台湾ミステリの一年・2019

※ "台湾ミステリ"とは冠したものの、台湾で執筆・発表されたミステリを中心に、実際には香港などを含む、要するに大陸以外の華文ミステリ("華文" はいわゆる "中国語" 自体を指す)事情全般を扱う。取り上げた情報は通販サイト「博客來」や、台湾推理作家協会のFacebookページ(https://www.facebook.com/taiwanmystery)、非英語圏ミステリ研究家の松川良宏氏のツイート(https://twitter.com/Colorless_Ideas)を大いに参考にした。以下敬称はすべて略す。

二つの公募賞

 台湾におけるおもなミステリの賞として、長篇を対象とする島田荘司推理小説賞(以下 "島田賞")と短篇を対象とする台湾推理作家協会賞がある(どちらも公募賞)。島田賞は隔年の開催で、2019年は2つの賞の結果がともに発表される年となった。

 島田賞は例年、最終候補作3作が皇冠文化から大賞の発表前に公刊される。9月28日に発表された受賞作は、台湾の唐嘉邦『野球倶樂部事件』が選ばれた。松本清張に範を取った筆致で、1938年、日本統治下の台湾を舞台に、野球好きの名士の集まりのメンバー二人が同じ晩に別の列車内で殺された事件を、内地人と本島(台湾)人の刑事が捜査していく。
 最終候補の弋蘭『無無明』は、解体された少女の死体が六ヵ所で発見されるインパクトの大きい発端から、過去の事件に遡って調査が進む。作者は台湾出身で、以前にも台湾推理作家協会賞と島田賞の最終候補に残った経験がある。もう一つの最終候補、柏菲思『強弱』はいじめがテーマになったダークな青春ミステリ。香港出身の作者はすでに香港、台湾、日本(日本語で執筆)で作品を発表している。

 候補作のさらに詳しい情報については、一次選考を通過した作品群の内容が、ブログ「taipeimonochrome」で紹介されている(http://blog.taipeimonochrome.com/%e5%b3%b6%e7%94%b0%e8%8d%98%e5%8f%b8%e6%8e%a8%e7%90%86%e5%b0%8f%e8%aa%ac%e8%b3%9e)。受賞作を含む最終候補作品については筆者もTwitterで紹介している(https://twilog.org/inmrbng/month-1909)。
 授賞式の模様や、受賞作発表後に行われた、予選選考委員の一人である玉田誠と島田荘司との対談の模様はYouTubeで公開されている。「21世紀本格」をテーマにした島田・玉田対談の内容は記事としても発表された。
https://www.youtube.com/watch?v=rvCnPps2_3M
https://www.youtube.com/watch?v=YZ30tMsNc9I
http://paratext.hk/?p=2342&fbclid=IwAR1zZbraC8ue33qA7pqVNbhlEf9jnoH1Sw9dalNO7_sweLaUj28V1rqPNX8
 作品募集時に提示された通り、一次選考通過以上の作者にはそれぞれ賞金が贈られ、また最終候補に残った三人には「華文推理作家培育計畫」の名で、出版補助あるいは創作のための支援金が提供される。

 短篇の公募賞である台湾推理作家協会賞は、例年7月末ごろに結果が発表されるが、2019年は島田賞の一週間前、9月21日の結果発表となった。「海洋裡的密室」で受賞した王元はマレーシアの華文作家で、現地で児童文学を中心に多くの作品を出版している。マレーシアで執筆された華文文学(馬華文学)は台湾の小説出版において長く一分野をなしているが、2018年の牛小流『藥師偵探事件簿』に続きミステリでも台湾への進出が進みはじめたと言えそうだ。
 最終候補作5作はアンソロジー『和騎士度過的那一夜』(博識圖書)として大賞発表前に刊行されている。今回の結果で特徴的なのは、最終候補に残った5人のうち王元と台湾の八千子を除く余索重慶月經詩人吳非の3人が大陸在住であることだろう。以前から応募者の資格を限定していなかったにもかかわらず大陸の作家の最終候補入りは2018年の王稼駿が初めてだったことを思えば、これは目立つ変化だった。明確な理由を特定するのは難しいだろうが、短篇の発表の場となっていた大陸のミステリ雑誌が2018年末にすべて電子版へ移行したことが頭をよぎる。ちなみに吳非はアメリカのEllery Queen's Mystery Magazine誌に短篇の掲載が決定しているということだが(http://honyakumystery.jp/13219)、掲載作は今回最終候補作となった「和騎士度過的那一夜」と思われる。

香港ミステリ

『13・67』のヒットで香港の代表的ミステリ作家として名が知れ渡った陳浩基は、公募作を除いた商業出版デビューから2019年で10年目を迎え、記念作としてこれまでの短篇の大部分を集成した『第歐根尼變奏曲』を出版。4月には『ディオゲネス変奏曲』(早川書房)として拙訳で日本語訳も刊行、各ミステリランキングにランクインした。最初の商業出版作である「ジャックと豆の木殺人事件」も日本語訳されている(玉田誠訳、『オール讀物』2019年8月号)。
 陳浩基の作品は出版の市場規模の大きい台湾での発表が主だったが、『13・67』の文章の細部を変更した香港版が2018年に刊行されたのに続き、『第歐根尼變奏曲』は、島田賞受賞からほとんどの作品を出版している台湾の皇冠文化と、香港の出版社、格子盒作室から同時に刊行された。出版の段階まで含めた「香港ミステリ」を意識した動きは、エンターテインメント小説を主に出版している星夜出版の刊行した『偵探冰室──香港推理小說合集』にも表れている。島田賞受賞者の陳浩基文善黑貓C、全球華語科幻星雲賞受賞作家の譚劍、星夜出版から継続的に作品を刊行している望日、台湾推理作家協会賞の最終候補入りの経験がある冒業といった香港出身の作家を集めたミステリのアンソロジーで、それだけなら科華圖書出版公司が2000年代に刊行していた『香港最佳推理小說選』という先例もあるが、『偵探冰室』は全篇書下ろしで、それぞれ香港の事物をテーマとして取り上げる意欲的な企画だった。なおこのアンソロジーの刊行は7月、望日の前書きは6月中旬以降に書かれており、企画はさらに以前から進行していたという。
 応募資格を香港・マカオ居住者に限った新人賞として、天行者出版の天行小說賞がある。陳浩基などを審査員に迎え、エンターテインメント全般を対象にした同賞、2019年の第三回受賞作は恋愛小説の瀰霜『黃昏交會的A.M.與P.M.』だったが、第一回の優秀作が遅れて刊行された嚴邊『死亡入境處』はファンタジックな設定によるミステリだった。

台湾ミステリの刊行

 前述の『ディオゲネス変奏曲』「ジャックと豆の木殺人事件」を含め、2019年も華文ミステリの日本語訳は続けられたが、残念ながら台湾ミステリの日本での紹介はなかった。あえて探すとすると、2018年刊行の『惑郷の人』に続いて訳された郭強生「罪人」(西村正男訳、『植民地文化研究』18号所収)や、陳明仁「番婆殺人事件」(酒井亨訳、『台湾語で歌え日本の歌』所収)のように、創作ジャンルを定めずに紹介されている作品や、何敬堯、臺北地方異聞工作室(瀟湘神、NL、小波)、曲辰が寄稿した『怪と幽』vol.003「特集:妖怪天国 台湾」のように隣接ジャンルに例を求めることになるだろう。

 そんなこととは無関係に、台湾現地での刊行は盛況が続いている。要有光(秀威資訊)から出版された既存シリーズの新作は、牧童『山怪魔鴞』が法廷ミステリ「文石律師」シリーズの初めての短篇集、唐墨『清藏住持時代推理:林投冤・桃花劫』が日本統治時代を舞台に本土出身の僧侶と台湾出身のコンビが謎を解くシリーズ初の長篇、青稞『死愿塔』は大陸の本格ミステリ作家による陳默思シリーズの初出長篇。
 シリーズ作以外では、人間の弱さの書き込みが冴え渡る島田賞作家のノンシリーズ短篇集の胡杰『去問貓咪吧』、ベテランの新シリーズでサンフランシスコの華人留学生を主人公にした葉桑『窗簾後的眼睛』、新鋭のデビュー作に続く青春ミステリの八千子『我的青春絞死了貓』、秀威資訊傘下の釀出版からライトノベル/ジュブナイルを複数刊行している作者による海德薇『消逝月河之歌』、台中に「切り裂きジャック」を名乗る殺人鬼が跋扈する「衝撃の問題作」の胡仲凱『似罪非罪』
 これまでの要有光の刊行作は新人のデビューや他ジャンルからの進出も多かったが2019年はやや落ち着き、四つの視点を平行させながら衒学を絡めて戦中まで時間軸が広がっていく公孫一堂『公孫堂探案:羽化之韜』のほかは、財閥の跡取りとしてグループ企業を取り仕切る主人公が何度も巻き戻る時間のなかで惨劇を阻止しようとする有馬二『溯迴之魔女』、山中の屋敷を舞台に外連味あふれる犯行現場が登場する叩叩『七鐘湮滅・騎士之死』とどちらも島田賞一次選考通過作の書籍化ということになる。

 ネット小説プラットフォームから出版、版権事業まで一手に担う鏡文學からの刊行も好調。ただしどれも、ネット上での人気作が書籍化されるという流れではなかった。無差別殺人を題材にしその「社会性」が評価されている舟動『無恨意殺人法』、作者の得意とするSFミステリで、寿命が短いと判定された人間は生きることを許されない世界を描く游善鈞『完美人類』は、どちらもキャリアのある作家による作品で書籍が初出。大金の行方を巡って裏社会で繰り広げられるドタバタを描く灰階『搶錯錢』は、2018年に開催された鏡文學影視長篇小説大賞で審査員賞を受けた作品。柯映安『死了一個娛樂女記者之後』はタイトル通りゴシップ誌の記者の死から報道業界の内情に迫っていく作品で、作者はこれまで脚本家として活動しており、鏡文學の企画に応えて書きあげられた本作が小説デビュー作となる。
 2019年には陳雪、駱以軍といった有名作家も鏡文學から新作を出版しており、鏡文學の存在感は増している。その陳雪『無父之城』は2015年の『摩天大樓』に続いてミステリのプロットを採用し、失踪人探しを起点に話が展開していく。

 ミステリと関連の深い出版社としては他に尖端出版皇冠文化が挙げられる。尖端出版からは、特異な推理法の探偵が登場するシリーズの最終作となる小鹿『推理要在殺人後3』、作者の専攻である法医学と民俗的要素を取りいれた八千子『地火明疑:少女撿骨師系列1』が刊行。
 島田賞の共催元である皇冠文化からは、前述の島田賞最終候補作や陳浩基『第歐根尼變奏曲』にくわえて、子供を国家が育てる平行世界に主人公が迷いこむ文善『輝夜姬計畫』が刊行された。また同社の『皇冠』雑誌はミステリに特化しているわけではないが2018年ごろからミステリに関連する企画や作品掲載が徐々に増えており、総じて枚数は少ないものの短篇ミステリの貴重な発表媒体となっている。第778期(2018年12月)に文善「逆向大盜」、第781期(2019年3月)に文善「新鮮人的煩惱」、第782期(2019年4月)に臥斧「吾父之罪」、第783期(2019年5月)に提子墨「須臾羅預之屋」李柏青「怕過生日的男人」、第788期(2019年10月)に八千子「掃墓人」が掲載。 第789期(2019年11月)の特別企画「消失的那個女人」は臥斧、胡仲凱、寵物先生、葉桑が寄稿する実質的なミステリ競作だった。

 他の出版社からの作品についても。主兒『螢火蟲效應』(城邦印書館)は殺された母親をタイムスリップして救おうとする男の物語。寵物先生や、元台湾推理作家協会会長の杜鵑窩人などが推薦文を寄せている。鄧湘全『判罪:八張傳票背後的人性糾結』(時報出版)は弁護士が本業の作者による短篇集で、フェルディナント・フォン・シーラッハが引き合いに出されている。施又熙『寒淵』(斑馬線文庫)は妻子を殺した犯人を弁護することになる主人公の苦悩を描く。版権エージェントや翻訳出版を主に行っている馬可孛羅の「料理×推理」企画からは張國立『炒飯狙擊手』臥斧『螞蟻上樹』が刊行され、前者はクライムノベル寄りで後者は謎解き寄りだがどちらも料理人が主人公。鄭華娟『愛的連鎖殺意』(圓神)は歌手として世に出、エッセイスト/作家として活動する作者による初めてのミステリ。『在睡醒之前解決謎團:《I-V》』(長鴻)は厄介な探偵事務所所長とアルバイトの男子高校生のコンビ(とオウム)が活躍する「軽推理小説」のシリーズで、1月から8月にかけ4巻を刊行して完結した。
 寵物先生の5年ぶりの単著長篇『鎮山:罪之眼』(東立)はアプリゲーム「鎮山」の小説企画で、ゲームの後日談にあたり、大学の自習室で起きた密室殺人に主人公たちが挑む。寵物先生は児童書レーベルから刊行された動物ミステリの書き下ろしアンソロジー『動物星球偵探事件簿』(麥田)にも作品を寄せていた。第一回島田賞受賞者である寵物先生の実力は疑いのないところで、今後作品発表が増えることを期待したい。