お洒落の魔法

どうも、最近飲んだタピオカミルクティーが美味しくてまた飲みにいきたい筆者のいなほです!

今回は日記ではなく、個人の価値観だとか思ったことを綴っていこうと思います。

ですので、いつもと毛色が違う記事になります。「いや、そんなことないんじゃないの?」とお考えになる方も少なからずいるでしょう。もし読んでダメだな、と思ってしまったらブラウザバックしていただいて結構です!無理に読むとモヤモヤしますしね。また、批判はそっと胸の内にしまっていただけると幸いです。

さて、本題に戻りますが今日はお洒落についての私の見解を話していきますね。

とはいえ、私はお洒落の専門家でもなければ人並みにお洒落ができているわけでもありません。最近ようやく基礎の「き」に触れはじめたほどです!

ではなぜこのような話をするかというと、個人のお洒落への解釈や最近の感慨深い「お洒落」についてのエピソードについて、しがない大学生なりに皆さんにお話ししたかった、ただそれだけです。

まず、私自身のお話をさせていただきます。

私は、顔は整っているとはお世辞にも言いづらい人間です。

幼い頃は、今から考えると恥ずかしいですが芸能人になることが夢でした。しかしながら小学校の中学年になり、自我がだんだん目覚めていくにつれて、自信がなくなっていきました。特に、それは顔へのコンプレックスが大きな要因でした。

人より太い眉毛、一重で小さいツリ目、彫りの浅いエラの張った顔…それらを客観的に考えると、到底芸能人など目指せるはずがない。

それから私は「別人になりたい」という願望を持つようになったのでした。また、家の方針が真面目なのもあって、「お洒落をすればバカ真面目で地味で、嫌いな自分ではなくなる」ということも同時に考えていました。

その後、自分で服を選んだり、同年代がイメージする可愛い女の子の持っているものを研究しました。けれど、携帯も持っていないような自分の時代遅れの知識では間に合わなかったし、大人からの目線が怖くてあまり派手なことはできませんでした。

中高生になり、デビューをしようと考えたけれど学校ではやっぱり怖くて大胆なチェンジはできなかった。

しかし、私服となると話が変わります。

携帯電話をようやく手に入れて巷で流行っている服や自分の好きなデザインの服を調べ、それを実際に買って、自由に着られるようになったのです。また、入っていたパフォーマンス系の有志団体の影響で、高校生になってからメイクを始めるようになりました。

さらに、大学生になると髪色などの自由度がとても増すし、良いものが買えるようになります。現に私は髪色をブリーチなしのローズ色(ほとんど茶色で、光に透かすと赤色に見える程度)にしています。

こうしてお洒落をしていると、不思議と強いものに守られているような気分になるのです。

アイシャドウを瞼にひと塗りすれば、いつもとは違う、したたかで理想の自分に少しだけ近づける。燦々と降り注ぐ太陽の光に当たって髪がほんのり紅く見えれば、少しだけ誇らしい気持ちになる。好きなデザインの服を着れば、どこか華々しくなったように感じる。

さらに、ファッションを褒められれば自分の腕やセンスに自信が持てるようになる。

なんて素晴らしいのでしょう。

しかしながら、これだけがお洒落の意義だと私は思いません。

好きなものを着るのもいいけれど、別の視点でのお洒落について、もう少しだけお話しさせてください。

追記

実はこれ、去年の夏に書いたものなんです…

流石に長すぎるので後半をつくりますね!

















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