の次男の出産と、出産前日の長男と過ごしたなんとも満たされたひとときです。

普段おんぶなんてせがまない息子が、急におんぶ〜って言ってきて、背中に息子のぬくもりを感じながら2人きりの優しい時間を過ごしたことが、今でも懐かしく思いだされます。
その翌日に陣痛が来て、しばらくおんぶしたり遊んだり十分にしてやれなくなったから、
あの時おぶってやれたことが、母として本当に嬉しかったんだと思います。

さて、
しばらく心の構造などについて
自由に書いてきましたが、

今月からはコミュニティに特に関連すること、特に境界線について書いていこうと思っています。

境界線という概念


あなたは境界線と聞いてどんなことを思い浮かべますか?

県境
国境
など土地の境界や

他にも、
庭の芝生エリアと畑エリアを分ける柵とか、
行き先を分ける看板とか、
家と家、部屋と部屋の間の壁とか、
色々あると思います。

さまざまな境界の境目のことを一般的に境界線と呼びますが、
外見はさまざまでも、「ここからここまでがそれ、ここから先はそれ以外」
何かを明らかに仕切るものです。

そして、これは人と人の間にもいろんな境界線として存在しています。

心の境界線


心の境界線とは、「わたし」と「わたしでないもの」を区別します。
目には見えませんが、
私たちは境界線で他人と自分を分けています。

そして、それは呼吸のように自然に起こっていることなので、
本人は無自覚であることがほとんどです。

もしも、
この境界線が曖昧だったとしたらどうなるでしょう?

私たちはどこからどこまでが私なのかわかりません。
どこまでが自分で、どこからがそれ以外なのかわからないということは、
自分自身の所在についても、曖昧ということです。

そして、意外にも、私たちはこの状態でいることが普通だったりします。


境界線は私にとっても長年の大きなテーマでした。
境界線にまつわるいろんな失敗を散々やってきたひとりでもありますε-(´∀`; )
どこに私の責任があって、
どこまで私なのか、何もわからない。
境界線が曖昧なことで、人間関係のあらゆる苦しみがやってきました。

長くなるので端折りますが、近いうちに、
境界線がない人がどんな日常を送っているのか、
私の体験談からストーリー風に書いてみようと思います。

あなたはNOと言えますか?


心の境界線の曖昧さが一番浮き彫りになるのは、
相手にNOを伝える時だと私は感じています。


いつも人に合わせて疲れたり、
相手の要求を受け取るのが気持ち良くない時、
自分と相手の責任の範囲について明確でない時、
あるいは、好きな相手といて楽しかったはずなのに、
帰ると疲れ切っている時や、時にはエネルギー取られたように感じてしまう時も、

実は、私たちの境界線は正しく機能していません。

境界線が曖昧な日本人


境界線という概念は、日本人にとってはあまり馴染みがないものかもしれません。
日本人は他の国の人に比べて境界線に対する意識が薄いように感じます。
島国であること、単一民族であること、
ムラ社会であることがこれに深く関わっているように思います。

この境界線の曖昧さは、
あらゆる人間関係の根底に潜んでいます。

そして、私たちに健康的な境界線がないことで、
私たちが個人として幸せを感じながら
自分らしい人生を送るということを難しくしています。

境界線を知って、新しい自分になる


境界線についてのテーマは私たち日本人全体の課題とも言えます。

ですが、私たちが一度でもこの概念を深く理解し
それを踏まえて自分のあり方を見つめ、
そして世界に向かう時、
これまでどうしようもなかった苦しみの関係性から脱することができます。

健康的な境界線が育つ時、
私たちが個人としての幸せ、自分らしい人生へと虹の架け橋が通ります。

境界線について知って本当の幸せを獲得する人たちが増えるように。
心から祈っています。


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