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居場所があるから社会で自由になれる


「占星学コンサルタント」の立場から

「占星学」は「星占い」ではない

占星術にハマり、独学で勉強を始めてから私の中で占星術は「占星学」という位置づけになりました。「心理学」と同様に、深い学問であるととらえているからです。

神秘学、宇宙学、天文学、といった深い理論と関係があるものなのに、なぜか占星術は「占い」という、軽い呼び方で日本に輸入されてきた…と、私は思っているんです。
正しくは、「占星学」の理論を使って「占い」という軽いノリで見せている。雑誌にそれが掲載され、人気になったので「星占い」として広まった、ということだと思います。

私自身、「占い」といったものに興味が持てないのは、太陽星座だけで運勢を言い当てることなんてできるはずもないし、それこそ軽すぎる~って思うからです(苦笑)。

ということで、冒頭、辛口から入りましたが、今日は人にとって根幹的なこと、一番大事なこと、といってもよい「居場所」について語っていこうと思います。

居場所があるから自由になれる

居場所は、マズロー心理学的に言えば「所属と愛の欲求」というテーマと言えます。
有名な「マズローの欲求5段階説」ですが、これは人生を語る上で非常に役に立つ概論です。人を見る時に大変役に立ちます。
とかく、現代は、この3段階目をすっ飛ばして、承認欲求ばかりを求めがちですが、3段階目の基盤がしっかりしていない場合の承認欲求の求め方は、なぜか不愉快に感じます。SNSでまるで垂れ流しのように日々、目に入ってくる広告と何ら変わりがありません。

人間ですから、当然「誰かに認められたい」という欲求は自然なものです。ところが、これがごく自然に受け取れる場合と、不愉快に感じられる場合があるのです。その違いはなぜなのか、どこに基因するのか…と思っていたのですが、私なりに一つの結論を得ました。それが、上記、3段階目の「所属と愛の欲求」の段階をしっかり経ているか、満たしているか、というところにあります。

この部分を満たせずに、承認欲求を求めると、その表現には欠乏感を満たすための何らかの意図が生じるようになります。例えば、SNSなどで自分の存在意義を確かめるような投稿が目立つようになります。居場所は「他者と深く関わる」ことと密接な関係があります。
そこに深くコミットせずに次の段階へ進もうとすると、どこかにひずみが生じるのだと思うのです。

IC___こころの拠り所

占星学的に言えば、この「居場所」というのは、家庭、家を表す第4ハウスであり、IC(イマムコエリ)という感受点になります。
このICは「居場所」、そして、「こころの拠り所」といった意味を持ちます。人生は、生まれてから幼少時代を経ていずれ社会で何らかの活動、表現をする旅であると言えます。母体にいる時に完全に守られている状態だった私たちは、この現実に生まれる時、大きな苦痛を味わいます。何もかもが与えられていた完全な世界から、泣くことしかできない赤ん坊として誕生します。
不足感を解消していく旅路において、「居場所・こころの拠り所」をしっかり確保している人は安定しています。過度に他人に承認欲求を求めるようなことなく、自分のすべきこと、仕事をまっとうする、というごく当たり前の姿勢が自然体に見えるのです。

私の心の拠り所___ICは全ての基盤

「占星学」では、10の惑星を使ってその方の人生や個性などを読み取っていきます。
往々にして、「私の才能を生かすためには」といったところに意識が向きがちです。才能は「太陽」が表していますが、太陽は、そこへ向かっていくという強い意識が必要で、受動的に与えられた特質ではないのですね。
(星占いではその辺りが勘違いのように思います)。
才能を開花する、その大前提として「基盤」というものが非常に重要であると考えます。
こころの拠り所___そこでは100%自分自身の存在が肯定される居場所
それがICと考えますと、非常に重要だと思うのです。

外側からでは最もわかりにくいのがICとも言えます。どちらかといえば、人生の後半に意識されるもので、最後に帰って行く場所、という意味で捉えると「月」の要素とも深く関わりがあるような気がします。
また、内面を深く見つめる時にもICが大事なポイントになります。
常に心が不安定になりやすいタイプの人は、ICという感受点を見つめなおしてみると、どうやらヒントが得られるのではないのかと思います。

自分自身のICでわかったこと

故郷へのノスタルジーが強い…これは私自身のパーソナリティの中に根強くあるものです。
人生とは成長と自立へ向かう旅である___これはまさしくその通りで、人は生まれてから早いか遅いかの違いはあれど、自立へと向かうのです。
自立へ向かう旅の途上で、一旦、多くの人は故郷を離れるのでしょう。もちろん、ずっと生まれた土地から離れないという人生もあります。

私自身のことを振り返れば、自立の最初のステップは留学でした。初めて家を離れて1年間という時期を海外で過ごしたことは、自身の自立に大きく役立ちました。
それまでは、あまり一人で行動する事はなかったのですが、その後は一人でどこへでも出かけるようになりました。一人で行動する心地よさを知ったことで世界は確かに広がりました。

次のステップは一人暮らしの時です。日常という現実の生活の中で、こまごまとした生活の全てを一人で行わなければならない、そのことで否応なしに人は成長します。

誰もがお金の苦労はすることなく、そこそこ健康で、仕事を楽しみながら人生を送りたい…と思っているでしょう。大きな転落や挫折を望んでいる人なんていないはずです。
ところが、人生には必ず落とし穴があります。自分のしたことがダイレクトに失敗として返ってくるならわかりやすいですが、そう単純なことではなく、何年もの間スムーズだったのにいきなりどん底を経験する、といったことが起こりえます。

こうしたことは、究極のところ、必然として起こっているんですね。なぜ、私がこんな目に合わなければならないの…と思う時こそ、実は成長する時期であり、大きく自身が変化するチャンスでもあるのです。それが成長のためにはどうしても必要だったという必然性です。

自立していく旅の途上では、つらい別れや哀しみにも耐えていかなければなりません。仏教用語では「愛別離苦」と表現されます。
辛いですね。個人的にも、愛する人との別れというものは人生で最もつらいものだと感じています。

中学時代の同級生と数十年ぶりに___
時間が一気に飛んで青春時代に還った!

私の友人の中には、「故郷には全く興味がない、帰りたくない」と言う人もいます。身近な人の中に、家族との縁が切れている人もいます。
あぁ、私には考えられないな…と、今は強く思います。

ICは、晩年に強く意識される、と思うのは私自身の感覚です。
なぜならば、成長していく過程では、一度、家族の存在や故郷に別れを告げる時期が必要だったと強固に思うからです。
結婚することもそうした過程の中での必然であり、「父の娘」から「夫と妻」という役割に変ることでしか学べないことがあるわけです。

私にとっての「IC__こころの拠り所」は故郷と強い関連性がありました。
古くからの伝統、子供の頃からの習慣、信頼するパートナーのいる処。それらが私にとっての「居場所」であることが今はとても理解できます。

居場所があるから社会で自由になれる

私は現在、「パーソナルデザイン」+「パーソナルアクション®」というツールを使って、コンサルティングやカウンセリングを行っています。➡
2024年2月に湘南・辻堂へ移住するにあたり、「占星学コンサルタント」としての活動と、執筆活動をメインにしていこうと考えています。

基底のあるICの正反対の星座___それがMCです。社会的なゴールや仕事上の肩書、などと呼ばれているものです。人は_Asc(アセンダント)でこの地球で生きていく器、ひな形、ペルソナというものを身に付けて成長を続けていきます。
太陽星座としての内部エネルギー、湧き上がる情熱、才能を生かしてMCへと進んでいく。幼少期には家庭が居場所であることが望ましいのはもちろんですが、大人になってからも、幾度か訪れるであろう課題、試練に立ち向かっていくためには、誰しも「居場所」が必要です。
「蟹座」__「山羊座」のラインは、家庭と社会という場は違いますが、根本的には同じテーマを表しています。それが「居場所」です。

幼い頃から、家が欲しいという気持ちを持ったことはなく、世界を飛び回りたいという願望の強い性質でした。
物理的な象徴としての「家」ではなく、心の拠り所として「居場所」を強く求める性質だったのだなぁ…と思います。

大きく人生が飛躍した時に、私にとって「こころの拠り所」は父性を感じさせる厳しくもあり人生の師となる人の存在でした。
その人がいなかったら、私は社会での居場所を理想的な形で創ることができませんでした。
厳しかった…しかし、甘えさせてもらった。そんな師としての存在に出会えたことには感謝しかありません。

人は自由を求めます。日本にいると当たりまえ過ぎて気づけないところがありますが、世界では自由を大きく制限される国がたくさんあります。
好きな場所へ行ける自由、好きな仕事を選べる自由、好きな人と繋がれる自由、好きな人と一緒に暮らせる自由、好きなことを語ることのできる自由。
引きこもるのも、社会へ羽ばたくのも自由です。

居場所をしっかり確保している人、そこに意識を持っている人が好きです。側にいると心地よさを感じられます。安心感があるのです。生きていることがまるで息をする様に普通のことになっている。

若い人ががむしゃらに行動したり、エネルギーを発散している姿はごく自然なもので微笑ましかったりしますが、○○トーク!などというのが本来おかしいような、十分な大人が、自分探しの延長のようなことで一生懸命になっている姿を見ると、少しだけ心配になるんです。
この人は、自分の居場所、こころの拠り所をしっかり持っているのだろうか…と。


「こころの拠り所」とは心象風景とも重なるもの

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