私が来てからやった改革について

私はこの施設に赴任したのは平成31年1月からでした。

ムダばかりがはこびってました。

まず取り掛かったのは介護ソフト使っての個人のケース記録の管理。これなら介護ソフトに入力するだけでプリントアウトしてファイリングしたら楽です。紙の記録みたいに誰々が記録していないから閉じられない。なんてムダがなくなります。

次に生活残業(グダグダ残って小遣い稼ぎに残業代請求する行為)をなくすべく、薬も知人の薬剤師に頼んで全て一包化。これで薬を刻んでチャック付きの小袋に入れるという意味のわからない業務を廃止することに成功しました。さらには誤薬の事故をゼロにすることにもつながりました。
さらには休みの日に利用者へのプレゼント買いに行ってきたから残業代ください。も無しにしました。これで月間10万円近く経費を抑えました。
ムダに施設にいたらアテにされるしストレスの元になります。仕事が終わったらじゃあサヨウナラ。でいいのです。福祉である以上に労働者なんですから。

よく高齢者に不適切な事して動画残していたりしてるバイトテロ。介護にもあります。一番いいのはバイト入れるな。なんですが、アホでも使いこなさないといけません。バイトに如何にストレスかけないか。これが肝要であると思うのです。

また、地域に密着できていないという弱みもありました。それは政治家同士の闘争で敗れ、会社が地域から忌み子扱いされていたのでそれに溶け込もう。と決意をしました。

具体的には地域の議員と組んで町内パトロール隊に参加。大きいお店より地域の商店街を利用。私自身も買い物や理容も行きよるところから町内の商店街に変えました。地元に溶け込もうとするならばそれくらいしなければなりません。

そしてアホだけど無害な福祉の仕事しているオッさん。これを地域に定着させました。

これは成功したようで、介護相談や入居相談など受けられるようになってきました。

正直行政主体の相談所や施設や事業所に直接足を運んでみるのって敷居が高いです。そこにいる人が福祉の人。変わった人だけどいつもそこにいるなら話してみよう。そう思われるようにならねばなりません。いうちゃ悪いけど包括支援センターはポエムセンターですから(苦笑)

脳卒中で倒れてからも『コイツのいる法人になら任せてみよう』という問い合わせや入居に至る報告を受けました。しかしそれは俺の後釜のケアマネの手柄にされてしまいました。

やはり嬉しいですよ。人間を見てくれてコイツに任せようと思ってもらえるのは。

あの時脳卒中で倒れてなければ、ヤバい町の権力者のNJにも接近することができていたはずでした。つくづく惜しまれるのは脳卒中です。


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